第三章 仮面の思惑(十一)
柱と屋根のみで壁のない建物は、円を描くように椅子が置かれ、中央には木製のテーブルが据えられている。数人の男女が和やかに歓談しているが、カレンには見覚えのない顔だった。貴族階級だけではなく、町に住む人々も訪れてくるのだとアミーリアが小声で教えてくれ納得する。
軽く会釈を交わし席に着くと、アミーリアから白磁の皿に取り分けられた焼き菓子を薦められた。乾燥クランベリーの練りこまれた生地は、噛み砕くとサクリと音がする。穀物の風味と果物の甘酸っぱさが絶妙だ。
「すごくおいしいです。もしかしてアミーリアさんが焼いたんですか?」
隣でにこにこしてる年若い少女の様子に、もしやと思ったのだが、どうやら正解だったらしい。ぱっと頬を赤らめてアミーリアが肯く。
「ありがとうございます、お菓子作りが唯一の趣味なんです」
「アミーリアさん、すごいです」
ご令嬢とはかくあるべきか、と自身との差にカレンは感嘆していた。どう思い返してみても、令嬢らしい趣味――おそらく菓子作りや刺繍等なのだろうが――に縁があったためしがない。しかし、令息から令嬢に転身したからには、ちょっとがんばってみるべきか、とも思う。領地の古館に戻ったら刺繍をはじめてみよう、と真剣に考え始めていた。料理に関しては食材を黒焦げにする様がまざまざと浮かぶのでさすがに諦めているが、布に針を刺すというのは試してみる価値があるだろう。
アミーリアに差し出されたお茶を飲みながら、はじめるならこの辺りのサイズか、と膝にかけた白いレース織りのハンカチーフにちらりと目を向ける。ここで思い立ったのも何かの縁、カティアスの花をモチーフにしようと再び見事な大樹を振り返ると、いつの間にか見知った姿がその傍にあった。
薄い色素の肌に涼やかなグレーのフロックコートがしっくりとなじんでいる。ステッキに両手を添えた立ち姿は背筋が伸び、一瞬、はっとするほど綺麗に見える。
生命の息吹あふれる大木の下に佇むモネに連れはなく、声をかける者もない。静かに白い花々を見上げる様子はどこか近寄りがたく、皆、ちらりと視線を向けはしても、結局は残惜しげに去っていく。
隣の席でお茶菓子に手を伸ばしているアミーリアをみれば、わずかに微笑んで無言で首を振っていた。こちらから話しかけには行かないほうが良い、ということなのだろう。
「しばらくお待ちください。毎年、お声はかけてくださるので大丈夫です」
「――コックス伯様は、カティアスに特別な思い入れが?」
モネの雰囲気には、ただならぬものがある。人当たりの良い青年という印象が強かったが、いまのモネは明確に他人を拒絶していた。
紅茶を一口飲み下したアミーリアが、両手で包み込んだ少し厚手のティーカップに視線を落とした。
「カティアスの花はアルノ様がお好きだったんです。この庭を開放するようになったのも、亡くなられたアルノ様を偲んで、皆さんにカティアスを楽しんでいただこうと両親と姉が話し合って……」
「そうでしたか……」
ヨークス家の醜聞は当時のコックス伯爵――モネの父が亡くなったことに端を発する。弟である叔父が後釜を得るためモネの命を狙い、その結果としてアルノが命を落とした。相続をめぐって熾烈な争いがあったヨークス家だが、モネとアルノの姉弟はとても仲が良かったと聞く。内々のことはあまり詳しく伝えられはしなかったものの、モネの親族に対する報復は苛烈だったらしい。
その後、コックス伯爵が亡くなったこと自体が叔父の策略だったと判明し、王太子の口添えもあってモネは爵位を継いだのだが、姉を守ることのできなかった後悔は相当に重かったらしく、己に対する呵責から塞ぎこんでいるよ――と、カレンは事件当時にリューイから伝え聞いていた。
