第42話 次のキュンとした素敵な事
雷のカトリーヌとの素敵な朝のお茶会の後は、ダンスの授業だ。
「素晴らしいです、奥様!」
今日もまた耳元に赤い羽根を翼のように飾った初老のダンス教師は、たった一曲、私と踊っただけで、たちまち目を輝かせたのだ。
「今日の奥様のダンスは、昨日までとは違います。確実に良くなっています。こうも一日で成長するとは!素晴らしい!その上、奥様は、私がこの羽根の動きに持たせた意味さえも、理解し始めていますね!そうなのでしょう、奥様!」
全然そうではなかった。
全然理解できなかった。
むしろ、目障りだった。
昨日までよりもチロチロチロチロと小賢しい動きを見せる赤い羽根を、なるべく視界に入れないようにして私は踊っていたのだ。
今日の私のダンスが素晴らしいと言うのなら、それはダンスの教師の羽根を無視したおかげだった。
だから、私は教師の羽根の動きの意味など理解していないのだ。
・・・でも。
でも、でも。
所詮、私はダンスの素人だ。
ダンスの教師がこんなに褒めているのに、素人である私が簡単に否定してしまってもいいものだろうか。
羽根の動きを理解してないと思うのも、ダンスの素人である私の思い違いで、本当は、理解し始めているのかもしれない。
だって、ダンスの教師が、こんなに絶賛してくれているのだ。
もしかすると自分でも気付かないうちに、ダンスが上手くなって、「理解し始めている」のかもしれない。
そんな気がする。
いいえ。きっとそうに違いない。
そういう事にしてしまおう。
目を血走らせ「理解し始めていますね、そうなのでしょう!」と繰り返すダンス教師に、私は確信ありげに頷いたのだ。
「ええ。分かった気がします。ほんの少しだけですけれど」
「やはりそうなのですね!素晴らしい!この動きの意味も。そしてこの動きの意味も、奥様には分かるのですね!」
感激した教師の激しいダンス。おかしな動きをする羽根の動き。
私には全然分からないけれど、もしかすると分かっているのかもしれない。
「チルチルチル!」
ダンス教師の複雑な羽根の動きに、チルちゃん達が大喜びで手を伸ばしてついていく。
玉ちゃんもピカピカ光る。
「素晴らしい!素晴らしい!」
ダンス教師が私を褒め続けているので、だんだん、その気になってきた。
ピアノを弾いてくれる若い女性に、得意げな視線を向けてみると、彼女はいつものように気弱げに、そっと視線を逸らした後、優しげなメロディをポロンと鳴らしてくれた。
彼女がそんなメロディで答えてくれたのは初めてだった。
少し褒めてくれたのかもしれない。
素敵な日には、こんなに素敵な事が起こるのだ。うふふ。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
マナーの授業でも褒められた。
「良く出来ております」
今日もまた灰色のドレスを着たマナーの教師マーガレット・ハディ先生は、瞬きをほとんどしない瞳で私を見つめ、無表情に褒めてくれた。
「まあ、本当ですか?」
「はい。良く擬態できております」
擬態・・・・これは褒め言葉なのだろうか。
先日の授業で擬態を薦められ、私も「擬態をします」と宣言したけれど。
確かに、やる気になっていたけれど、私は今日、マナーの授業を受けていたつもりだったのだ。
・・・・けれど、マーガレット先生はすでに完全に擬態の授業へと切り替えてしまっていたらしい。
私にマナーは無理だったのか。
・・・・まっ。それなら、それでよし。
マナーであれ、擬態であれ、目的である舞踏会で成功できるなら、私としてはどちらでも良いのだ。
今日からこの授業は『擬態』の授業。
はい。了解。
切り替えの速さと、現実を受け入れる速さは、私の数ある長所のうちの二つなのだ。
「擬態をこれからも上手くやっていこうと思います」
力強く宣言する私に、マーガレット先生は頷いた。
