【第三章】 芽吹く二つの想い
クラリスの窓に、リーナの泣き声が響いていた。
リーナはしゃくり上げながら、リュドの腰のあたりにしがみついている。
「ひっ……うぅ……。お姉ちゃん……」
リュドは困惑しながらも、リーナの背中にそっと手を添えた。
「大丈夫。落ち着いて、リーナ」
その少し後から、息を切らした一人の男性がやってきた。
「ラスティスさん、リュドくん……朝早くにすみません」
リュドは顔を上げる。
「チャートルさん……」
「今、リーナから聞きました。フリティがいなくなったって」
ラスティスも事情を察したのか、工房の奥から静かに歩いてきて、リュドの隣に立つ。
「チャートル。何があった」
ラスティスが尋ねる。
「昨日から……娘が帰ってきていないんです」
「昨日?」
リュドの表情が強張る。
「授業が終わったあとから、ずっと……」
チャートルは握りしめた拳を震わせながら続けた。
「夜になっても戻らなくて、牧場の周りも、町へ続く道も探しました。でも、どこにも……」
リーナがリュドの服を強く握る。
「お姉ちゃん……帰ってこないの……」
その不安な声を聞いて、リュドはリーナの頭を優しく撫でた。
ラスティスはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「いつもは、授業の後、まっすぐ帰っているのか?」
チャートルはすぐに頷いた。
「はい。寄り道をする子ではありません。リーナの面倒もありますし、牧場の手伝いもあるから……いつもなら、日が傾く前には帰ってきます」
「グランシエル騎士団へ、捜索の依頼はしたのか?」
「はい。ベルシア支部へ伝えました。ただ……」
そこで、チャートルは言葉を詰まらせた。
「ただ?」
チャートルは少し視線を落とし、口を開いた。
「この話を支部長に相談したとき、聞いてしまったんです」
「何を?」
「……またか、と」
その言葉に、リュドの胸がざわついた。
「……?」
「それで、何かわかったことはあるか?」
ラスティスは真剣な顔で聞いた。
「私にも詳しいことは分かりません。でも、支部の方々の様子を見る限り、フリティだけではないのかもしれません」
「……だから、何か大きな事件に巻き込まれているんじゃないかと、気が気でなくて」
チャートルの声は、ひどく掠れていた。
目の下には濃い疲労の色があり、服には土汚れが残っている。
昨日からほとんど眠らず、探し回っていたのだろう。
リュドはそんなチャートルの様子を見て心が痛んだ。
そのとき、ラスティスが静かに動いた。
店の入口にかけられた看板へ歩み寄り、それを裏返す。
そこには、CLOSEDと書かれていた。
「私たちも協力しよう」
短い言葉だった。
けれどその一言に、チャートルの目元が揺れた。
「……ありがとうございます」
震える声でそう言い、チャートルは深く頭を下げる。
リュドはしゃがみ込み、リーナと目線を合わせた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、リーナが不安そうに上げる。
「リーナ」
リュドはできるだけ優しく言った。
「大丈夫、俺たちも一緒に探すから」
「ほんと……?」
リーナの声は、小さく震えていた。
リュドは頷く。
「うん。必ず見つけよう」
リーナはまだ泣きながらも、小さく頷いた。
ネリィとポポは、その様子を少し後ろで見ていた。
ローブと仮面で身体を隠したネリィは、戸惑うようにリュドたちを見つめている。
「あの……私は、どうしたらいいですか?」
ネリィの頭に、ポポがふわりと飛び乗った。
「あなたは気にしないで。目覚めたばかりだもの。今は家にいてくれたらいいわ」
「……はい」
リュドはリーナの手を引きながら、ネリィのそばまで歩いてきた。
「ネリィ。リーナと一緒に、この家にいてほしい」
「え……?」
ネリィが少し驚いたように顔を上げる。
リーナも、涙に濡れた顔でリュドを見た。
「わ、わたしも……お姉ちゃん、探しに行く……」
「リーナの気持ちは分かるよ。でも、今は外が安全かどうか分からないんだ」
「……」
「フリティが帰ってきたとき、リーナがここで待っていてくれたら、きっと安心する」
「……わかった」
納得はしていない表情だった。
けれど、リュドの言葉を一生懸命受け止めようとしていた。
リュドは今度はポポへ目を向ける。
「ポポ。安全かどうか分からないから、二人を守ってほしい」
ポポはネリィの頭の上で、胸を張るように翼を広げた。
「まかせて」
その声は、頼もしいものだった。
ポポを見てリュドは微笑んだ。
そして、リュドとラスティスは工房に置いてあったグローブをはめて鞄を手に取った。
「それじゃあ、チャートルさん。フリティを探しにいきましょう」
リュドの声には迷いがなかった。
「リュドくん……ありがとう」
