第三章 仮面の思惑(六)
エレノアと離れ席に戻ったカレンは、にっこりと極上の笑みを浮かべるジュリエッタに早速捕まった。
「それでカレン、エレノアとなにを話したの?」
予想通り、潜めてはいるものの好奇心に満ちた声だ。
「コックス伯様のご様子を尋ねられました」
「あらまあ、やっぱり諦めてないのねえ、エレノア」
感心しているのか呆れているのか判然としない呟きは、リューイと近しい血縁であることを感じさせた。
「ところでジュリエッタ様、近々コックス伯様が出席なさるお茶会、ご存知ありませんか?」
ジュリエッタの方に少し身を傾けて尋ねる。紺色の瞳が、やや咎めるような色を滲ませた。
「あなたときたら……エレノアのために一肌脱ぐつもり?」
「いえ、コックス伯様のご様子を拝見して、エレノア様と少々世間話をしたいなと」
苦笑するカレンを、ジュリエッタはしばらく胡散臭げに眺め、諦めたようにため息をついた。
「……困った人ねえ。でも、あなたらしいわ」
「あの、カレン様」
「はい?」
控えめな呼びかけに振り返る。声の主はカレンの右隣に座っていたベルポック男爵家の次女、アミーリア=ベルポックだった。
夜会とは違い、日中の催事ではある程度自由に交流が許されているので、身分にこだわることなく声を掛け合うことが多い。
とび色の瞳に褐色に近い巻き毛を持つ、やや幼い印象のアミーリアは、カレンより幾らか年若い今シーズンのデビュタントだ。
「この時期は毎年、我が家の庭園を開放しているんです。明日、よろしければ、いらっしゃいませんか?」
きゅっと両手を祈るように握り合わせたアミーリアは、かなり緊張しているらしい。
おそらくジュリエッタがいるせいだろうと、カレンは安心させるように微笑んだ。
「明日ですか? お誘いはとてもうれしいのですが、わたしはともかく、殿下はご都合がつくかどうか……」
「それでしたら、カレン様だけでもぜひ」
ぐっと身を乗り出され、その勢いにやや背中が反る。エレノアとのやり取りが思い出された。
黙り込んだカレンに思うところがあったのか、アミーリアは、はっとしたように顔を赤く染め、身じろぎして椅子に座りなおした。
「申し訳ありません、その、ジュリエッタ様とのお話が少し聞こえてしまって――モネ様のお姉さまと、わたしの姉が親しかった縁があり、明日はモネ様が我が家を訪れてくださることになっているのです」
不調法を恥じたらしいアミーリアは俯いて縮こまっている。元が小柄な少女なので、そうしているとますます小さく見えた。
失礼だとわかっていたが、なんだか森で見かける子リスを思い出す。
どうにか落ち着かせようと、膝の上にそろえられていた華奢な手に、そっと触れた。ぱっとあげられた顔は、いまにも泣き出しそうだ。
「アミーリアさん、お心をくばっていただいてありがとうございます」
「いえ、わずかばかりですが……ずっとお礼をさせていただきたかったので」
「お礼、ですか?」
アミーリアとは何度か夜会で挨拶を交わしているが、礼をされるようなことをした覚えがない。
「はい、初めてお会いしたとき、男性にしつこく話しかけられていたわたしを助けてくださいました」
ああ、とカレンは心の中で手を打った。そういえば、ものすごい勢いで男性に話し掛けられ困惑しているようだったので、飲み物を片手に割って入った覚えがある。
その後、付添い人とはぐれてしまったと、やはり泣きそうになっていた彼女とともに広間の中を歩き回ったのだが、そこまで気にされているとは思っていなかった。
かえって申し訳ないことをしたかもしれない。
「そうですか……もしかして余計なお世話だったのではと思っておりましたが」
「いいえ、とても助かりました。ありがとうございます」
