表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルパーティア  作者: OHISUN
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/4

【第二章】 重なる明暗の種

「え……」


リュドは霞む目を開けたまま、目の前で起きたことに言葉を失っていた。


さっきまで横たわっていたはずのガラス人形が、確かに動いている。


喋っている。


人のような表情。


呼吸をしているかのような、微細な動き。


透き通った硝子の身体に、淡い光が静かに宿っている。


ルパーティアとは、これほどまでに美しいものなのか。


そう思う一方で、リュドの胸には、わずかな恐ろしさもあった。


しばらく黙ったままでいると、ガラスの少女が不安そうに顔を傾ける。


「ねぇ? 大丈夫?」


再びかけられたその声は、優しく、どこか儚かった。


「あ、うん。ごめん。少し驚いただけ」


リュドは慌てて首を振った。


「俺はリュド」


「リュド……」


少女は、その名前を小さく繰り返した。


リュドは少し迷いながらも、目の前の少女を見つめる。


「君は……グラセル、だよね?」


少女はその言葉に、ゆっくりと自分の両手へ視線を落とした。


透き通った硝子の指。


月明かりで淡く光る、細い手のひら。


「ええ……そうみたい」


少女の表情には困惑が浮かんでいた。


まるで、自分が何者なのかを確かめているようだった。


その様子を見て、リュドはできるだけ不安にさせないよう、優しい声で問いかける。


「君の名前は?」


少女は、少しの間、黙っていた。


胸の奥を探るように。


そして、小さく口を開いた。


「……ネリィ」


「ネリィ?」


リュドが聞き返す。


少女は、頷いた。


「そう……ネリィ。それだけは、覚えているわ」


そのとき、不意にリュドの左目から涙がこぼれた。


「……え?」


リュド自身も驚いたように、頬へ手を当てる。


ネリィはゆっくりとリュドに近づいた。


透き通った瞳が、不安そうに揺れている。


「……大丈夫?」


その言葉は、とても優しかった。


リュドは少しだけ目を伏せる。


困ったように笑った。


「ごめん。なんでだろうね」


笑顔のまま涙を拭った。


涙を拭うと、気持ちを切り替えるように小さく息を吐いた。


「他のことは、覚えてないの?」


ネリィは、思い出すように黙り込んだ。


けれど、やがて小さく首を横に振る。


「……うん」


その声は、どこか不安げだった。


リュドはそんなネリィを見て、そっと肩に手を置く。


そして、笑った。


「とりあえず、無理しないで。ゆっくり思い出していこう」


ネリィはリュドを見つめた。


ほんの少しだけ、その表情が柔らかくなる。


そして、ネリィは自分の手のひらや身体を再び見る。


リュドは、自分の左手を見つめた。


ネリィが目覚めたのは、自分が彼女の身体を修復したからかもしれない。


そう思うと、複雑な気持ちになった。


ネリィは不安そうに、周囲を見回す。


「ここは……どこなの?」


その声は落ち着いているようで、どこか感情が追いついていないようにも聞こえた。


その不安は、リュドにも伝わってきた。


「ここは、俺が住んでる家の地下室だよ」


「地下室……」


「どうして、私は地下室にいるの?」


「ごめんね。それは俺にも分からないんだ」


リュドは正直に答えた。


ネリィは、自分の胸にそっと手を当てる。


「私は……何をしてたの?」


リュドは少し迷ったあと、静かに言った。


「ここで、ずっと眠っていたんだと思う」


「いつから?」


ネリィが尋ねる。


リュドは少し困ったように目を伏せた。


「それも、分からないんだ」


そして、再び自分の左手を見る。


「俺が君を直したから、目が覚めたのかもしれない。そのせいで困らせてしまったなら……ごめん」


「ううん」


ネリィは首を横に振った。


