第三章 仮面の思惑(十ニ)
「モネ様は、シーズンの終わりまでこちらに?」
「そのつもりです。カレンさんは終わった後もこちらに?」
「いえ、シーバルグ伯領に戻るつもりです」
にっこり答えつつ、カレンは内心ため息を漏らしていた。話の内容に関わらず、モネは自分のことをあまり話そうとはしない。それどころか、矛先を相手にさらりと切り替えてしまうのだ。
アミーリアが来客の接待で席を外したのは半刻ほど前。残されたカレンは当たり障りのない話題からモネの話を聞きだそうとしているのだが、うまく運んでいるとはいいがたい。一応、子爵の話題もそれとなく出してはみたのだが、モネの態度に変化はなかった。わずかの動揺も垣間見えないのではさすがにお手上げだ。
リューイも相当に厄介だが、モネもまた別の意味で面倒な相手だ。人当たりのよさで覆い隠されてはいるが、心のうちに深く立ち入らせるつもりがまったくないのだろう。
――これは予想以上に鉄壁だな。どう切り崩したものか。当てがあるにはあるんだが……。
これまでの会話で、モネが感情を揺らめかせたのはアルノに関するものだけだ。だが故人を利用するのはいささか気が引けた。なによりそれだけ思い入れの強い相手では、話の方向が如何転ぶかわからない。いわば諸刃の剣だ。
糸口を見つけられないまま悪戯に時間だけが過ぎていくが、まだシーズンが終わるまで猶予はある。夜会や園遊会に参加していれば、モネに会う機会も多いはずだ。今回はこのまま波風を立てずにいるべきだろう、とカレンは判断した。
「モネ様は、殿下とご学友だったのですよね」
「ええ、カンディアで過ごした時間はなかなかに得がたいものでした。多少無謀なこともしましたが……」
モネが懐かしそうに目を細める。苦笑しているのは、リューイと共にあまり褒められないことをしでかした所為だろう。
「無謀なことを率先していたのは殿下だったのでは?」
くすくす笑うカレンに、モネが困ったように首をかしげた。やんわりと諌めるモネを唆すリューイの姿が目に浮かぶ。
彼もさぞかし苦労したのだろう、とモネがカンディアを去った後、同じような経験をしたカレンは多少の同情を覚えずにはいられなかった。
――けれど殿下には……。
「無謀ではあっても、行動の源には常にゆるぎない信念がありました」
抑制された低い声に、はっとする。考えていたことを見透かされたのかと思ったが、モネは自身が手にしたティーカップに目を落としていた。
カレンの視線に気がつくと、わずかに微笑み紅茶に口をつける。モネの所作は、何気ない仕草ひとつにしても洗練されている。
白磁のカップを持つ整った指先は荒事とは縁遠い――と、大概の者が思うだろうが、カンディアにいた頃、モネはリューイと遜色ない力量の持ち主だった。
「殿下を信頼されているんですね」
「それは貴方もでしょう? ああいや、カレンさんの場合は恋情ですよね」
「……れ」
ほんの少し持ち上げていたカップがソーサに触れて硬い音を響かせる。
――れんじょう? わたしが? 恋情? 殿下に?
