第41話 まず一つ目の素敵な事
「今日は奥様にとって、素敵な日になりますよ」
ローズが私にくれたこの言葉は、本物の予言みたいに、一日中、私の頭の上でキラキラとした光を放っていた気がする。
だって、今日は何をやっても、おかしなくらいに上手くいったのだ。
素敵な日になるしかない。そんな一日だったのだ。
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朝のお茶の時間。
大皿に山盛りにされたた新作ドーナッツを、得意げな顔をした料理長が自ら、金色のトングで取り分けてくれた。
「これは・・・!素晴らしいですね」
雷のカトリーヌが目を丸くして、言った。
私はカトリーヌが「これは」と言い始めてから「素晴らしいですね」と言い終わるまでの間に、ドーナッツを十二個食べてしまった。
だって、すごく美味しいのだ。
真ん中に穴がないドーナッツで、表面に薄く砂糖が塗されたており、冷たいクリームがパンパンに詰め込まれている。
そのクリームには、カトリーヌの領地から取り寄せた蜜月花酒を、たっぷりと混ぜ込んであるのだ。
華やかだけれども癖のある風味の蜜月花酒は、酸味の強いクリームと混ざり合う事によって、癖が消え甘酸っぱい軽やかな味わいへと変わっていた。
ドーナッツを齧った瞬間、口の中いっぱいにそのクリームが溢れるのだ。
「本当に美味しいわ。この組み合わせは成功ね」
二十一個目のドーナッツを食べ終えた私は、テーブルの横で控えていた料理長に目を向けた。
料理長は、得意げに小鼻を膨らませ、頷いた。
「はい。大成功です。この蜜月花酒は、なんとも興味深い酒です。個性が強い味をしているくせに、他の材料と合わせても喧嘩をせず、相手を上手く引き立ててくれます。それでいて自らの主張もやめないのです。興味深い!ええ。私はこの蜜月花酒を手に入れてから、色々な食材と合わせて試しております。昼夜を問わず。色々と。ええ。色々と」
「色々と?」
昼夜を問わず色々と試した疲れからか、睡眠不足からか、目の下を黒くして、思わせぶりな事を言う料理長に、私の期待がグッと膨らむ。
この思わせぶりな感じは、もしかすると、すでに別の菓子を完成させているのではないかしら。
立ち上がって料理長を問い詰めたいけれど、四十五個目のドーナッツを食べ終え、雷のカトリーヌからの呆れと非難が混ざった視線を感じていた私は、無作法な事はしない。
奥様らしく淑やかに料理長へと尋ねたのだ。
「例えば?どのような料理に試したのかしら」
料理長は、ニヤリと笑った。
「そう、で、ございますね。例えば全粒粉でドーナッツ生地を作ってみましょう。素朴で力強いドーナッツの生地です。その生地に甘くて癖のある蜜月花酒を混ぜ込んでみれば、どうでしょう」
「・・・・!」
しまった。ガタッと椅子を鳴らしてしまった。
どう考えても美味しくなりそうな組み合わせに衝撃を受け、思わず立ち上がりそうになってしまった。
雷のカトリーヌが咎めるような視線を向けてくる。
もちろん、私の斜め後ろ辺りで控えている侍女のローズも、同じ視線で私を見ているはずだ。
心を沈めなければ!
私は姿勢を正し、澄ました顔で「美味しくなりそうね」と言ったのだ。
しかし、怪しい料理長は、更に続けてきた。
「では、奥様。そのドーナッツ生地を澄んだ油で揚げた後、蜜月花酒から作ったシロップに浸してみては、どうなるでしょう」
「・・・・!」
揚げて浸す?そんな背徳的な!
グッと体温を上げた私に、料理長が更に、怪しく囁きかけてくる。
「たっぷりとシロップを染み込ませたそのドーナツの上には、砕いた木の実を振り撒きましょう」
「ふ、振り撒くの?」
「くくく。ええ、振り撒きますとも。甘くしっとりとしたドーナッツの上に、香ばしい木の実をパラリパラリと!」
そんな!絶対に美味しいじゃない!
食べたい。今すぐ食べたい!
