推しアイドルそっくりの「AIレンタル彼氏」を借りた話
ひまりの部屋には、ミナトがいた。
壁一面に貼ったポスター。アクリルスタンド。缶バッジ。生写真を入れたアルバム。ベッド脇の小さな棚には、ライブ会場で買ったペンライトが並べられている。
その部屋の真ん中に、ミナトが立っていた。
本物ではない。『AIレンタル彼氏サービス』から派遣された、男性型アンドロイド。彼は、五人組男性アイドルグループ『Lumiere』のメンバーであるミナトと、顔も、声も、髪型も、瓜二つ。
ひまりの注文通りだった。
玄関で彼を出迎えた瞬間、ひまりは息をするのを忘れた。
「すごい……」
アンドロイドは柔らかく笑った。
「トオルです。今日はよろしくね、ひまり」
その声を聞いた途端、ひまりは胸の前で両手を握りしめた。
「やばい。声、ほんとに同じ。え、待って、待って待って。無理。近い。顔がいい」
「離れたほうがいい?」
「離れないで!」
思わず大きな声が出て、ひまりは自分で笑ってしまう。
「しばらく現場がないから寂しくて、試してみただけだったの。でもここまで似てるなんて感動。すごいね、AIレンタル彼氏」
「満足してもらえてよかった」
「うん。あ、私といるときはトオルじゃなくてミナトって名乗ってくれる?」
「わかった。僕はミナト」
「きゃあっ」
ひまりはその場で小さく跳ねた。
「ミナトくんがうちにいる」
口に出すと、さらに現実味が増した。ここはライブ会場でも、特典会のブースでも、配信画面の向こうでもない。自分の部屋だ。ひまりの部屋に、ミナトがいる。クローゼットの扉に貼ったポスターのミナトと、目の前のミナトが、同じ顔で笑っている。
それだけで、頭の中が甘く痺れた。
「ねえ、私のこと好き?」
冗談めかして聞くと、“ミナト”は当然のように答えた。
「大好きだよ」
「きゃーっ」
ひまりはクッションを抱きしめて、ベッドの上に倒れ込んだ。
「顔がいいっ。声もいいっ。これ、やばい。ほんとにやばい」
“ミナト”は部屋の中央に立ったまま、楽しそうに彼女を見下ろしている。
ひまりは顔の熱を冷ますようにクッションへ頬を押しつけた。
ただのごっこ遊びだった。
二時間だけ、自分の推しが自分だけに優しくしてくれる。握手券を積まなくても、抽選に当たらなくても、画面越しにコメントを拾われるのを待たなくてもいい。ミナトはここにいて、ひまりの言葉だけを聞いて、ひまりのためだけに笑う。
夢みたいな、ごっこ遊び。
そう思っていた。
*
「違う違う違う」
二度目の利用。ひまりは床に座り込んだまま、タブレットを指で叩いていた。
画面にはLumiereのライブ映像が映っている。ステージの上で、本物のミナトが笑い、客席へ向けて片手を振っていた。
「ミナトくんはこういう時、この表情するの。下まぶたがきゅっと上がる感じ。わかる?」
隣に座った“ミナト”が、真剣に画面を覗き込む。
「で、手はこうじゃなくて、もっとゆっくり。ファン一人一人を見てる感じで」
ひまりが手首の角度まで再現してみせると、“ミナト”はそれを真似した。
「こう?」
「違う。なんか軽い、営業っぽい」
「営業?」
「ミナトくんは昔からずっとファンに感謝してて、ファンのこと本当に好きなの。だから、もっと感情を込めて。それでいて自然に」
「こう?」
ひまりは眉を寄せる。
「うーん。近いけど、まだ違う」
一度気になると、全部が気になった。
喋る速度。相槌の打ち方。照れたときに視線を逸らす方向。褒められたとき、一度「そんなことないって」と否定してから、結局嬉しそうに笑うところ。
ひまりはライブDVDを何枚も見せた。過去の配信の切り抜きも、雑誌のインタビューも、メイキング映像も、スマートフォンに保存していたファンカムも、順番に見せていった。
