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第三章 仮面の思惑(八)

 「……どういうつもりですか、リューイ様」

 「なにが?」


 向かいの席に座っているリューイの甘い笑みに、二人のときにそういうのはいいですから、とカレンは冷たく言い放った。


 「婚約式の話です。まさか本当に準備しているわけではないですよね?」

 「してるよ?」


 正式に公布されたんだからあたりまえだよね? とさらりと肯定される。だが、慣例通りで行けば婚約式は次の春あたりになるはずだ。

 準備をはじめるのは仕方がないとしても、婚約式の時期を早める必要はまったくない。


 「どうして今シーズンでやる必要があるんですか」

 「さあ? でも先に懐妊するのはさすがにまずいと思ったんじゃない?」

 「……はい?」


 予想外過ぎて、考えがまるで追いつかなかった。呆然として、落ち着き払ったリューイを凝視する。


 「……殿下、まさかとは思いますが、重臣の方々に何かおっしゃいました?」

 「なにも? ああ、ただ、君が夜中に淹れてくれるお茶は格別だとは言ったかな?」


 あきらかにそれが原因だろう、とカレンは額を押さえた。当人たちに全然まったく針の先程もその気が無くとも、夜中に男女が会っていればよからぬ想像を掻き立てる。カレンですら理解できるその程度のことが、リューイにわからないはずがない。


 「なんの嫌がらせですか殿下」

 「リューイ」


 え、と顔をあげると、馬車の窓枠に肘を突いて片頬に手の甲をあてたリューイが、射抜くようにカレンを見ていた。

 また呼び方を間違ってしまったらしい。気を抜くとつい『殿下』と呼んでしまうのだが、カレン自身、実は指摘されるまで気がついていないことが多かった。


 「フロイのことまで名で呼ぶのに、僕だけ殿下は納得できない」


 あきらかに機嫌を損ねている。時々リューイが自分と同じ生物なのか疑わしくなる、とカレンは呆気にとられた。


 「ええもう……意味がわからないんですが……別に呼び名にそこまでこだわらなくても……」

 「伯爵令嬢」

 「はい?」

 「君がずっとそう呼ばれたらどう思う?」

 「え、いや別にどうも思わないかと……」

 「そう。じゃあ伯爵令嬢殿、話は変わるけれど、明後日、王都郊外で仮面舞踏会が開かれる。主催は貿易商をしているガブロア家」


 婚約式について、あからさまに話がはぐらかされていた。わかってはいたが、商人主催の、しかも仮面舞踏会、如何考えても胡散臭く、この話題に関連することといえば、ひとつしか思い当たらない。そして、そのひとつは、あきらかに何よりも優先すべき事柄に他ならなかった。


 「アマニ・ダンに動きがあるということですか?」

 「その舞踏会に、アマニが潜り込むらしいと情報がはいった。仮面舞踏会と言ってはいるが、だいぶ後ろ暗い集まりみたいでね。犯罪まがいの行為も行われているという噂がある」

 「それはまた大変面倒そうな」

 「うん、大変面倒だろうね」


 だが、書状をもった人物がそこでアマニと接触する可能性は非常に高く、危険とわかっていても舞踏会に赴くしかない。

 しかも大勢で乗り込めばこちらの動きを知らせることになるだけでなく、相手の警戒心を煽ることになる。犯罪まがいの行為があるとしても、憲兵を突入させることはできない。


 「では別行動になりますね」


 最低限の人数しか動かせない以上、当然の選択だろう。アマニの動きを見張るのであれば、ふたりでまとまっているよりも別々にいたほうが効率的だ。

 それに、いつもの夜会では、リューイに近づくご令嬢方を防ぐという役目があるが、正体を隠すのであれば、わざわざ傍にいる必要は無い。


 「駄目。君は僕の傍から離れないように」

 「え、ですが、殿下は得意の誑し技でご夫人方を篭絡して情報を得るのでは?」

 「君のその認識には異議を唱えたいところだけれど、とにかく単独行動は禁止だよ。いいね、伯爵令嬢殿」


 けれどリューイは首を縦に振らなかった。それどころか、噛んで含めるような念の入れようだ。


 ――やはりこれは、信用されていないということだろうか。


 「……別に書状を持って逃げ出したりはいたしませんが」


 自分でもどうかと思う程度には不機嫌な態度になってしまった。

 性別を偽っていたという前科がある以上、無条件にすべてを信じてくれとはいえない。だが、あまりにも信用がないとさすがに落ち込む、と俯くカレンの前で、リューイがふっと吹き出した。