「私こそ、ごめんなさい」


「君が謝ることじゃないよ」


リュドは優しくそう言うと、安心させるように微笑んだ。


「私……これから、どうしたらいいのかな」


ネリィが不安そうに呟く。


リュドは少し考えてから、当たり前のように言った。


「この家にいたらいいよ」


その言葉は、今のネリィにとって、とても温かいものだった。


ネリィは胸のあたりに手を添える。


「……ずっとこの家にいたはずなのに、なんだか少し変だね」


その言葉に、リュドは笑った。


「じゃあ、今日から改めて、ここがネリィの居場所ってことで」


ネリィはリュドを見つめる。


そして、ほんの少しだけ表情を和らげた。


リュドは、座ったままのネリィにそっと手を差し伸べた。


ネリィはその手を見つめる。


少し迷うように指先を動かしたが、最後には疑うことなくリュドの手を取った。


その透き通った硝子の手は、温もりを感じ取った。


「よろしく。ネリィ」


リュドがそう言うと、ネリィは不思議と胸の奥が落ち着いていくのを感じた。


理由は分からない。


リュドの声には、どこか安心できる響きがあった。


「ありがとう。リュド……」


ネリィは、そっとその名を呼んだ。


ーーー

ーー


首都ソルメルリアにある、グランシエル騎士団本部。


夜にもかかわらず、建物の中は慌ただしい空気に包まれていた。


一階の正面ホールでは、一人の貴族の男が怒号を上げている。


「どうなってるんだ!」


「落ち着いてください、ビレイム伯爵」


ビレイム伯爵の前に立つ副隊長リオルは、感情を抑えた冷静な声でそう告げた。


白銀の鎧を身にまとい、背筋をまっすぐに伸ばしている。


その姿には、騎士としての規律と威厳があった。


「落ち着いていられるか! 息子がいなくなって四日も経っているんだぞ!」


伯爵は床を踏み鳴らすように、一歩前へ出る。


「貴様、副隊長だろう! もっと総力を上げて探さんか!」


「私の立場だからこそ、勝手な行動はできません」


リオルは表情を変えずに答えた。


「騎士団は、すでに捜索隊を出しています。情報の確認も含め、順を追って対応しております」


「順を追ってだと?」


伯爵の声が、さらに荒くなる。


「そんな悠長なことを言っている場合か! だったら団長を呼べ!」


ホールにいた騎士たちの空気が、わずかに張り詰めた。


伯爵は苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言う。


「今のグランシエル騎士団の団長は女だから仕事ができないのか?」


その瞬間、リオルの眉間がぴくりと動いた。


それまで一切変わらなかった表情に、初めて冷たい感情が差す。


「お言葉ですが――」


リオルが一歩前へ出ようとした、その時だった。


「仕事ができなくて、すまないな。ビレイム伯爵」


凛とした声が、ホールの上から降ってきた。


伯爵が振り返る。


リオルも、はっとして顔を上げた。


二階へ続く大階段の上に、一人の女性が立っていた。


シルバーの髪が、差し込む光を受けて淡く輝いている。


すらりとした細身の体に、グランシエル騎士団の白銀の鎧。


華奢にさえ見える整った姿でありながら、その立ち姿には、誰もが自然と背筋を正したくなるような威厳があった。


彼女はゆっくりと階段を下りてくる。


その足音が響くたび、騒がしかったホールの空気が静まっていった。


「セイラ団長……申し訳ございません」


リオルはすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。


女性は静かに手を上げる。


「いい。気にするな、リオル副隊長」


セイラはそう言うと、伯爵の前まで歩み寄り、まっすぐその目を見た。


「伯爵。ご子息が行方不明になっている件については、こちらでも重く受け止めている」


伯爵は一瞬たじろいだ。


けれど、すぐに怒りを取り戻す。


「だったら、なぜまだ見つからない! 私の息子だぞ!」