笑顔を凍りつかせ愕然とする。が、表面上はしとやかに微笑んでいるので、モネが不審に思った様子はない。
「大切なひとを理不尽に奪われることのない国、それが私の理想です。リューイ殿下はきっと賢君になられる」
静かな呟きに、否定や皮肉はまったく感じられなかった。
モネがカップを受け皿におく。丁度紅茶を飲みきったその時を見計らったかのように、アミーリアが戻ってきた。よほど急いできたのか少し息が切れている。
「モネ様、カレン様、申し訳ありません。お茶をもう一杯いかがですか?」
アミーリアの若々しさは一瞬で周囲を和ませ、カレンはようやく凝り固まった笑みを緩めることができた。
「いや、すまないけれどこれで失礼するよ。お茶とお菓子をごちそうさま。とても美味しかった」
傍らに置かれていた帽子とステッキを手に立ち上がった青年伯爵は穏やかに微笑む。
アミーリアがきゅっと両手を組み合わせ、モネを見上げた。
「そうですか。では、必ずまたいらしてくださいね。絶対ですよ、お待ちしておりますから」
「ありがとう。けれどもう、アミーリアの焼き菓子は食べられないかもしれないな」
沈んだ調子のモネにエミーリアが、え、というように目を見開く。
「だってほら、今シーズンで君にいい人ができて嫁ぐことになるかも」
ふっとモネが笑った。まるで妹をからかう兄のようだ。アミーリアの頬が仄かに赤くなる。
「もう、モネ様……っ、そんなことありません。いえ、もしそうなっても、この時期には絶対、家に戻ってまいりますから」
「じゃあやさしい夫を見つけないといけないね」
「え……が、がんばります?」
如何こたえればわからなかったらしく首をかしげたアミーリアの横で、カレンは笑いをかみ殺していた。
――結局ポンパヴェル子爵夫人とモネ様の関係はわからずじまいだったな……。
淹れたてのお茶を前に、知らずため息がこぼれる。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでもありません」
不思議そうなはとび色の瞳に覗き込まれ、あわてて横に首を振る。
モネが帰った後、カレンはアミーリアに薦められるまま、再びお茶をご馳走になっていた。
「アミーリアさんは、モネ様と昔から親しくなさっていたんですか?」
「はい、わたしが小さな頃、モネ様はアルノ様と一緒によく我が家へいらしてたんです」
屈託なく肯いたアミーリアが、焼きあがったばかりのアプリコットパイをカレンと自身の皿に取り分ける。
こんがりと焼けた表面に艶のあるシロップ。至福といわんばかりに口元へ菓子を運ぶアミーリアは、結構な健啖家であるらしい。
先程から見ている限り、この小さな体のどこに入っているのだろうと疑問に思う程度には、よく食べている。
カレンも決して食が細いほうではないが、胴を締め上げるコルセットのおかげでだいぶ制限がかかっている。きっちりとしまった胴衣の部分を考えればアミーリアもコルセットを絞めているのだろうが、それではいま食べている焼き菓子たちはどこにおさまっているのだろうか、とついまじまじと見つめてしまった。
その視線に気がついたのか、はっとしたようにアミーリアの手が止まる。ちょっと遠慮なく見すぎたか、と謝ろうとしたカレンを、アミーリアが恐る恐るといった様子で振り返った。
「……あの……申し訳ありません、つい気が緩んでしまって……普段は……普段はもっと食べないんですっ」
「え、いえ全然。わたしの方こそ申し訳ありません。アミーリアさんがとてもおいしそうに食べているので、つい見入ってしまって」
予想外に謝られてしまい、おまけに泣きそうな顔までされてしまった。しょんぼりと俯く少女は、確かに一般的な貴婦人像からは外れているのかも知れないが、作法は問題ないし、食べ方も綺麗だ。男爵夫妻にきちんと躾けられたのだろうことが容易に伺える。
それでも、周りからは色々言われたのだろう。青ざめるアミーリアの膝でそろえられた両手の上に、カレンはそっと右手を重ねた。
「食事はおいしくいただくのが一番大切だと思いますよ? だからわたしといる時には気になさらないでください。アミーリアさんがおいしそうに食べていると、なんだかわたしもうれしい気持ちになります」
とび色の瞳が大きく見開かれる。にっこり笑うカレンの前で、その目がじわりと潤んだ。血の気のなかった頬が一瞬で薄桃色に染まる。慌てたように両目を閉じて俯いたアミーリアだったが、意を決したように顔をあげると、カレンの右手をぎゅっと両手で握りこんだ。
「……わたし、カレン様にお伝えしたいことがあるんです。わたしの部屋に来ていただいてもよろしいでしょか?」
「ええ、それは構いませんが」
アミーリアの瞳は真剣そのものであり、しっとりとしたその手はかすかに震えていた。