私は震える手を料理長に差し伸べた。
「あるのかしら?」
「何が、でしょうか?」
「そのドーナッツはもうあるのかしら?もう完成しているのかしら?完成していると言ってちょうだい。この後、ここに出てくるのでしょう?」
震える声で問い詰める私に、料理長は怪しい笑みを浮かべながら尋ねてくるのだ。
「ふふふ。どう思われますか?奥様。そのドーナッツは、あるのか。ないのか」
「あ、あるわ!きっとあるわ!」
「出てくるのか。出てこないのか」
「で、出てくるわ!お願い!料理長!出てくると言ってちょうだい!」
「くくく。どちらでしょうね、奥様。あるのか、ないのか。出てくるのか、出てこないのか。くくく!面白くなってきましたね!奥様!」
その時、怪しく笑う料理長の後ろから、可愛らしい女性の手が伸びてきた。
その手は、料理長の肩に、とん、と置かれたのだ。
はっと振り返る料理長。
「ローズ?え?痛い!何をするんだ、ローズ!」
いつの間にか料理長の後ろに立っていたローズが、料理長の肩をギリギリと握り潰している。
「料理長。奥様に、ふざけた態度を取るのはやめてください」
「そんな。ちょっと奥様を楽しませて差し上げようと思っただけで。痛い!離してください!ローズ!」
悲鳴を上げる料理長に、別の方向から静かな声がかかった。
「料理長」
呼ばれてそちらに目をやった料理長は、痛みで赤くなっていた顔を、たちまち真っ青に染め上げた。
先程までそこにいたカトリーヌは消え去っていた。
今、そこにいるのは、ふざけた態度の料理長に対するドス黒い怒りを溜め込んだ『雷のカトリーヌ』だった。
「雷のカトリーヌ・・・・」
料理長が、思わずと言った口調でつぶやいたその言葉に、カトリーヌは不快げに眉を寄せだ。
「その呼び方は好きではないと、何度も言ったはずですがね」
「あ。しまった。いや。つい。いや。違う。違うんです。カトリーヌ!」
「あなたは昔から、短慮なところがありましたね。仕事熱心なのは良い事ですが、疲れるとすぐ分別がつかなくなる癖が直っていないようですね」
「いえ。もう私はあなたに毎日怒られていた子供ではありません。じっくりと考え、落ち着いて行動する。そんな大人に成長しております!」
「まあ。本当かしら。では、久しぶりに、少し『お話』をしてみましょう」
「嫌です。『お話』は嫌です!それに、私は奥様に最新作のドーナッツをお出ししなくては!」
やっぱり最新作ドーナッツがあるのね!
飛び上がって喜びそうになったけれど、飛び上がるなんてそんな過ちを私は犯さないのだ。
だってローズとカトリーヌ(孫と祖母)が、試すように私を見ている。
ここは絶対に間違いを犯してはいけない場面なのだ。
「まあ。料理長の最新作があるのですか。楽しみですわ」
私は鋼の精神で喜びを押し殺し、奥様らしく優雅に微笑んでみせたのだ。
よし。
カトリーヌは満足げに頷いた。
よし。
ローズも可愛らしく微笑んでいる。
よし。合格した。切り抜けた。よし!
カトリーヌは料理長の隣に立ち、私に言った。
「ドーナッツは別の者に運ばせましょう。料理長。あなたは私と一緒にいらっしゃい。『お話』をしましょう。では、奥様。私達は先に下がらせていただきます」
「嫌です!『お話』は嫌です!奥様!助けてください!」
助けなかった。
だって怖いもの。
『お話』って何なのかしら。ただのお説教にしては、料理長の恐怖が強すぎる。再教育?粛清?ああ。何にしても、恐怖の何かに違いない。
さようなら料理長。頑張って。
「奥様!助けて!」
私は奥様らしい慈悲深い目で料理長を見送ったのだ。
二人が出て行った後、すぐ、侍女たちが最新作のドーナッツを持ってきてくれた。
見慣れない侍女たちだった。
「あなた達はもしかしてシモーヌ伯母様のところから来た人達かしら」
「はい。今はこちらのお屋敷で、クロディーヌ様にご指導いただいております」
侍女達はピンと背中を伸ばし、希望に煌めく瞳で次々とドーナッツを運んでくる。
嵐のクロディーヌはやはり凄腕だ。
指揮下に入った人の気持ちを短期間で湧き立たせ、こんなにもやる気に満ちた使用人や奥様に仕上げてしまうのだから。
新人侍女達が運んでくれた最新作ドーナッツは、痺れるように甘くて美味しかった。
紅茶と一緒に食べると、最高に幸せになれるドーナッツだった。
すっかり満足していると、指先の玉ちゃんが「良かったね」とでも言っているようにピカピカ光った。
部屋のあちこちから私を見ていたチルちゃ達も、ニコニコしている。
やはり今日は、ローズの予言通りに『素敵な日』になろうとしている。
私もニコニコしながら、そう思ったのだ。