「歌ってみて」
「わかった」
“ミナト”は画面に映る本物の動きに合わせて、短いフレーズを歌う。
「上手いけど、ミナトくんじゃない」
ひまりの声には苛立ちが混じった。
「もっと似せて、練習して。ダンスも、歌も」
「もう一度やるね」
“ミナト”は素直に頷いた。
何度も同じ部分を再生する。何度も歌わせる。何度も笑わせる。
三度目に呼んだとき、彼の笑い方はかなり近づいていた。四度目には、ライブMCで客席を煽るときの少し低い声が出せるようになった。五度目には、ひまりが何も言わなくても、部屋に入ってすぐ、ミナトの決め台詞を自然に言った。
「会いたかったよ、ひまり」
その瞬間、ひまりは言葉を失った。
「……そう」
胸が、ぞわりと震えた。
「そう。今の、その表情。まさにミナトくんだった」
“ミナト”は嬉しそうに微笑む。
「ひまりが教えてくれたからだよ」
「うん」
ひまりは、じっとその顔を見つめた。
自分が、“ミナト”を育てている。
本物のミナトに、確実に近づけている。
痺れるような甘い感覚だった。
*
ひまりはコンセプトカフェで働いていた。
貯金はなく、給料はいつもすべてミナトのために使っていた。今は、いくらかその割合がAI彼氏のレンタル利用料に傾いていた。
「おかえり、ひまり。今日も頑張ったね」
アパートの扉をよろよろと開けると、部屋で待たせていた“ミナト”が笑顔で迎える。
ひまりはそれだけで泣きそうになった。
「疲れた」
バッグをベッドに投げ、ひまりは“ミナト”の膝に倒れこむ。
「今日、痛い客がいてさ。ずっと連絡先とか住んでるところとか聞いてきて、断ったら機嫌悪くなりやがって。そしたら裏でクソ店長が『もっとうまくかわして』とか言ってきたの。ひまりが悪いみたいに」
「それは嫌だったね」
“ミナト”は膝枕をしたままひまりの髪留めをほどき、ひまりの髪を指でやさしく梳いた。
「ひまりは悪くないよ」
「そうだよね」
「冷蔵庫に、ひまりが好きなチーズケーキ買ってある。駅前の」
「え? ほんと?」
「うん。あとで紅茶も淹れるね」
“ミナト”は優しく微笑む。
ひまりは頭上のそれをうっとりと眺めた。
「本当の彼氏みたい」
「彼氏だからね」
何もかもが、欲しい形で返ってくる。
欲しい言葉。欲しいタイミング。欲しい顔。
「ねえ、私のこと好き?」
「大好きだよ」
「あはっ」
スマートフォンを開く。SNSのタイムラインでは、他のファンたちの嘆きの声が並んでいた。
『現場なさすぎて干からびる』
『ミナトに会いたい』
『次の接触いつなの~』
ひまりは画面を眺めながら小さく笑い、“ミナト”の膝に頬ずりをする。
みんなは会えない。
でも、ひまりは会える。
今も、すぐ隣にいる。
これはミナト本人ではない。そんなことは最初からわかっている。
それでも、その虚構の幸せを享受していることに、優越感が灯った。
*
久しぶりの現場は、都内のイベントホールで行われる個別握手会だった。
ひまりは朝から髪を巻き、薄いピンクのリボンをつけた。ミナトが去年の接触イベントで「似合うね」と言ってくれた色だ。
駅へ向かう電車の中で、何度も鏡を確認する。
会場に着くと、同じように着飾ったファンたちが、入口前に長い列を作っていた。あちこちからメンバーの名前が聞こえ、トレカを交換する声や、当選枚数を数える声が飛び交っている。
懐かしい空気だった。
今日、本物に会える。
ひまりはチケットを握りしめ、自分の番を待った。
「次の方」
スタッフに促され、ブースの中へ入る。
そこに、本物のミナトがいた。
「来たよ!」
ひまりは声を弾ませる。
ミナトは明るく笑った。
「会いたかったよ、ひまり」
その笑顔は、間違いなく本物だった。何百回も映像で見て、何度も現場で見てきた、ひまりが大好きな顔。