「ポポ、留守を頼むぞ」
ラスティスがそういうとポポは軽く頷いた。
三人は外にでる。
扉が閉まり工房は静かになった。
リーナはネリィのローブを掴んでいる。
そして仮面を被ったネリィを鼻水を垂らしながら見つめている。
ネリィは状況を整理し、目の前にいる女の子の目線に合わせた。
「初めまして。私はネリィ。リーナちゃんよろしくね」
それは、とても優しい声だった。
ーーー
ーー
ー
生ぬるい風が、強く吹き始めていた。
道端の草木がざわざわと揺れ、葉の擦れる音がいつもより大きく聞こえる。
空には灰色の雲が広がり、朝だというのに、どこか薄暗かった。
天気が荒れ始めている。
そんな中、クラリスの窓を出た三人は、リーナの牧場へと向かっていた。
牧場へ近づいたとき、犬のような姿をしたグラセルが、こちらへ向かって走ってきた。
大人の腰ほどの高さがある、しなやかな体。
濡れた鼻先を低く下げ、地面の匂いを探るようにしている。
「ティング」
チャートルが名前を呼ぶと、グラセルはすぐに彼の前で足を止めた。
チャートルはしゃがみ、ティングの頭を撫でる。
「どうだった?」
ティングは落ち着いた声で答えた。
「チャートル。フリティの匂いを辿ったが、やはり途中で痕跡が消えている」
「そうか……」
チャートルは肩を落とした。
ティングはその後ろにいる二人へ目を向けると、頭を下げた。
「ラスティス。リュド。協力、感謝する」
「気にするな」
ラスティスは短く答える。
「それより、ティングの鼻でも駄目だったのか」
「ああ」
ティングは悔しそうな表情をする。
「途中までは追えた。だが、牧場に着く前に匂いが急に途切れている」
リュドの顔が強張る。
「急に……?」
そのとき、ぽつりと冷たいものが頬に当たった。
雨だった。
ぽつ、ぽつ、と地面に黒い点が増えていく。
ティングは空を見上げる。
「それに、天気も荒れてきた。雨と風で匂いが混ざる。これ以上は、追うのが難しくなる」
チャートルは拳を握りしめた。
「そんな……」
リュドはしばらく考え込んだあと、顔を上げる。
「じいちゃん。二手に分かれて探そう」
ラスティスはリュドを見る。
「お前はどうするつもりだ」
「俺は、昨日フリティがいた場所に行く。先生の家の近くとか、授業をしていた場所に、何か手がかりが残ってるかもしれない」
ラスティスは一瞬、迷うように黙った。
外は荒れ始めている。
それに、何が起きているのかも分からない。
「……わかった」
ラスティスは頷いた。
「私はミラフィス工房街で情報を集める。誰かがフリティを見ているかもしれん」
チャートルが顔を上げる。
「私は……」
「チャートルさんは、ティングと一緒に、もう一度牧場周りをお願いします」
リュドが言った。
「フリティが帰ってくるかもしれない。リーナのこともあります」
「……分かった、本当にありがとう」
雨は、少しずつ強くなっていく。
ーーー
ーー
ー
「私は少し二階にいるから何かあったらすぐに呼んでね」
ネリィは少し不安な表情を浮かべる。
「大丈夫。耳はいいから、下の音も聞こえるわ」
ポポはそう言って階段へ向かった。
「雨、強くなってきたね」
リーナは店の窓際の椅子に腰掛けていた。
ネリィはリーナの手を繋ぎながら外を見つめていた。
「......そうね」
どこか寂しさを浮かべている。
仮面越しでも伝わる感情。
そんなネリィをみてリーナは質問した。
「ネリィお姉ちゃんはリュドお兄ちゃんのお友達なの?」
唐突な質問に少し焦る表情を浮かべたが答える。
「私は……まだ、よく分からない。でも、ただの友達とは少し違う気がするの」
リーナは黙ってじーっと見つめる。
「リュドお兄ちゃんね。とっても優しいんだ〜。でもね。たまに寂しそうな顔するの。今のネリィお姉ちゃんみたいに」
ネリィは胸に手をやる。
リーナの今の純粋な言葉は、何故か痛かった。
「ごめんね。心配させちゃったかな?」
「ううん。大丈夫だよ。リュドお兄ちゃんがネリィお姉ちゃんをみてるとき何だか嬉しそうだったからリーナも嬉しい」
そんな話をしていると、トントンと扉を叩く音がした。
こんな雨の中、誰なのか。
「リーナ、静かに」
リーナは口元を手でおさえる。
不思議に思ったネリィは少し警戒しながら扉に近づく。
扉のガラスはすりガラスになっており、はっきりとわからない。
黒い人影が写っていた。
もう一度叩く音がする。
トントン。
「グラスフェルドさーん?郵便ですー!」
若い男性の声。
ネリィはそっと扉を開けた。
「あ!郵便です!受け取りお願いします!」
「あ、はい」
ネリィは受けとる。
「では、失礼しまーす!」
郵便配達の男はすぐに去っていった。
ネリィは安心し、そっと息を吐く。
そしてまた、リーナの方に振り向き歩き出した。
扉に背を向けた。
その瞬間。
トントン。
ドン!ドン!
