第33話【天堂璃王】魔王のネタバラシ
僕はコロッセオ特区から遠く離れた、サロン特区の周囲を見渡す。
学園のシステムが「対人」の数値を測るために用意した場所は、天井にシャンデリアが輝き、アンティーク家具が並ぶ、星付きホテルのラウンジのような空間だった。
しかし、この豪華絢爛な部屋にいるのは、たったの3人だけ。
僕と一色唯、そしてパーカーのフードを目深に被った九条拓人だ。
「ふぇ! なんだか広すぎて落ち着かないですぅ。でも、誰も来ないなら安心ですね!」
唯はホッと胸を撫で下ろしながら、特区に持ち込んだ高級なティーセットをローテーブルに広げ、お茶の準備を始めていた。
切島は、このサロンに割く人員を「0名」として放棄した。ゆえに、開始のファンファーレが鳴った瞬間にここは五階区の無条件制圧で決着がついており、唯以外はサボタージュを決めては闘争終了まで優雅な暇つぶしの時間が与えられていた。
「あ、唯ちゃん。そこ段差あるから気をつけて……」
「はーい、大丈夫ですぅ! ……あきゃっ!」
僕が注意した一秒後、唯は絨毯の模様に躓き、宙を舞った。
しかし、今回は運良くティーポットが手から離れることはなく、そのまま柔らかいソファの上へとダイブする形で事なきを得た。
「んもぅ、びっくりしましたぁ。璃王さ、いや天堂くん、このピスタチオのマカロン、どうぞぉ」
「お、サンキュー。やっぱ美味いなこれ」
「ふぇぇ……私の象徴としての力、ただのメイドさんとして消費されてませんかぁ……?」
「気にすんな、唯ちゃんも食べなって」
「あ、マカロン美味しいですぅ」
僕は甘いマカロンを頬張りながら、手元のホログラム端末に視線を落とした。
画面に表示されているのは、リアルタイムで更新されるコロッセオ特区のスコアだ。
《第三階区 現在スコア【マイナス850点 】! 》
《連続コンボを確認。第三階区、致命的なマイナス圏へと急降下します!》
「あははっ。やってるね。ほんと、極上のエンタメだな」
システムがポップな実況アナウンスと共に、第三階区のスコアをパチンコ台の逆回転のように削り落としていく。
燐花が、莫大な資産を防衛するために、切島の「引き分けの指示」を無視して味方を物理的に粉砕し始めた証拠だ。
「……理解不能だ」
僕の向かいのソファで、丸まって寝ていた九条が、ノイズキャンセリングヘッドホンを少しだけずらして低く呟いた。
普段は「呼吸すらカロリーの無駄」と吐き捨てる省エネの権化が、今はポケットから剥き出しの角砂糖を取り出し、ボリボリと咀嚼しながら血走った……いや、獲物を解体するような酷薄な目で、端末のスコアを睨みつけている。
「なぜ第三階区のポイントがマイナスに急落している? あちらの象徴が一方的に攻撃しているとして、あのルールなら自陣へのマイナスになることは、第三階区のインテリ指揮官が気づかないはずがない。なぜ止めない?」
九条は、合理性ゆえに、この「不合理な自滅」が滑稽に見えるようだ。彼のような天才からすれば、味方を殴って自軍を敗北に導くなど、盤上における想定外だからだ。
「んー? あー、それね」
僕は、あくまで何も知らない無能の仮面を被ったまま、少しだけ声を弾ませて言った。
「雨宮が、ブツブツ怖い顔で独り言を言ってたんだよね。なんちゃら賠償法がどうとか、ドンピシャでハマったんじゃない? 僕も小難しい話は分かんないけどさぁ」
「雨宮、あの自己保存本能が常に休暇を取っている無能女か。ゼロ円防衛は予測できる範囲だったが」
「……切島が、AIを騙してパッチのコストを安く値切るために、わざわざ『引き分けは全員からRを半分没収』なんていうルールを入れたんだってさ。雨宮、それ見て『ラッキー』って笑っていたよ」
僕は紅茶を一口啜り、九条に『雨宮の立てた完璧な盤面』を、軽く噛み砕いて提供してやった。
「切島がさっき『サボタージュしろ』って燐花に指示を出したとするじゃん。そうすれば、コロッセオは引き分けになって、第三階区のダメージは少しで済むんじゃない?」
