第三章 仮面の思惑(十三)
淡いローズピンクに小さな薔薇が刺繍された生地の長椅子。カレンはそこに畏まって座っていた。
アミーリアの私室は、彼女そのものというような可愛らしい装飾で彩られている。これまでの人生でまったく馴染みのなかった雰囲気になんとも落ち着かない気分だ。
その境遇により、そもそもまわりに同年代の女性がとても少ない。昔なじみの女性は数人いるが、皆、質実剛健、簡素なものを好む性質であり、彼女たちが花柄の私物を持っているところなど、ついぞ見たことがなかった。カレン自身、父であるシーバルグ伯が身の回りのものを選んでいなければ、恐ろしく簡素なものになっていたであろう自覚がある。
「カレン様、お茶はいかがですか?」
「いえ、もう充分いただきました。ありがとう」
「そうですか」
向かい側の椅子に腰を下ろしたアミーリアは、どこか戸惑ったようにとび色の瞳をさまよわせている。
カレンは口を挟まず、ただじっと待っていた。俯いていたアミーリアが、意を決したように顔を上げ、その視線が定まった。
膝の上できつく握り締められた両手が、彼女の緊張を伝えてくる。
「あの、まず確認させてください。エレノア様はモネ様に想いを寄せられている、そうですよね? カレン様は、モネ様の想い人を捜して欲しいと頼まれたのですか?」
「……ええ」
迷ったすえにカレンは肯いた。ポンパヴェル子爵夫人との関係を調べることは内密だが、モネの様子を知りたがっていることをエレノア自身が隠そうとしていないからだ。だが、ヴィバック侯爵家の茶会でカレンはジュリエッタにモネの想い人を捜しているという話はしていない。なぜアミーリアがモネの想い人という話を持ち出してきたのか気になった。それまでの話の流れから思い至ったのかもしれないが、そう考えるだけの何かにアミーリアは心当たりがあるのではないか、と思える。
「言うべきか、ずっと迷ってましたが……モネ様のことなのですけれど、実のご姉弟ではなかったのです」
「え?」
思わず声が漏れた。カインとして過ごしていた間にも、アルノが義姉だときいたことはなかった。王都に上る途中で目を通した簡単な家系録にも載っていなかったはずだ。だが、アミーリアが偽りを述べているようには見えない。そもそもカレンに対してそんな嘘をつく理由がまったく思い当たらない。
「ご存知ではなかったですよね……?」
アミーリアの声はやや上擦っている。他家の内情に関すること――しかも故人とはいえ、親しく付き合いのあった女性に関することだ。カレンに話すにはそれ相応の覚悟が必要だったのだろう。
「隠されていることではないのです。けれどあまり知られてはいないようで……。アルノ様は後妻に入った方が連れてこられたお子でした」
「モネ様と血縁関係はない、ということですか」
「いえ、 後妻に迎えられた女性は、ヨークス家の血縁者だったので、まったくないということは……」
「ああ、それであまり知られていないのですね」
「はい、そうです」
既に跡取りがいる家に入った血縁関係のある後妻、連れてきた子供が幼く男子でなかったこともあり、アルノは前コックス伯のほぼ実娘として育てられたのだ。
現在の制度では女性が爵位を継ぐことはできず、たとえ結婚して夫を得たとしても、その夫の継承順位は決して高いとはいえない。だからこそ、親族の反感を買うことなく、アルノは実子同然の扱いを受けることができたのだろう。
「先程もお話しましたが、以前はよくモネ様とアルノ様がご一緒に我が家を訪れてくださっていて、そのときに――モネ様の心はアルノ様に向いているのではないか、と……」
膝の上にそろえられた小さな手が、小花柄の散る薄緑のドレスを握り締めている。アミーリアの言わんとしていることに、カレンは息を呑んだ。
アルノが亡くなってから既に十年の歳月が過ぎているというのに、いまだ深く悼む気持ちを感じさせるモネ。それは、深く想った相手だからこそ――。
「あの方は、一生、ご結婚なさらないかもしれません」
かすれた呟きに、カレンは呆然としながら首を振る。
「伯爵家当主としてそれは……」
許されることではないだろう。世継ぎを残すこともまた、当主としての使命だ。けれどアミーリアは、寂しげに笑って目を伏せた。
「ご親族の中から養子をとられるのではないか、と思います。……カレン様、アルノ様が亡くなられた原因をご存知ですか?」
「相続争いの渦中でなくなられたとはきいていますが」
「――モネ様を庇って、命を落とされました」
なにもいうことができなかった。後妻に入った女性の連れ子、血のつながりのない姉。それはモネにとって思慕の対象になった可能性はあるだろう。
しかも、自身をかばって命を落としたとなれば、モネにとって、生涯忘れることはできない女性になっていてもおかしくはない。いや寧ろそうなって当然だろう。
アミーリアの話が本当だというなら、エレノアの恋はおそらく前途多難だ。相手は、既に生なき女性なのだから。
「話してくださってありがとうございます、アミーリアさん」
深く息を吐きながら、カレンはいつの間にか張り詰めていた肩の力を抜いた。俯いたままのアミーリアが強く首を左右に振る。
どれだけの勇気をだして話してくれたのか、カレンは改めて礼を告げ、アミーリアから手渡された焼き菓子と共にベルポック男爵邸を後にした。
――果たしてモネ様はポンパヴェル子爵夫人に本気なのか、否か。
王宮に帰る馬車の中。背もたれに身を預けたカレンは、天鵞絨の張られた天井を見上げ、目頭を押さえた。
エレノアが情事の場面を目撃している以上、モネとポンパヴェル子爵夫人の間になにもないという可能性は低い。問題は、それが夫ある身の女性を略奪するほどのものなのか、ということだ。
モネと話してカレンの得た印象は、影が増しているとはいえ不誠実さとは遠いものだった。
――もしポンパヴェル子爵夫人に本気でないとするなら――何かを探っている? だが、なにを?
馬車の振動にあわせ、頭の芯が鈍く痛む。まとまらない考えに神経がささくれ立つのを感じる。ため息をついて身を起こし、窓にかけられた覆い布を押し上げた。
王宮に続く町並みは、落ちかけた陽に染まり輝いている。十二年戦争の間も戦禍に晒されることのなかったこの都は王国の歴史を色濃く残しているが、膿んだ気配はどこにもない。人々は活気に満ち、生を謳歌している。王家が、貴族が国民が――カレンの父であり、リューイもまた守った都だ。
エバーグリーンの瞳がぼんやり見つめる先には、赤く染まった王宮が聳え立つ。カレンの心を誰よりも乱す金の獣が棲む場所。
「多分、わたしにはみえていないものが多すぎる」
これまで知識は詰め込んできた。だが、経験不足はいかんともしがたい。人との関わりを極力避けてきた付けをいま払っているのだろう。
モネについてはまず身辺を調べていく。なにかに巻き込まれていないか、興味を持っていることはないか。遠回りだが確実に駒を進めていくしかない。
そして、もうひとつ。モネの言葉がもたらした、心の底に引っかかる棘は――。
「どうすることもできない」
乾いた声は小さく、進む馬車の音にかき消された。
『少し姉に似ていたもので』
ずっと独り身を通してきた王太子の婚約者として選ばれたカレンは、アルノに雰囲気が似ているという。そのアルノは、平和の象徴であるカティアスを好む少女だった。それが、何を意味しているのか。
――殿下、もしかして、あなたの戦女神は……。
小さく息を吐き、そっと瞑目する。夕陽は、閉じた瞼まぶたのうえから容赦なくカレンを照らした。