「今の奥様でしたら、舞踏会も上手く乗り越えられるでしょう。しかし、もしも、舞踏会で何か困った事があれば、私の息子に声をかけてみてください。先日お話しました私の三番目の息子が所属する第一騎士団が、舞踏会の警護に加わるそうです。何かの助けになるかもしれません」
「三番目の息子・・・擬態をしている強者ですね」
「ふふ。はい。擬態している強者の息子です」
八歳で兄に勝ち、十歳で騎士団長である父に勝ち、十二歳で魔物を素手で倒した息子なんて、物語の中の人のようだ。
どこか遠い存在に思えていたけれど、舞踏会で会えるのだ。
「楽しみですわ」
私はしみじみと言ったのだ。
そんな私をじっと見ていたマーガレット先生が、更に続けた。
「騎士団の中に、灰色の瞳をした若い大男がいれば、それが私の三番目の息子です。名前はヴォルカン。ヴォルカン・ハディ。是非、声をかけてください」
マーガレット先生の息子に会えるかもしれない。
素敵な事がまた増えた。
⭐︎
「上手くやったみたいじゃないの、エルサ様」
図書室に現れた流行の教師、ジョルジュ・モロー子爵は、相変わらず鮮やかな色の衣装を着て、髪には大量の羽根を刺していた。
「チルチルチル!」
チルちゃん達はすでに大興奮で、ジョルジュを取り囲み、わさわさと揺れる羽根に向かって手を伸ばしている。
「上手くやったって、どの事を言っているの?」
読んでいた貴族名鑑をパタリと閉じて、ジョルジュに尋ねたのだ。
私は、大抵の事を上手くやっているので、どの上手くやった事を褒められているのか分からなかった。
「あら、いいわね。相変わらずね。その自信たっぷりな感じ。最高だわ、エルサ様。くくく」
ジョルジュは嬉しそうに笑いながら、いそいそと私の向かい側の席についた。
「シモーヌ様とイブの事よ。遊び人の旦那のせいで落ちぶれそうなのに偉そうなシモーヌと、つんと偉そうに澄ました美人顔のイブ。私、あの人たち嫌いなのよねえ。でも、ほら、あの人たち、怖いじゃない。私、あの人たちに会うと、胸がギュッとなっちゃうの。もう怖くて怖くて」
大量のフリルで飾られた自らの分厚い胸板を、小指を立てた大きな両手でギュッと抱きしめるジョルジュ。
「シモーヌ様とは仲良くなれたし、イブとも分かり合えている気がするわ。でもシモーヌ様の旦那様は遊び人なの?イブはそれほど偉そうにしてるかしら?」
「イブは偉そうだし、シモーヌ様の旦那は遊び人よ。遊び人って言うより、女好きかしら。女なら誰でも口説くような男よ。舞踏会に来るから、エルサ様も気をつけて。でも、まあ、エルサ様の旦那様みたいな大迫力の美丈夫が側にいれば、声をかけてくる事もないでしょうけどね。くくく」
楽しそう笑った後、ジョルジュは不意に真顔になり、
「でも、気をつけなさいね。エルサ様。気をつけるのは良い事よ。舞踏会みたいな場所は特にね」と、呟くように言った。
「舞踏会は怖い所なの?」
「ああ。そうだよ」男臭い顔になったジョルジュが、しみじみとした声で答えた。
「私を心配してくれているのね」
「友達だからな」
ジョルジュは男臭くそう言った後、何かを振り払うようなチャラチャラとした笑顔をして「でも、舞踏会には私も行くから大丈夫よ。困った事があったら、頼りにしてちょうだい」と言った。
男臭いジョルジュは本当の事を話すし、チャラチャラとしたジョルジュは嘘つきだ。
つまり、心配はしてくれるけど、助けてはくれないらしい。
それは仕方がない。ジョルジュにだって事情と立場があるのだ。
私は別に気にしない。
「分かったわ。それなら、ジョルジュも舞踏会で何か困った事があったら、私を頼ってちょうだい」
私の言葉に、ジョルジュは瞬きをした。
「エルサ様が私を助けてくれるの?」
「もちろんよ。友達だもの」
私は力強くそう言ったのだ。
ジョルジュはしばらく私の顔を見つめ、
「・・・今、俺の胸がキュンとした」と男臭く言った。
ジョルジュの胸をキュンとさせたのは、やっぱり今日が素敵な日だったからかもしれない。




