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第三章 仮面の思惑(十五)

 「なんというか……荒んでいますね」

 「まあね、場所が場所だから」


 肩をすくめるリューイから視線を外し、辺りを見回す。

 必要以上に密着した男女の手には、怪しげな飲み物のたっぷり入ったグラス。白い煙でけぶる中、柱の陰で睦みあう姿はひとつやふたつではない。

 リューイの腕に自らの腕を絡めて回廊をすすむうち、カレンは無造作に転がっている酒瓶やら脱ぎ捨てられた上着やらを幾度も避ける羽目になった。

 いったいこの館の倫理観はどこに行ったんだ、と仮面の下で眉を顰める。無秩序な空間がどうにも我慢ならない。隠居生活を切実に希望しているカレンだが、どこか几帳面であるのは、幼いころからの躾の賜物に違いなかった。


 「これでよくもいままで憲兵の目からのがれられていたものです」

 「……うーん、それはなんともね」


 リューイの曖昧な笑みに、カレンは更に眉を顰めた。


 「なるほど、ガブロア家と憲兵隊は懇意ということですか」

 「ガブロア家の現当主はなかなかにしたたかでね。こちらとしても犯罪者が集まってくれるならそれに越したことはない、持ちつ持たれつの関係だよ。いまのところは」


 ひそめられた低い声に、ふっと短く息を吐く。

 特定の場所に、特定の人物が集まる。目当ての人物をおびき出すことが容易になるのは確かだ。治安の乱れと天秤にかけた結果、憲兵隊としては甘い餌を残すことにしたのだろう。

 けれどそれもお互いの利害が一致していればこそ。ガブロア家が一線を越えれば容赦はしないという含みがカレンには感じられた。


 ――ガブロア家当主も、叩けば崩れ落ちそうな危険極まりない橋をよく渡る気になったものだ。


 半ば感心していると、リューイがどこか面白そうに見下ろしてきていることに気がついた。


 「なにか?」

 「いや、もっと憤るかと思ってた」


 さすがにそこまで潔癖ではない。それに――。


 「ここを取り潰したとしても、根本的な解決にはならないと思っているからです」


 そもそもこの場所が必要になってしまった原因、犯罪者が作り出される仕組みこそを改善しなければ、一か所に集まっていたものが散り散りになるだけだ。それではきっと意味がない。


 「まったくね、皇国の主殿はあいかわらず虎視眈々とこちらを狙ってくれているし、国境の小競り合いもいまだおさまらない。停戦からこちら、地にもぐるようになった分、規模が小さくなったけれど性質は悪くなっている。治安の安定を阻む要素はたっぷりだ。完全な平和はまだ少し先かな」


 敷物の上に転がった茶色の壜を跨ぎ越え、やれやれと言いたげにリューイが大仰なため息をつく。


 「でも、あなたはやり遂げてくださるのでしょう?」


 服越しに触れていた硬い腕が、かすかに震えた。

 辺りが薄暗い上に、トップハットと仮面では、リューイがなにを思ったのか慮ることはできない。けれど、二人の間に落ちた静けさが、リューイの動揺をあわらしているように思えた。


 「間違っていましたか?」


 首をかしげ尋ねると、唯一あらわになっているリューイの口元がふっと緩む。


 「いや――間違ってないよ」


 まったく迷いのない声だった。動揺しているように思えたのはやはり気のせいか、とカレンは苦笑しつつ前を向く。

 幾らか薄暗さが和らいできていた。楽団の奏でる音楽が徐々に大きくなってくる。王宮とは比べるべくもないが、下位貴族の屋敷より格段に豪奢な広間だ。

 大胆に肌を見せる女性たちが男性のリードにあわせ花のように舞っている。男女どちらにも、当然といえば当然だが、まるで初々しさは感じられない。

 リューイに促されるまま、舞踏の輪に端から滑り込む。しなやかな長身にも、硬い腕にも、柔らかな青い瞳にもすっかり馴染んでしまった。


 ――たぶん、次の別れは前よりもずっとつらくなる。


 はっきりと認めてしまった気持ちは、結局この先どうすることもできない。行き場がない。誰かに伝えるつもりもない。だからいまは己に課せられた役割を果たすことに集中する、それがカレンの結論だ。

 周りに合わせてホールを回りながら、不自然にならない程度に、辺りに目を向ける。壁際、ひっそりと目立たない場所に、影のような闇色の男が佇んでいた。仮面に、羽飾りのついたトップハット、張りのある外套で身をくるんでいるため背の高さ程度しか外見の特徴がわからない。だが、隙のない立ち姿には覚えがある。


 「ランド様、あの方」

 「うん、間違いないだろうね。まずいな、既に誰かと接触中だ」


 闇色の男――アマニの右横には、ひとり分の空間をあけて、グラスを片手に男が立っていた。

 当然のことながら顔は仮面に覆われており、あいにくとこちらもたっぷりした羅紗のマントを羽織っているため、体つきが判然としない。だが、アマニよりもだいぶ背は低く、そわそわと周囲を見渡す落ち着きのなさはとても頼りなげだ。

 どちらもパートナーは伴っていないが、一夜の関係を求める男女も多く見受けられるこの場では珍しくはない。

 アマニの口元がかすかに動いた。羅紗マントの男がびくりと肩を震わせる。


 「なんと言ったのでしょう?」

 「見つけろ、かな」


 さらりと答えたリューイをやや驚きをもって見上げる。

 唇の動きで会話を読むことは知っていたが、あれほどかすかな動きでもわかるとは思っていなかった。


 「便利だよ? 色々と」


 端正な口元にきれいな笑みが浮かぶ。便利には違いないだろうが、今この場で自分の言葉が見知らぬ誰かに読まれているかもしれないと思うと、ぞっとしない。


 「……貴族のご婦人方が扇を手放さない理由が少しわかりました」


 ため息とともに吐き出すと、リューイがくっと吹き出した。


 「なにを『見つけろ』なんでしょうか?」

 「さてね、順当に考えれば例のアレだろうけど」

 「ですよねえ」


 意外に速い曲調に合わせ、ふたりは人にまぎれながらじりじりと壁際に寄る。けれど、アマニが言葉を発した後、もう一方の男は俯いて黙り込んだままだ。

 潮時とみたのか、あきれ果てたのか、アマニが突然その場を離れた。羅紗マントの男は、引き止めるように片手を上げかけたが、結局そのまま力なく腕を下ろし、アマニとはまったく逆の方向へ歩き始めた。


 「こちらも二手にわかれましょう。ランド様は羅紗マントの方を――羽飾りの君はわたしが追います」


 誰に見られているかわからない以上、アマニの名も出さないほうが賢明だろうと、咄嗟に目に付いた特徴で呼んでみたのだが、リューイには正しく伝わったらしい。


 「駄目だ。別行動は認めないといったはずだよ」

 「非常事態です。それに羽飾りの君とわたしはほぼ面識がありませんから、あなたが追うよりはマシですよ」


 こうしてやり取りをしている間にも、アマニともうひとりの男は遠ざかっていく。丁度、男女の団体が二人のそばを通りかかったのを幸いと、リューイの手を逃れ、カレンは人ごみに紛れ込んだ。

 後ろからかすかに舌打ちが聞こえたが、構わず人の壁を避けてアマニの背中を追った。


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