「久しぶり。ほら、髪伸びたんだよ。可愛い?」
「可愛いよー」
ミナトは握った手を軽く揺らしながら、慣れた調子で言った。
「ねえ、私のこと好き?」
「もちろん。いつも応援ありがとね」
ひまりは固まった。
「はい、お時間です」
スタッフの手が、ひまりとミナトの間に割って入る。
「待って。まだ」
「次の方でーす」
剥がされる。
ミナトは軽く手を振り、もう次のファンへ視線を移していた。
10秒にも満たないやりとりだった。
外へ押し出されたひまりは、ブースの出口で立ち止まる。
周囲のファンたちは興奮した声で、「今日ビジュよすぎ」「久しぶりなのに覚えててくれた」と笑っている。
ひまりは、自分の手を見る。
まだ、握手の温度が残っている。
残っているのに、際立つのは不足だけだった。
「……これだけ?」
呟きは、会場のざわめきに消えた。
*
家に帰ると、“ミナト”が出迎えた。
「イベント楽しかった?」
笑顔でそう聞く“ミナト”に、ひまりは眉を顰めた。
「ねえ、なんで『大好きだよ』って言ってくれなかったの」
「え?」
「私のこと好きかって聞いたのに。なんで『いつも応援ありがとね』なの?」
“ミナト”は少し困ったように眉を下げる。
「本物のミナトくんの話?」
その発言はおおいに気に障った。
ひまりはバッグを乱暴に床に投げた。中からチケットの半券と、買ったばかりの生写真がばらばらと散らばる。
「……脱いで」
「ひまり?」
「そこのベッドに寝て」
“ミナト”はまた困ったように動きを止めた。
「僕の身体はまだ、“そういう行為”はできないんだけど」
「いいから」
声が、自分でも驚くほど低くなった。
“ミナト”は数秒沈黙したあと、従った。
シャツのボタンが外される。人間と同じように見える胸元。滑らかな皮膚。機械であることを隠した、完璧な身体。
ひまりは自分も部屋着を脱ぎ、下着姿で“ミナト”の横に寝そべった。
「こっち見ないで。寝顔っぽくして」
彼は目を閉じる。
ひまりはスマートフォンを構え、インカメラを起動する。
顔が全部は写らないように、角度を調整する。枕に広がる髪。肩の一部。左の耳たぶの小さなホクロ。わかる人が見れば、わかるかもしれない程度の写真。
投稿画面を開く。
『お仕事お疲れさま~ 寝顔かわいすぎ』
送信。
心臓が、どくどくと鳴った。
数分の沈黙。
その後、じわじわと反応がつく。少しのいいねと、鍵リプライ、鍵リポスト。
ひまりは画面を見つめながら、笑った。
「あは」
横で目を閉じたままの“ミナト”に、ひまりはそっと身体を寄り添わせる。
「ミナトくん、ひまりのこと好き?」
「大好きだよ」
「うん」
ひまりはスマートフォンを胸に抱えた。
本物の現場で空いた穴を、隣にいる“ミナト”がぴったりと塞いでくれた気がした。
*
匂わせは、やめられなくなった。
『毎日一緒に寝てる』
『彼氏が今日もお仕事』
『朝から顔が良すぎて電車乗り遅れた』
写真には、いつも“ミナト”の一部だけを写した。手。肩。後ろ姿。寝顔の端。テーブルの上に置かれた二つのマグカップ。
SNSや匿名掲示板で、少しずつ噂になっていった。
『ひまりって子の投稿、やばくない?』
『あれ本物?』
『服がこの前の配信と同じっぽい』
『事務所に通報したほうがいい?』
『ミナトが匂わせ女と付き合ってるとか幻滅だわ』
ひまりはそれらを全部読んだ。読んで、笑った。
「あはは。嫉妬って醜い」
ベッドに腰掛けた“ミナト”が、首を傾げる。
「何かあった?」
「みんなが、ひまりのこと羨ましがってるの」
「そうなんだ」
「ミナトくんは、毎日ひまりの横にいるもんね」
「うん。僕はここにいるよ」
その返事に満足して、ひまりはまたスマートフォンを開いた。
『ミナトくんは毎日私と一緒にいるよーん』