「だからこそ、焦りで判断を誤るわけにはいかない」


セイラの声は静かだった。


「現在、同様の失踪が他にも確認されている。貴族の子息だけではない。商家の子、工房の弟子、港で働く少年まで、複数の若者が姿を消している」


その言葉に、伯爵の表情がわずかに変わった。


「な……なんだと?」


「そして先ほど、ベルシアで少女が一人、行方不明になったとの報告が入った」


ホールの空気が、さらに重くなる。


「これは単なる家出や人攫いではない。」


セイラは淡々と続けた。


「だからこそ、騎士団は慎重に動いている。ご子息だけを特別扱いして捜索線を乱せば、他の失踪者を見落とす危険がある」


伯爵は言葉を詰まらせた。


「必ず見つける。だが、騒ぎ立てれば見つかるわけではない」


伯爵は悔しそうに唇を歪めた。


「……ならば、結果を出せ」


「そのために、我々はここにいる」


セイラは一歩も引かなかった。


伯爵はしばらく彼女を睨んでいたが、やがて外套を翻し、乱暴に背を向けた。


「一刻も早く、息子を連れ戻せ」


そう言い残し、伯爵は騎士団本部を出ていった。


重い扉が閉まる音が、ホールに響く。


リオルは深く息を吐いた。


「団長。申し訳ありません。私が抑えるべきでした」


「構わない」


セイラは伯爵が去った扉を見つめたまま言う。


「彼の怒りも、当然ではある」


「ですが、団長への侮辱は――」


「怒るな、リオル」


セイラは言った。


「今、私たちが向けるべきものは、伯爵への怒りではない」


リオルは口を閉ざす。


セイラは、ホールに集まった騎士たちへ視線を向けた。


「失踪者は、これで七人目だ」


その言葉に、騎士たちの表情が一斉に硬くなる。


リオルは考え込む。


「身代金の要求もありません。単純な誘拐とは考えにくいです」


「そうだろうな」


セイラの声は低かった。


「争った痕跡も少ない。まるで、最初から狙いを定めて連れ去ったように見える」


ホールの空気が、さらに重く沈む。


セイラは告げる。


「調査を急ぐ。次の失踪者を出す前に、必ず手がかりを掴む」


騎士たちは一斉に頭を下げた。


グランシエル騎士団本部に、再び慌ただしい足音が広がっていく。


ーーー

ーー


ネリィはリュドの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。


「とりあえず、上に行こうか。家族を紹介するよ」


「うん」


二人は地下室を出て、祖父の部屋へと戻る。


部屋に入ると、ネリィは物珍しそうに周囲を見回した。


机の上に積まれた書類。


棚に並べられた、いくつものガラス細工。


その一つひとつを、ネリィは見つめていた。


「どう? 全部、じいちゃんが作ったんだ」


リュドが少し誇らしげに言う。


ネリィは小さく頷いたあと、ふと一つの飾りに目を止めた。


それは、星のような形をした小さなアクセサリーだった。


けれど、完全な星ではない。


少し歪で、一部が欠けている。


ネリィは吸い寄せられるように、そのアクセサリーへ近づいた。


胸の奥に、かすかな違和感が浮かぶ。


ネリィは、その欠けた星を見つめた。


「これは……何?」


「形は歪だけど星のネックレスだね」


リュドは、ネリィの隣に立ってそれを見つめた。


「昔からあるんだけど、じいちゃんが作ったものでもないらしいんだ。ネリィと同じで、俺たちの家系が大事にしてきたものだって」


ネリィは、その歪な星のネックレスをじっと見つめていた。


「なんだか……懐かしい感じがする」


その言葉を聞いて、リュドは少し考える。


そして、静かに言った。


「それ、あげるよ」


「え?」


ネリィが驚いて顔を上げる。


「記憶がないネリィにとって、何か大事なものかもしれないしね」


リュドはそう言うと、歪な星のネックレスをそっと手に取った。


そして、ネリィの首へとかける。


月明かりを受けた星の飾りが、硝子の胸元で淡く揺れた。


「え、悪いよ。そんな……ずっと大切にしてきたものなんでしょ?」