強く扉を叩く、いや、叩きつけるような音が響く。
ネリィはすぐに振り向いた。
扉が壊され、一人の人間が吹き飛んできた。
壊れた扉のガラス片が、リーナに向かって鋭く飛び散った。
「危ない!」
ネリィの身体は、一瞬だけ動かなかった。
その瞬間、ポポが勢いよくリーナの前へ飛び出す。
透き通った翼を大きく広げ、飛び散ったガラス片を弾き返した。
「きゃっ……!」
リーナはその場にしゃがみ込み、震えている。
ネリィの足元には、一人の人間が倒れていた。
血にまみれたその顔を見た瞬間、ネリィは息を呑む。
先ほどの、郵便配達の男だった。
「え……」
その安否を確かめようと、ネリィが身をかがめた。
そのときだった。
ネリィとリーナの背筋が、同時に凍りつく。
「なに……? 怖いよ……」
リーナの震える声に、ネリィははっとして振り向いた。
「大丈夫。私がいるわ」
壊れた入口の向こうから、黒い獣のような巨大な影が、ゆっくりと店の中へ入り込んできた。
それは獣の形をしていたがどこかおかしい。
四肢の長さは不自然に歪み、全身は無理やり捻じ曲げられたように異様な形をしている。
原型は何か別のものだったのかもしれない。
だが今は、禍々しい気配だけをまき散らす異形の存在に成り果てていた。
「あれは……なに……?」
恐怖に押されるように、ネリィは一歩後ずさる。
すると、ポポが鋭い声を張り上げた。
「ネリィ! リーナを連れて二階へ!」
ネリィはリーナを抱きかかえると、急いで二階へ駆け上がった。
「ネリィお姉ちゃん……!」
「大丈夫。しっかり掴まっていて」
リーナの震える手が、ネリィのローブをぎゅっと握る。
その間も、ポポは入口の前から目を離さなかった。
透き通った翼を小さく羽ばたかせながら、黒い獣の動きをじっと見る。
獣は唸りながら、壊れた扉の破片を踏みしめた。
その身体は、ただ黒いだけではなかった。
歪んだ胸のあたりに、赤黒い何かが埋め込まれている。
無理やり身体の内側へ押し込まれた異物。
ポポはそれを見た瞬間、わずかに目を細めた。
「……可哀想ね」
そう言うと黒い獣が、さらに一歩踏み出す。
床板がきしみ、砕けた硝子片が小さく鳴った。
ポポは翼を広げ、獣の前に立ちはだかる。
獣はポポに向かって大きな口を開け飛びかかる。
単調な動きだった。
けれど、その勢いは凄まじい。
床板が軋み、砕けた硝子片が跳ねる。
ポポは翼をひるがえし、すれすれでその牙を避けた。
獣の爪が壁を深く抉る。
獣の動きには、少し乱れがあった。
襲いかかろうとするたび、何かが抵抗している。
そのたびに、胸に埋め込まれた赤黒い異物が、不気味な光を放つ。
ポポはその瞬間を待っていた。
「今ね」
高い位置へ移動して、くちばしを尖らせると一直線に異物へ突っ込んだ。
パキッ。
赤黒い何かは砕け散る。
黒い獣は、最後に一度だけポポに視線をむけた。
その瞳に、ほんのわずかに光が戻ったように見えた。
そして次の瞬間、黒い獣の身体は静かに砕け散る。
荒らされた店内は、静かになった。
ポポは、床に散らばった黒い硝子片をじっと見つめていた。
「……大丈夫ですか?」
二階から降りてきたネリィが、不安そうに声をかけた。
「ええ、大丈夫よ」
ポポはそう言って、ネリィの方へ身体を向ける。
その瞬間だった。
「危ない!」
叫び声が響く。
けれど、間に合わなかった。
ポポの小さな身体に、何か重く黒い影が叩きつけられた。
鈍い音が響き、ポポはそのまま窓ガラスを突き破って外へ吹き飛ばされる。
砕けた硝子片が、雨の中へ散った。
一瞬の出来事だった。
雨の音だけが、壊れた窓の向こうから流れ込んでくる。
ネリィは息を呑んだまま、ポポが吹き飛ばされた窓の方を見つめていた。
「ポポ……?」
立っていたのは、先ほどの獣とは違う、黒い人影だった。
人に似た形をしている。
けれど、人ではない。
二本の足で立つその姿は、黒く歪み、ところどころが溶けた硝子のように不自然な形をしていた。
そして、その身体にも赤黒い何かがあった。