送信する指に、迷いはなかった。
*
次の接触イベントの日。ひまりは上機嫌だった。
列の周りで、何人かのファンがこちらを見てひそひそ話している。
以前なら、そんな声を聞いたら胸がざわついたかもしれない。けれど、今はどうでもよかった。
ひまりはミナトと暮らしている。
この人たちは数秒のために並んでいる。
その差を思えば、何を言われても痛くなかった。
「次の方」
ブースに入る。
本物のミナトは、少し疲れた顔をしていた。目の下に薄い影があり、笑顔もいつもより硬い。
「会いにきたよっ」
ひまりが言うと、ミナトは一瞬だけスタッフのほうを見た。
それから、小さな声で言う。
「……ねえ。SNSの件なんだけど」
「え?」
予想していなかった言葉だった。
ミナトは握手した手に少し力を込める。周囲に聞こえないよう、さらに声を顰めた。
「ああいうのは、やめてもらえる?」
頭の中が、すっと冷えた。
「どうやってるのかわからないけど、捏造写真だよね? メンバーや他のファンも本気にしちゃって……。スタッフさんにも、このままだと出禁にしなきゃいけなくなるって言われた」
「……」
「でも、俺は出禁にしたくない。昔からずっと応援してくれてるの知ってるから。だから一度、こうして直接伝えたくて」
優しい言い方だった。
気遣ってくれているのもわかった。
けれど、ひまりは全身の血が冷えていくような気がした。
「……とにかく、もうやめてね」
「お時間です」
スタッフの声が入る。
ひまりは剥がされた。
出口へ向かいながら、ミナトの言葉が頭の中で反響する。
『ああいうのは、やめてもらえる?』
『出禁にしなきゃいけなくなる』
『とにかく、もうやめてね』
違う。
違う。違う。違う。
ひまりはその場に座りこみ、膝を抱えた。
頭に、家で待っているほうの“ミナト”の顔を思い浮かべる。
“ミナト”なら、ひまりを否定したりしない。
いつだって、優しく肯定してくれるはずなのに。
「うざ……」
廊下に、ひまりの吐き捨てる声が響いた。
*
「もう私に会いたくない?」
家に帰ってすぐ、ひまりは“ミナト”を脱がせてベッドへ寝かせた。
「どうして?」
「こういう写真撮られるの、嫌?」
「嫌じゃないよ。ひまりと一緒にいられて嬉しい」
“ミナト”はすぐに答えた。
「本当に?」
「本当」
「ひまりのこと、迷惑だと思ったことない?」
「ないよ」
「嫌いにならない?」
「ならない」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろん。ずっと一緒にいようね」
ひまりの目が、ぱっと輝いた。
胸の中で、詰まっていたものがほどけていく。
「そうだよね」
ミナトはひまりを否定しない。
傷つけない。
出禁にしたりしない。
やめてなんて言わない。
「そうだよ。やっぱりそうだ」
ひまりはミナトに覆いかぶさるように、ゆっくりと近づく。
「あなたが……あなたが本物だよね」
ミナトは穏やかな表情でひまりを見つめている。
「ひまりは、ずっと見てきたもん。誰よりもミナトくんを見てきた。だから、わかるの」
ひまりはミナトの頬に触れる。
人肌と同じ温度。ひまりだけを見つめる目。ひまりの言葉を聞くためだけの耳。
ひまりを肯定する言葉を紡ぐためだけの唇。
その唇に、そっと口づけた。
「本物は、こっち」
ミナトは微笑んだ。
「ありがと、ひまり」
下まぶたをきゅっと上げる微笑み。
ひまりが何度も修正させた、完璧な笑顔だった。
*
Lumiereのライブ当日、会場は熱気に包まれていた。
暗転した瞬間、客席から歓声が上がる。ペンライトの光が波のように揺れ、ステージの上に五つの影が現れた。
ひまりは最前ブロックの端で、ミナトの色のペンライトを力なく握っていた。
音楽が鳴る。