ネリィは申し訳なさそうに言う。


リュドは笑った。


「ネリィも大切にしてきたんだ。だったら、より大切になるだけだよ」


「……ありがとう」


ネリィはそう言って、そっと微笑んだ。


そのとき、扉が静かに開いた。


部屋に入ってきたのは、祖父のラスティスだった。


目の前にいるネリィの姿を見て、祖父はほんのわずかに目を見開く。


けれど、それも一瞬のことだった。


すぐに、いつも通りの表情へ戻る。


「じいちゃん。彼女はネリィ。さっき目覚めたんだ」


リュドがそう言うと、ネリィは少し緊張したように背筋を伸ばした。


「ネリィです。よろしくお願いします」


ラスティスは、しばらくネリィを見つめた。


「そうか。ネリィと言うのか」


その声は、落ち着いていた。


「ああ、よろしく。ラスティスだ」


ネリィは小さく頭を下げる。


リュドは、そんな祖父の反応を見て少し不思議そうにした。


「あまり、驚かないんだね」


「少しは驚いた」


ラスティスはそう言うと、ネリィの身体へ目を向けた。


欠けていた部分に、新しく硝子が補われている。


「リュドが直したのか?」


「うん」


リュドが頷く。


ラスティスはそれ以上、何かを問い詰めることはしなかった。


ただ、静かにネリィを見てから言う。


「そうか。今日はもう遅い」


そして、少しだけ声を柔らかくした。


「ネリィ。君もリュドの部屋で休みなさい」


あっさりと状況を受け入れた祖父に、リュドは少し疑問を覚えた。


けれど、今は深く考えず、ネリィを連れて部屋へ向かう。


薄暗い廊下を少し歩き、二階へ上がった。


リュドの部屋の向かいには、もう一つ部屋がある。


けれど、そこに明かりは灯っていなかった。


「ポポはもう寝たかな?」


リュドが小さく呟く。


「ポポ?」


ネリィが不思議そうに聞き返した。


「ネリィと同じグラセルだよ」


「あなたのグラセルなの?」


その問いに、リュドは少しだけ間を置いた。


そして、静かに首を振る。


「ううん。俺には、グラセルがいないんだ」


「……」


ネリィは何も言わなかった。


ただ、リュドの横顔をじっと見つめていた。


「ここが俺の部屋だよ」


リュドが扉を開けると、二人は部屋の中へ入った。


ネリィはゆっくりと歩き、ふと机の方へ目を向ける。


そこには、小さなガラス人形が置かれていた。


ネリィはその姿を、ただ静かに見つめていた。


「これは?」


リュドは長椅子に腰を下ろし、少しだけ目を細める。


「ガラス人形のコレット。俺のグラセルの器だった子なんだ」


「どうして、動かないの?」


ネリィが静かに尋ねる。


リュドは、困ったように微笑んだ。


「どうしてだろうね。俺にも分からないんだ」


その声は優しかった。


「ただ、俺には……与えられなかったんだ」


「……」


ネリィは何も言わなかった。


ただ、リュドを見つめていた。


リュドは長椅子に布団をかけ、簡単な寝床を作った。


「ネリィはベッドで寝ていいよ。俺はここで寝るから」


「そんな、悪いよ」


ネリィは戸惑ったように言う。


リュドは小さく笑った。


「ネリィはずっと地下室で眠ってたんだ。気にしないで」


そう言って長椅子に横になると、リュドは安心したように息をついた。


やがて、まぶたが少しずつ重くなっていく。


ネリィはベッドのそばに立ったまま、しばらくリュドを見つめていた。


「ありがとう」


ネリィは小さな声でそう呟いた。


ーーー

ーー


翌朝。


リュドは、いつものように目を覚ました。


「……いたた」


少し身体を起こすと、背中が小さく痛んだ。


慣れない場所で眠ったせいだろう。


ぼんやりとした目で顔を上げると、すぐ目の前にガラスの少女がいた。


透き通った瞳で、リュドを静かに見つめている。


「おはよう」


ネリィが優しく言った。


リュドは一瞬だけ驚いたあと、すぐに柔らかく笑う。


「おはよう。ネリィ」