 「馬鹿だねえ、君は」

 「馬鹿? わたしがですか?」


 ぱっと顔をあげると、言葉とは裏腹にリューイは柔らかな笑みを見せていた。


 「信用はしてる。でも君は女性なんだよ? 危ない場所でひとりにはできない」


 薄く化粧の施されたカレンの頬が赤みを増す。いまさらの女性扱いに、腹立たしさと気恥ずかしさが交じり合い、結局は腹立たしさが勝った。


 「本当はね、君には黙っておこうかなと思ったんだけど、別の経路で情報が入る可能性もあったし。そうしたら伯爵令嬢殿は独りで潜入しかねないし」


 否定できない。乗りかかった船なのだからと、独りでも入り込んでいたかもしれない。

 ぐっと二の句を告げないでいると、リューイはそれみたことかといわんばかりだ。行動パターンをすっかり把握されていて、なんだか悔しくなる。

 なんの知らせもなく部屋を訪れる、夜中にお茶を所望しに来る。普段のリューイからは、カレンを女性と看做している気配が微塵もない。

 だというのに、ふと思い出したかのように、気まぐれに扱いを変えるのはやめてもらいたい。


 「わたしのことは、女性扱いしてくださらなくても結構ですと……」

 「気を使うなとは言われたけれど、女性扱いするなとはいわれてないよ。それに君は自分のことがわかってない、とてもね」

 「――それは……」


 思わず口ごもってしまう。昨日までであれば、そんなことはないと言い切ることができた。だがお茶会でエレノアに教えられた事実が、カレンから反論できる確固たる自信を失わせていた。


 「もしかして、誰かになにか言われた?」


 カレンの様子がおかしいことに気付いたらしいリューイが尋ねてくる。

 いつもいつも触れられたくないところにまっすぐ手を伸ばしてくるのだ、このひとは。


 「……わたしがご令嬢方を助けてまわっている、と言われました」


 いままで培ってきた自らの認識がことごとくずれているのではないかと疑心暗鬼に駆られ、しぶしぶ口を開く。

 普段であれば、なんでもないと応じるところだが、エレノアからは夜会での予想していなかった自身の一面を指摘され、ジュリエッタからは意外に信用されていなかったということが判明し、自分で思う以上にカレンは弱気になっていた。


 「悪いんだけれど、もう少しだけそっちに寄ってくれる?」

 「え? はい?」


 揺れている馬車の中だというのに、滑るような器用さでリューイはカレンの隣に移ってきた。ぴったり身を寄せ合うような状態になってしまい、仕方なくタフタのたっぷり使われた下衣をつかんで窓際に寄る。


 「あの、窮屈なんですが……」


 王家所有の馬車とはいえ規格外に広いわけではない。秀麗な美貌を間近にみながら眉根を寄せると、くっと短くリューイが笑った。


 「まったく君は可愛くない」

 「それはどうもありがとうございます」


 もっともな指摘なので甘んじて受ける。そもそもが可愛らしいといわれるような行動をとろうとしたこともなく、多分だがそちら方面の才もない気がする。


 「まあ、そこが可愛いんだけどね――伯爵令嬢殿、貴方に触れても?」

 「は? いや、ちょっと待ってください、突然なにを」

 「無理、待てない」


 白い手袋に包まれた大きな手が肩に触れ、そのまま窓側の壁に押し付けられた。


 「隠されると暴きたくなるよね」

 「――はい?」


 肩を辿った指先が、咽喉元に触れる。カレンが身に着けているのは、正式なアフタヌーンドレスだ。裾は足首、袖は手首に届く長さに仕立てられ、それに首元までもきっちり布に覆われている。暴いたところでとくに面白いものを隠しているわけでもない。しかし、どうしたことかリューイの興味を引いてしまったらしい。

 きちんとした身なりをしたおかげで窮地に陥っているという、本末転倒なことになっていた。そうかといって、おおっぴらに肌を晒せば、それはそれで問題があるに違いない。


 「ちょ……っ、ああもう襟の留め具をはずそうとしないでください、ふざけすぎです……っ。あの、それよりもお聞きしたいことがあるんですが」


 戯れに触れてくる手を幾度も振り払いつつ咎めてみるが、あまり効果はない。いつもの嫌がらせの一環なのだろうが、いささかどころでなく悪趣味だ。


 「なに?」

 「コックス伯爵――モネ様のことです」

 「こんなときに他の男の話題? まったく君ってひとは、つくづくつれないね」


 こんなときって、どんなときだ。とりあえずさっさとどいてくれ、とカレンはリューイを力一杯押し返した。

 これ見よがしに嘆息はされたが、存外あっさりと身を引いてくれ、ほっと息を漏らす。背もたれに手をかけたリューイがいるため壁際から動くことはできなかったが、襟元が乱れていないか確認した後、カレンは単刀直入に尋ねた。