先ほどの獣のように、ただ埋め込まれているのではない。
それは、身体そのものと溶け合っている。
「赫灰……」
ネリィは、自分でも知らない言葉を無意識に口にしていた。
「ネリィ……お姉ちゃん?」
二階から、リーナの怯えた声が聞こえる。
ネリィははっとして振り向いた。
「来ちゃ駄目!」
その声と同時に、黒い怪物がゆっくりと腕を上げた。
手の先が、溶けるように形を変えていく。
指が崩れ、黒い硝子のように伸び、鋭い刃へと変わった。
その刃先が、リーナへ向けられる。
「……っ!」
次の瞬間、刃が放たれた。
ネリィは咄嗟に動いていた。
考えるよりも早く、身体が前へ出る。
リーナへ向かう刃の前に立ち、ローブの袖から透き通った手を振るった。
甲高い音が響く。
黒い刃は、ネリィの手に触れた瞬間、粉々に砕け散った。
ネリィは、自分の手を見つめた。
今の動きが、自分のものとは思えなかった。
ただ、黒い怪物は待ってくれない。
身体を歪ませながらネリィへと突っ込んでくる。
ネリィはすぐに構えた。
黒い怪物は手を長く伸ばし針の様な鋭い形となってネリィの首元めがけて攻撃する。
ネリィはそれを軽やかに避けた。
しかし、避けた先には片方の手がすでに構えてあった。
ネリィはその手に捕まった。
「……あ!」
そのまま黒い怪物は斜めに身体を捻らせ、遠心力でネリィを上に突き飛ばす。
ネリィの身体は天井を突き破り、二階のポポの部屋まで吹き飛んだ。
うつ伏せに倒れた身体を両手で起こす。
「……うっ!」
「ネリィお姉ちゃん!」
涙を浮かべながらネリィの元へ駆け寄る。
「ごめんね。大丈夫よ」
そしてリーナの手を握る。
すると黒い怪物が脚をしならせる。
一階から二階へ高くジャンプした。
跳び上がった瞬間にネリィを壁際に払い除け、リーナに向けて手を伸ばし巻き付く。
「いっ!」
痛みにリーナは気を失う。
「その手を離して!!」
ネリィは叫び、巻き付く手に触れた。
その時、黒い怪物の手は柔らかくなった。
ガラスの身体に違和感を感じた黒い怪物は巻き付けた手を離す。
そして、少し悶えているようだった。
手から離れたリーナをネリィは素早く抱きかかえポポの部屋を出て、リュドの部屋へと駆け込み扉を閉めた。
「はぁ……はぁ…」
「どうしよう、どうしよう」
リーナを抱えては逃げ切れない。
窮地に立たされる中、何かがネリィを呼ぶ。
ネリィ。
私を使って。
幼い声だった。
「だ、誰?」
私はコレット。
あなたの力になりたい。
ネリィは、机の上の動かないガラス人形へ視線を向けた。
「コレット……?」
私に触れて。
あなたの力で想いを形にする。
「私の力?」
ネリィは抱えるリーナをベッドに寝かせた。
そして、コレットの側へ行った。
左手でコレットの頭に触れる。
ありがとう。
これで私もリュドの役にたてる。
ネリィは瞼を閉じ息を整えた。
すると、コレットの胸が光りだした。
少しずつガラスは熱を帯び、澄み切った光に変わり、コレットだったものが水のように滑らかに形を変えていく。
ネリィが使った力はまるでメルドのような力だった。
透明感のあるガラス。
光の干渉により虹色に輝きを放つ。
形が徐々に出来上がる。
ルパーティアの力によって生まれた剣。
そう呼ぶに値する物だった。
まっすぐな両刃の直剣で、先端に向けて細く尖っていてガード部分は両側に傘状に集まって咲く花。
花びらが外側に向かってふんわりと反り返っている。
まるで可憐な妖精や花火を連想させた。
部屋の壁を黒い怪物が突き破り入ってきた。
ネリィは剣を握り、瞼を開く。
すーっと口から息を吐いた。
そしてこちらに向かってくる黒い怪物。
ネリィは振り向き腰を落とした。
構えた剣で黒い怪物の懐を切る。
すると黒い怪物は動きを止めた。
パキッ。
身体全体にヒビが入った。
そして、黒い怪物は粉々に砕け散った。
「はあ……」
張り詰めた状態から解放され脱力した。
「終わった……」
ネリィはリーナの眠るベッドの傍らでコレットで創り出した剣を抱きしめながら気を失った。