王宮の夜会では、もうすっかり回復しているようだったが、やはりカレンが知っている昔の彼とはどこか違う。それだけの経験をしたのだろうし、伯爵家を背負っているという責任もあるのだろう。誰しも子供のまま時を止めることはできない。モネがそうであるように、カレンも、そしておそらくリューイも。
――そうだよな。別邸での隠居生活ですら、日々の変化はあった。王都にいる王太子ともなれば、どうあっても昔のままでいられるわけがないか。
不可解なリューイの行動に振り回されている身としてはため息が出るばかりだが、仕方のないことなのだろう。
「アミーリア」
低く落ち着いた男性の声に、アミーリアが席を立つ。とび色の瞳に目配せされ、カレンも茶器をテーブルに戻し四阿から抜け出した。
「モネ様、ようこそ」
やや腰を落としたアミーリアが軽く頭をさげる。柔らかな笑みのモネからは、先程の近寄りがたさがすっかり消えうせていた。
「デビューおめでとう。カティアスも君も、みるたび綺麗になるね」
「もうモネ様ってば、冗談ばっかり。でも今年のカティアスはいつもより花のつきがいいんですよ。アルバスが肥料に工夫をしてくれて」
アルバスというのは、男爵家のガーデナーなのだろう。いい腕だと感心するカレンの前で、アミーリアとモネが親しげに話を交わしている。
容姿に似通ったところはないので兄妹には見えないが、アミーリアとモネ、お互いにそれと近い感情を持っているようだ。
「モネ様、本日はカレンさんも来てくださっているんです」
少し下がった場所にいたカレンを、アミーリアが満面の笑みをたたえつつ両腕をあげて示す。
モネの濃紺に近い瞳がカレンに向けられた。リューイが青空とするなら、モネの色は夜空だ。煌びやかな王太子の傍では控えめに思えるが、その実、とても美しい。
「王宮での夜会以来ですね。こちらにはおひとりで?」
「はい、アミーリアさんに招待していただいたのですが、殿下もジュリエッタ様もご都合がつかず」
礼儀正しく話しかけられ、カレンも顔見知りの令嬢としてふさわしい態度を心がける。カンディアにいた頃、極力親しい友人は持たないようにしていたが、それでも幼少時から見知った者であれば、つい現在の関係では馴れ馴れしすぎる態度をとりそうになってしまう。
「殿下とご婚約なされたそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。この身には過ぎたことですが、殿下にふさわしくあるよう精進したいと思っております」
控えめに微笑みながら返礼すると、不意にモネが黙り込んだ。
「コックス伯様?」
首をかしげながら呼びかけると、はっとしたように目をしばたたかせる。
「……失礼。カレンさんの雰囲気が少し姉に似ていたもので」
「え?」
――アルノさんに似ている? わたしが……?
「カインは――お兄さんのお加減はいかがですか?」
「あ、ええ、近頃は少し良いようです。手紙でコックス伯様のことを懐かしがっておりました」
「モネで結構ですよ。お兄さんと仲がいいんですね」
「はい……モネ様のお姉さまはお若くして儚くおなりときいております。心よりお悔やみ申し上げます」
「ありがとう――ずいぶん昔のことです。いつの間にか、姉が亡くなった年齢をだいぶ越えてしまいました」
寂しそうに呟いたモネが口をつぐむと、アミーリアを含めた三人は自然にカティアスへと目を向けていた。
安定した気候と豊潤な養分を必要とするこの大樹は、平和の象徴とも言われている。国土が荒れれば、あっという間に枯れてしまうからだ。そのカティアスを好んだ少女が諍いに巻き込まれ夭逝してしまった――天の采配は実に残酷だ。
「モネ様、ぜひお茶を召し上がっていってください」
沈み込んだ気配を振り払うように、アミーリアがモネの腕を引いた。秀麗な面差しは困ったように笑い、少年だった頃の面影がちらりと覗く。
柔らかな綿の裾を揺らめかせ軽やかに歩む少女の無邪気さに、過酷な経験をした青年伯爵は救われているのかもしれない、とカレンはふと思った。