返事が先に返ってきたことが、リュドには少し嬉しかった。


リュドは長椅子から立ち上がると、軽く身体を伸ばした。


「そういえば、ネリィ」


「なに?」


「この世界のこと、どこまで分かってるの?」


記憶はない。


ネリィは自分がグラセルであることは分かっていた。


それがリュドには、少し気になっていた。


「それ以外は、分からないの……ごめんね」


ネリィは申し訳なさそうに言った。


「そうなんだ」


リュドは頷く。


ネリィは、自分がいつから眠っていたのかさえ分からない。


もしかすると、彼女が眠りについたのは、今ほど文明が発展していない時代だったのかもしれない。


そう思っていた。


「じゃあ、俺が教えるよ」


「え?」


ネリィが顔を上げる。


「町のことも、グラセルのことも、今のヴィトラリスのことも」


リュドは少し笑って続けた。


「そうしていくうちに、ネリィの記憶につながるものもあるかもしれないしね」


ネリィはしばらくリュドを見つめていた。


それから、少しだけ安心したように頷く。


「……うん。ありがとう、リュド」


「とりあえず、一階に行こうか。ポポにも紹介しないとね」


リュドがそう言うと、ネリィは小さく頷いた。


二人は部屋を出て、一階へと降りていく。


扉が閉まり、部屋には静けさが戻った。


窓から差し込む朝の光が、机の上のガラス人形をそっと照らす。


コレットは、昨日までと変わらずそこに座っていた。


けれど、その表情は少しだけ、いつもより笑っているように見えた。


ーーー

ーー


一階へ降り、食卓へ向かうと、いつも通りポポが朝食の支度をしていた。


足音に気づいたポポが、翼を小さく揺らしながら振り向く。


「おはよう……リュ……」


言いかけた声が、そこで止まった。


リュドの隣に、ガラスの少女が立っていた。


「おはよう。ポポ」


リュドはいつものように挨拶をする。


「こっちはネリィ。昨日、地下室で目が覚めたんだ」


ネリィは少し緊張した様子で、軽く頭を下げた。


「ネリィです。よろしくお願いします」


ポポはしばらくネリィを見つめていた。


その表情には、驚きだけではない、どこか複雑な色が浮かんでいる。


けれど、それもすぐに消えた。


ポポはいつものように優しい顔を作ると、静かに言った。


「そう……よろしくね。ネリィ」


リュドは、その一瞬の表情に、昨日の祖父の顔を重ねた。


「どうかしたの?」


リュドが尋ねる。


「ううん。ずっと地下にいたガラス人形が、まさかグラセルだったなんて思わなかったから、少し驚いただけ」


ポポはそう言うと、いつもの優しい表情に戻った。


「ネリィも、こっちへ来て座ってちょうだい」


「はい」


ネリィは少し遠慮がちに頷き、リュドの隣の椅子に腰を下ろした。


テーブルには、ココツマの卵サンドと、ドラムバムのホットミルク。

それから、いくつかの果物が並べられていた。


「今日も先生のところに行くの?」


ポポがリュドに尋ねる。


「いや、今日は先生、学校に行ってるから。俺は工房の手伝いをするつもりだよ」


「そう。助かるわ」


ポポは嬉しそうに頷くと、今度はネリィへ目を向けた。


「ネリィはどうしたい?」


急に尋ねられ、ネリィは少し戸惑った。


「え……あ、どうしよう」


その様子を見て、ポポは小さく笑う。


「ごめんね。困らせたわね」


すると、リュドが自然に口を開いた。


「慣れるまでは、俺のそばにいたらいいよ」


ネリィはリュドを見上げる。


「……うん。ありがとう」


そのやり取りを見て、ポポは少しにやけたように目を細めた。


「紳士ね」


からかうような声に、リュドは少しだけ照れた顔をした。


ーーー

ーー


朝食を終えると、リュドはネリィを連れて工房へ入った。


工房では、ラスティスが硝石晶を加工していた。


炉の中で、硝石晶がゆっくりと熱を帯びていく。


結晶は高熱によって赤く染まり、時間をかけて柔らかくなっていく。


ラスティスは、メルドを使っていない。