「被害を最小化する指揮官として理想な一手指しだ」
「でもさ、燐花からすれば、そんな組織の理屈なんて知ったこっちゃないわけ」
「何? どう言う前提条件だ」
九条が食い入るように問う。
「だって、燐花がサボタージュして引き分けになれば、ルールのせいで、自分の個人口座にある莫大な資産の半分が、没収されちゃうって雨宮が言ってたよ」
僕の言葉に、九条が角砂糖を噛む動きを止めた。
「八神が自分の財産を守るための『適応最適解』は第三階区を『意図的に敗北させる』ことだけ。勝敗がつけば引き分けにはならないし、自分はサボタージュしてないからペナルティも食らわない、ここまで味方を蹂躙するのは……ただの快楽か」
「九条の言う通りじゃない? まあ、結果的になんでこうなったかは分からないけど」
「自分の資産防衛のために、自陣の兵を粉砕して意図的に敗北を確定させたのか。そんな個人の欲望で組織を崩壊させるなど愚者の極みだな」
九条は再度やる気のない様にうつ伏せに戻る。
こいつは、口では吐き捨てているが理を咀嚼している。
「するでしょ、燐花はスポンサーの令嬢だもん。組織の赤字のために、個人の自腹である莫大な資産を切るなんて、馬鹿らしくてやってらんないじゃん?」
僕は、肩をすくめて笑った。
「切島は自分の作戦を漏れがないと思っていた。でも、多分あいつは燐花の取り扱いを間違えたんじゃない?」
「……雨宮の仮説通り八神の個人資産は莫大だとする。もし切島の指示通り引き分けになれば、『引き分け時没収』のダミールールで彼女の資産がシステムに没収される」
九条の虚ろだった瞳に、演算の光が走る。
「八神は自らの資産を防衛するためだけに、意図的に自軍を敗北させている。その前提条件ならどう考えても莫大な資産がトリガーだ、おそらく2000万から3000万ほどか。それならたかが組織の25万Rを守る選択肢は取らない」
九条は脳内で、このリーガル・ハックの全貌が組み上がり、雨宮礼奈の底知れない恐ろしさを瞬時に咀嚼したと思われる。
「……」
九条は、ソファに沈み込んでいた体を起こし、反動でヘッドホンが耳から離れた。
その瞬間、室内の空気がスッと数度下がったような錯覚を覚えた。彼を覆っていた「省エネ主義」が、音もなく剥がれ落ちる。
彼が角砂糖を噛み砕く音が、ひどく生々しく鼓膜を打つ。
「確かに、面白い仮説だ。あの女、無能だと思っていたが、相手の思考どころか『八神のエゴ』。それすらも盤上の『定数』として組み込んだ」
九条は目を細め、その冷たい瞳で、僕の顔を真っ直ぐに射抜いた。
「結果として、クイーンである八神を暴走させ、キングの切島に対する拘束へと変えた。味方のキングの退路を自らの手で塞がせ、手詰まり(ツークツワンク)に追い込んでチェックさせた」
彼は、芸術品を鑑賞した直後のように、うっとりと口角を歪める。
「他人の築き上げた数式を、身内の欲望で破壊させる。悪趣味だ、もし俺が指揮官ならあの八神を……いや、今はいい。これ以上潜れば、俺の脳が焼ける」
突然、彼はヘッドホンを耳に当てて、ソファに崩れ落ちた。
「そういえばさ」
僕は紅茶のカップを置き、思い出したように九条を見た。
「闘争前のあの日、旧校舎の裏の死角で、切島とお前が取引しているの、遠くからこっそり見えちゃってさ、お前何してたの?」
「……ああ。角砂糖が切れたからな。2万Rで、俺のゴミみたいな数字を公開した」
九条は淡々と事実を認めた。
「あははっ! 公開しちゃったんだ!」
僕は腹を抱えて笑った。
「うわぁ、マジで危なかったな、雨宮。そして、切島も買収相手間違えたね」
「切島の行動自体は間違いではない。むしろ、リスクヘッジとして合理的だ、俺はあの『九条家』出身だからな。運が悪かったとしか言いようがない」
そう、この学園の上澄やリーダー級なら誰もが知る、ギフテッドの量産工場『九条家』。
「あははっ。お前さぁ」
僕は、マカロンを放り込みながら、心底呆れたように笑いかけた。




