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第三章 仮面の思惑(十七)

 「……っ、離せ」


 素足を無骨な手が這った瞬間、唸るような低さで告げ、カレンは油断して緩んでいた男の右腕をすばやくねじ上げた。お互いの身体が入れ替わり、重みで寝台が軋んだ音をたてる。襟元をつかんで締め上げながら、アマニの右腕を足で踏みつけ動きを封じた。

 瞬く間に立場が逆転していた。己の技量に相当な自信があったのだろうアマニは、呆然とカレンを見上げている。


 「相手を見くびり油断するからだ、阿呆が」


 ぼそりと吐き捨てると、なにを思ったのか仮面の下でアマニがはっと笑った。

 背中にぞわりと悪寒が走る。飛びのこうとした直前、寝台についていた膝が振り払われた。体勢が崩れかけるが、足に力を入れ踏みとどまる。

 だが、男が力任せに上半身を起こした反動でカレンの身体がふわりと浮いた。そのまま腰を捕まれ、寝台の上部に追い込まれる。

 柔らかな枕に背中が押し付けられると、男の身体が囲いのようにカレンを閉じ込めた。


 「おもしろい女だな」


 剣呑な光が浮かぶ黒色の瞳を細め、アマニがうっそりと笑う。どうやら無用に煽ってしまったようだ。

 殴ってみてもいいが、そう簡単に気を失ってくれそうにもない。いっそ、寝台のそばに置いてある花瓶を頭にたたきつけてみるか、とまで考えたところで、部屋の扉がみしり、と軋んだ。


 「――なんだ?」


 アマニも気付いたらしい。扉に訝しげな目を向ける。ごつっと重い音と共に、取っ手が床に転げ落ちた。激しく蹴り飛ばされたらしい扉が内側に開き、限界まで開かれた蝶番が不快な金属音を立てる。


 「……ええ?」


 うっかり間の抜けた声がでた。狩りをする獣のように音無く飛び込んできたのは、黒い仮面で顔の半分を覆った濃い栗毛の男――リューイだった。深緑の地に金の淵飾りがある短い外套から、紺色の袖に包まれた腕が伸ばされる。カレンに覆いかぶさっていた男の襟元をつかみあげると後ろに引き剥がし、そのまま寝台から放り出した。細身のどこからこの力がでてくるのかと唖然とする。


 「なんだ貴様」


 きれいに受身をとったアマニが、床に膝を着いて突然の侵入者をきつく見据えている。が、黒い仮面から覗くリューイの青い双眸はそれ以上に危険な色をはらんでいた。


 「下衆に名乗る名はない。こちらへ」


 最後の一言はカレンに向けられていた。乱れた裾を手のひらで払って整え、寝台から滑り降りる。

 慌てて扉に向かったカレンよりも早く、アマニがリューイに飛び掛った。外套を翻し、軽く身を傾けて避けると、リューイは向かってきた相手の腹に一発、無言で拳を叩き込んだ。かなり容赦の無い一撃だった。短く呻きいたアマニが、身を折って崩れ落ちる。


 「――彼女の裾を乱した罪は許しがたい」


 正体を隠すためもあるのだろうが、普段よりもかなり低い声だ。その抑揚の無さに、カレンはリューイが本気で腹を立てていることを知った。


 「……おい、ちょっとま……」


 咳き込みながら制止する男の襟首を再びつかみ、彼を立たせようとしている。


 「駄目です、おやめください」

 「なぜ? 君を襲おうとした男だ、庇う必要はないと思うけど」


 リューイは腕に取りすがって引き止めるカレンすらも冷たく見下ろす。獣と呼ばれるに足る理由が彼にはあるのだと思い出し、腕をつかむ手に力が入った。


 「ええ、庇ったりはしません。ただ、ここにぐずぐずしていては騒ぎになります――退きましょう」


 出来うる限り冷静に答えたつもりだ。リューイが一度瞬きし、なにもいわずに手を開いた。アマニが腹を押さえ床に転がる。

 カレンの腰に腕を回したリューイが、踵を返す。部屋をでると、案の定、幾つかの扉が僅かに開いていた。何事かと様子を窺っているのだろうが、場所柄もあり積極的に向かってくるものはいない。


 「……申し訳ありません、彼に気付かれてしまいました」

 「仕方がないよ。少なくとも今夜はあちらも引き上げるだろう。こちらも体勢を立て直す」


 やはり。アマニの動向を探る絶好の機会を逃してしまったということだ。きゅっと下唇を噛み締める。

 カレンはリューイの歩く早さにあわせ、屋敷の中を早足に進む。幸い誰にも咎められることなく、ふたりは屋敷の外、目立たない場所に停められていた馬車まで行き着いた。

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