 「モネ様の想い人がどなたかご存知ですか?」

 「エレノアに頼まれた? まあ、僕にそれを訊くんだから頼まれたうえに引き受けたんだろうね」


 すっかり読まれている。うわべだけの笑みを返したカレンだが、なにやら妙に迫力あるリューイにやや怯んでいた。


 「質問には答えていただけないのでしょうか?」

 「モネに特定の女性がいるかは知らないな」

 「そうですか……」


 やや落胆したが、仕方がないのだろう。リューイとモネの間にも交流のなかった時期が存在している以上、すべてを知っているとは思っていなかった。

 後は明日、直接会って感触を得られればいいのだが、たやすく話してもらえる事柄ではないことは十二分に承知している。


 「わからないのであれば、調べなければいけない。そうなると僕の力を借りたい、そうだよね?」

 「え? ええ、はい」


 さて今後をどうすべきか、と先行きについて考え込んでいたカレンは迂闊にもリューイをみることなく肯いていた。

 はっと気付き、美貌の王太子殿下に意識を戻したが、既に遅かった。


 ――ああしまった……失敗した。


 リューイはいまや完全に捕食者の目をしていた。

 カレンとて、彼の協力を無償で取り付けられるとは思っていなかった。だからこそもう少し上手く話を進めるつもりだったというのに、リューイのペースに乗せられ、無防備なまま交渉する羽目に陥っている。


 「いいよ、力は貸そう」

 「そう、ですか。ありがとうござい」

 「うん、だから今度こそきちんと僕を呼んで」


 カレンの眉間に皺が寄る。なぜリューイがそこにこだわるのか、まったく理由がわからない。だが、今度こそきちんと、という条件には、もう呼び間違えるな、という意味が込められているのだろうと思う。

 ええい、一度は承諾したことだ。カレンは覚悟を決めた。


 「リューイ様」

 「駄目」

 「え?」

 「敬称はなし」

 「ええ?」


 前よりも難易度があがっている。もしやこれから先、失敗するたびに次の要求は難しくなっていくのか? と嫌な予感がよぎった。


 「今度は譲らないよ」


 さあ、どうする? と言わんばかりに決断を迫られ、うう、と低くうめいたカレンはまたも白旗を上げる羽目になった。


 「わかりました、わかりました、けれど……ふたりの時だけ、では駄目しょうか?」


 さすがに所かまわず王太子を呼び捨ては無理だ。そこまでの強心臓は備わってない。


 「……殿下?」


 じっと見つめてくるリューイの考えはまるで読めなかった。


 「いいよ、それで。じゃあ、呼んでみて?」


 おそらく誰をもとりこにするのであろう貴公子の笑み。けれどカレンは視線をさまよわせる。

 どうしてこんなことになっているのだろうと考えるが、答えはみつからず、口中の苦さを飲み込んだ。


 「――カレン?」


 ああもう、その甘ったるい声はどこから出てくるんだ、と全力で身を引き、リューイから最大限の距離をとる。


 「あの……そう、明日なのですが、ベルポック男爵家の園遊会に参加してまいります」

 「モネが来るから?」

 「ご存知でしたか」

 「ベルポック家のサリーヌと、アルノは友人だったからね」

 「ああ、なるほど」


 確かにアミーリアが、自身の姉とモネの姉が親しかったと言っていた。

 アルノ=ヨークス。懐かしい名前だった。カレンは直接会ったことは無いが、モネの三つ違いの姉だ。家督相続からはじまるお家騒動の渦中、齢十七という短さでその命を散らせている。

 アルノのほかに五人が命を落とすという大醜聞だったにも関わらずヨークス家が存続できたのは、跡目をついたモネの手腕、それに、リューイの助力によるところが大きかったらしい。


 「モネ様を王都での役職にはおつけにならないのですか?」


 それだけの高い能力だ、地方に埋もれさせておくのは惜しいという声が出ていてもおかしくはないが、リリーから渡された資料には特に記されていなかった。


 「カレン、話を逸らしすぎだよ」


 純粋に好奇心から尋ねたのだが、確かに元々は話を逸らす為だったことを思い出した。

 情けなく目じりを下げたカレンを、リューイは青い双眸でじっと見つめてくる。いたたまれず目を伏せても、リューイの視線はピリピリと肌を刺すようだ。胸の鼓動が早くなる。


 ――ああ、やっぱり逃がしてはもらえないか。


 「リューイ」


 覚悟を決めたものの、かなり小さな呼びかけになってしまった。

 リューイからはなんの反応もない。呼べといったものの、やはり不愉快だったのかもしれない。王太子殿下である彼を敬称なく呼ぶのは、いまや両親である王と王妃くらいのものだろう。

 伏せていた目を思い切って上げたカレンは、絶句した。


 「――もう一度言って? カレン」


 蕩けるような笑みでリューイがねだる。


 「……リューイ」

 「うん、もう一度」


 カインとして知ることのなかった王太子殿下の姿に、カレンはただ促されるままその名を呼び続けた。

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