ふっくらした頬を薄く赤く染めるアミーリアは無条件に守りたくなる愛らしさだ。デビューしたばかりだが、既に幾人かの男性が求婚のそぶりを見せているらしい。
――さて、いったい誰が彼女の心を射止めるのやら。
「どうぞおきになさらず」
ふっとカレンが口元に薄く笑みを刷くと、アミーリアの頬が先程より赤みを増した。
「アミーリアさん? 暑いですか? 冷たいものをいただきましょうか?」
おや? と思い、小首をかしげてアミーリアを覗き込む。と、彼女は先程の勢いなどなかったかのように、ぱっと身を引いてしまった。
「い、いいえ、大丈夫です、暑くはありません!」
大きなとび色の目が零れ落ちるのでは、と心配になる勢いでぶんぶんと首を振る。そうですか? となおもカレンが近づこうとすると、ジュリエッタがごほん、と咳払いをした。
「カレン、あなたは少し彼女から離れたほうがいいと思うわ。アミーリア、あなたは少し落ち着きましょうか」
ジュリエッタの指摘を受け、カレンは確かに寄りすぎている自分に気がつき、アミーリアから手を離して身を遠ざけた。
「ごめんなさい。少し近づきすぎましたね、失礼いたしました」
「あ、いえ……あの、わたしこそお話し中に失礼いたしました。ジュリエッタ様、よろしければ明日、カレン様と我が家にいらっしゃいませんか?」
恐縮しきったアミーリアの申し出に、ジュリエッタはやや考え込んだものの、残念そうに首を振った。
「そうしたいのだけれど……明日は夫が領地から到着する日なのよ。多分、リューイ殿下も会議を抜けられないはずだし」
ううん、とジュリエッタが悩ましげに唸る。
「わたしだけで大丈夫ですよ?」
リューイの都合がつかないとき、大抵はジュリエッタが後見人として付き合ってくれていたのだが、カレンとしてもそろそろ心苦しく思っていた。
ジュリエッタも公爵夫人として多忙を極めているはずで、いままではかなり無理をしてあわせてくれていたのだろう。
しかし、ちらりとカレンを見遣ったジュリエッタは、ううーん、と更に深く唸った。
――あれ? これはわたし、だいぶ信用されていないのか?
自分では恙なく振舞っているつもりだったが、思わぬジュリエッタの反応に冷や汗が浮かぶ。
「あの、本当に大丈夫ですよ? アミーリアさんも居られますし」
「はい、お任せください。きちんとご案内いたします」
即座にアミーリアが肯く。ジュリエッタはなにごとか問いたげにしていたが、最終的には「しかたがないわね」と諦めたように呟いた。
「では、カレン様、お待ちしております」
「はい、よろしくお願いしますね」
ふふっと笑いあう二人を、ジュリエッタが不安そうに見つめる。
「……あの子が囲い込もうとするのもわかる気がするわ……」
ぽつりと落とされた思わし気な言葉と供に、社交界の華はただ無言で首をふった。
それは奇しくもエレノアとまったく同じ仕草だったのだが、取り分けられた菓子に舌鼓を打つカレンは気がつかない。
薫風の中、美しい花々に囲まれて、久しぶりに心穏やかだ。
「あらあら、楽しそうだこと」
他のテーブルから戻ったエレーナが、空いていたジュリエッタの隣に腰を下ろした。給仕がすばやく近づくと見事な手際でお茶を注ぎ、さっと離れていく。
「エレーナ様、聞いて下さいな。カレンときたら今シーズン中にすべてのご令嬢から歓心を得るつもりですのよ」
冗談めかしたジュリエッタに、優雅な動きでカップを持ち上げていたエレーナがふふっと笑った。
「まあまあ、リューイ殿下よりも上手ね、カレンさんは」
「ジュリエッタ様、ご冗談は……。エレーナ様、本気になさらないでください」
困りきったカレンが情けなく眦をさげる。大輪の薔薇に劣ることのない華やかな笑い声が、カレンを中心に響き渡っていた。