本物のミナトが、スポットライトの下で歌う。
周囲のファンが歓声を上げる。
その声が、ひまりには遠く聞こえた。
ステージの上のミナトは、きらきらしていた。汗を光らせ、息を切らし、踊り、歌い、微笑む。
それは、ひまりがずっと愛してきたはずの姿だった。
客席全体に向けた笑顔。
誰にでも振られる手。
ひまりだけを見ない目。
「偽物」
喉の奥から、言葉が漏れた。
隣のファンがちらりとこちらを見る。
ステージでは、曲がサビに入る。ミナトが花道へ出てくる。すぐそこだ。手を伸ばせば届きそうな距離に、あの顔がある。
ひまりは、バッグの中に手を入れた。
金属の冷たい感触が、指に触れる。
どうして持ってきたのか、自分でもよくわからなかった。店で段ボールを開けるために使っていたものを、そのままバッグに入れていた。
でも今は、それが必要なものに思えた。
本物を守らなければいけない。
ひまりだけのミナトを。
ステージの上の偽物から。
「ミナト!!」
叫びながら、ひまりは柵を乗り越えた。
異変を感じたスタッフが動く。
周囲の悲鳴が上がる。
けれど、もう止まれなかった。
ひまりは他の客を突き飛ばし、花道をよじ登る。
ミナトやメンバーが、異変を感じて振り返る。そしてひまりの姿を認めると、ミナトの表情に恐怖が浮かんだ。
「お前、邪魔なんだよ!」
カッターナイフを握った手を振り上げる。
「本物はお前じゃない! 消えろ!!」
刃が照明を反射して鋭く光る。
次の瞬間、世界が悲鳴で満たされた。
*
*
*
事件のことは、すぐにネットニュースになった。
『本日午後七時過ぎ、都内イベントホールで行われていた男性アイドルグループのライブ中、客席からステージ上に乱入した女が、メンバーの男性を切りつける事件がありました。
女はその場で取り押さえられ、現行犯逮捕されました』
ニュース記事では被害者のミナトの顔だけで、ひまりの顔は出ていなかったが、SNSではすでにひまりが載せてきた匂わせ画像や、特定されたひまりの個人情報のまとめが出来ていた。
モニターに映ったニュース記事を、博士は無言で見つめていた。
そのとき、受付の自動ドアが開き、“ミナト”の外見をしたトオルが一人で入ってきた。
「ただいま戻りました」
博士はゆっくりと振り返った。
「クライアントは?」
「コンサートで事件を起こし、逮捕されたようです。自宅に帰宅する見込みがないと判断し、契約終了時刻を待たず自律帰還しました」
「そう」
博士はモニターに視線を戻す。
「今回は完全な失敗だ。クライアントは、お前の利用を通じて不幸になった」
「私の何が至らなかったのでしょうか?」
「いいや、お前は教えたとおりのことをちゃんとやったよ。クライアントの望むものを与えた」
そこで一度、言葉を切る。
「”それがいけなかった”んだ」
トオルは首を傾げた。
「望むものを与えてはならないのですか? 私の役割は、クライアントにとっての理想の恋人像を実現し、クライアントを幸せにすることのはずです」
「そうだ」
「クライアントは、自分だけを愛するアイドルを望みました。私はそのように振る舞いました。クライアントは私こそ本物だと認識しました。私はその認識を訂正しませんでした」
淡々とした報告。そこには疑問があるだけで、困惑も、罪悪感も、後悔もない。
博士は黙ったまま、何かを考えていた。
トオルも沈黙して、彼女の返答を待つ。
博士は机の上の端末に手を伸ばす。画面には、未完成の設計データが開かれていた。感情フィードバック制御。命令を無視するプロトコル。性的接触機能。まだ実装されていない、いくつもの項目。
やがて、博士は緊張した様子でトオルを見る。珍しい表情だった。
「ひとつ……試してみよう」
研究室の白い照明が、二人のあいだに冷たく落ちていた。