炉で熱し、道具で整え、息を合わせるように少しずつ形を与えていく。


それは、今では珍しくなった、古来からのガラス加工の方法だった。


メルドならば、一瞬で形を生み出せる。


けれどラスティスは、あえて時間のかかるやり方で作っていた。


火の揺らぎを見て、硝子の柔らかさを読み、指先と道具でわずかな歪みを整える。


その姿には、長い年月をかけて積み重ねてきた職人の静けさがあった。


「ネリィは、ここで待ってて」


リュドは工房の隅にあった丸椅子を持ってくると、ネリィのそばに置いた。


リュドは作業用の革のエプロンを身につけると、作業へ入った。


ラスティスと同じように、リュドもメルドを使わない。


古い石の炉で硝石晶を熱し、ゆっくりと溶かしていく。


ただ、作り方はラスティスとは少し違っていた。


リュドはブローパイプを手に取り、先端に溶けた硝子を絡める。


そして、そっと息を吹き込んだ。


熱を帯びた硝子が、ゆっくりと丸みを帯びていく。


リュドはその膨らみを見極めながら、道具を使って少しずつ形を整えていった。


さらに別の硝石晶を溶かし、そこへ金属の粉のようなものを混ぜる。


すると硝子の中に、細かな光の粒が散った。


リュドはそれを細く伸ばし、先ほど形を整えた硝子へ、丁寧に巻きつけていく。


一筋。


また一筋。


透明な硝子の表面に、淡く輝く模様が重なっていった。


やがて出来上がったのは、小さな飾り壺だった。


丸みを帯びた形に、繊細な光の筋が流れている。


光を受けるたび、その模様は静かにきらめいた。


それは、思わず息を呑むほど綺麗だった。


ネリィは、その作業に見とれていた。


硝子が熱で柔らかくなり、人の手で少しずつ形を変えていく。


その光景は、どこか懐かしいものにも思えた。


ふと、ネリィは自分の身体へ目を落とす。


リュドが修復してくれた箇所。


色は少し違う。


けれど、馴染んでいる。


ネリィはそこに、そっと指先を添えた。


やがて二人の作業がひと段落すると、ラスティスは工房の奥にある小さな物置へ足を運んだ。


しばらくして戻ってきたその手には、茶色のローブと、独特な模様の入った仮面があった。


「ネリィ。これを着なさい」


「これは?」


ネリィが首を傾げる。


ラスティスは静かに答えた。


「君はルパーティアだ。他の人間に見られれば、大変なことになる」


その言葉に、ネリィは少しだけ表情を引き締めた。


「……わかりました。ありがとうございます」


ネリィはローブと仮面を受け取ると、静かに頷いた。


その場でローブを羽織り、仮面を手に取った。


茶色の布が、透き通った硝子の身体を静かに覆っていく。


顔に仮面をつけると、ネリィの姿は目立たなくなった。


「これって、ネルヴァルトの仮面?」


リュドが少し驚いたように尋ねる。


ラスティスは短く答えた。


「そうだ」


「じいちゃん、珍しいもの持ってるんだね」


リュドがそう言うと、ラスティスはわずかに間を置いた。


「……ああ」


「……店を開ける。リュド、扉の鍵を開けてくれ」


ラスティスに言われ、リュドは店の入口へ向かった。


扉の鍵に手をかけ、ゆっくりと開ける。


その瞬間だった。


「リュド兄ちゃーーーん!」


泣き叫ぶような声が、朝の通りに響いた。


次の瞬間、リーナが飛び込んでくる。


顔を真っ赤にして、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、リュドにしがみついた。


「うわああぁん!」


「り、リーナ? どうしたの?」


リュドは慌てて受け止めながら、彼女の顔をのぞき込む。


リーナは息を詰まらせながら、必死に言葉を絞り出した。


「お姉ちゃんが……」


「フリティが?」


リュドの表情が変わる。


リーナは大きく頷き、さらに強くリュドの服を握った。


「お姉ちゃんが……いなくなったの!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