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第三章 仮面の思惑(五)

 「見事な薔薇ですね、いい香り」


 手のひら程もある深紅の薔薇は、近づくと立ち上るように甘い香りを漂わせる。

 淑女の必需品とリリーに持たされた日傘の下、吹き抜ける風に銀の髪を揺らしたカレンは、小道の端によってヴィバック公爵が手塩にかけた庭を堪能していた。

 エレノアは先程から黙り込んだままだ。あえてそのままにし、カレンは自由気ままに歩を進めた。


 「――カレンさん、貴方にお願いがあるの」


 緊張の滲む硬い声に、愛でていた薔薇から顔をあげる。


 「それは人の生死に関わることですか?」


 カレンは振り返ることなく、エレノアに尋ねた。


 「……いいえ、関わらない、と思うわ」

 「では、誰かを悲しませることになりますか?」


 重ねて問うと、エレノアが言葉に詰まった。思った以上に素直な反応だ。これが演技だとしたら、彼女は父親以上の狸だろう。


 「それは……わからないわ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 搾り出すような答えに、カレンはふっと苦笑し、涼やかな青色の絹で仕立てられたアフタヌーンドレスの裾を捌いて、くるりと振り向いた。


 「お話、お伺い致します」


 正直、厄介ごとの匂いしかしないが、必死な様子のエレノアを放ってはおけなかった。刺客に襲われていた事といい、彼女がなにか事情を抱えているのはたしかだ。カレンは現在エディンバ家の進退を負っている身であり、純粋な善意だけで動くことはできないが、遺言状の一件に関わっているのかも含め、少々さぐりを入れたいという思惑もある。

 あきらかな安堵を滲ませ、エレノアがほっと息をついた。


 「モネ様を知っているわよね?」

 「コックス伯様ですよね、はい、殿下から紹介していただきました」

 「彼のことを調べて欲しいの」

 「調べる? コックス伯様を?」


 驚いて聞き返すと、エレノアがきゅっと眉根を寄せて肯く。

 モネに関する願いであれば、リューイを通して王家への仲立ちを頼まれるのではないかと踏んでいたのだが、話は思わぬ方向に進みそうだ。


 「……夫のある方とお付き合いしているらしいの……」

 「ええ? コックス伯様が?」


 まさか、という気持ちが強かった。

 カンディアにいた頃、モネとの接点はあまりなかったが、リューイと違い浮いた噂など一切ない、清廉潔白な少年だったはずだ。

 あまりに女性関係の付き合いがなかったので、一時、彼の想い人は王太子殿下なのではないか、というとんでもない流言が飛び交ったことすらあったというのに、そのモネが夫ある女性と情を交わすとは、にわかに信じがたい。


 「なぜそう思われたのかお聞きしても?」

 「……」


 よほど言い辛いことなのか、エレノアが俯いて黙り込む。うっすらと頬が赤らんでいるところをみると、何がしかの場面を目撃したと考えるのが妥当だろう。


 「もしかして情事の場に居合わせてしまった、とかでしょうか?」

 「情……っ、違……っ、くち、づけ……口付けしているところをみてしまっただけよ……っ」


 下唇を噛みしめ、苦しげに目を伏せるエレノアが嘘をついているとは思えない。

 エレノアを捜しに来たモネの姿が脳裏に浮かぶ。決してこの公爵令嬢を拒絶してるようには思えなかった。中途半端に気に掛けられてしまえば、エレノアとて想いを断ち切ることはできないだろう。


 ――年月は人を変えるということか……モネ様も罪なことをなさる。


 「それでお相手の方は?」


 ぴくっとエレノアの肩が震えた。何度か言いよどみ、思い切ったように口を開いた。


 「……ポンパヴェル子爵夫人よ」


 ポンパヴェル子爵夫人? さて、どのような方だったか? 記憶をさぐってみるが、紹介された覚えはなかった。

 たしか、ポンパヴェル子爵家は十二年戦争の折に武勲をあげ取り立てられた新興貴族だ。しかし叙勲した当主は既になく、現在はその息子が爵位をついでいるはずだ。その奥方の出自は伯爵家だったはずだが、彼女の実家が金銭的に困窮した挙句の政略結婚だったと記憶している。


 「ストロベリーブロンドに碧い目、年齢はジュリエッタ様より少し下、あとは――そう、右目の下にほくろがあるわ」


 そういって、エレノアが自身の右目あたりを指差す。

 右目の下に、ほくろ? 記憶の底に引っかかるものがあった。最近、確かにそんな女性をみたような、とやや考え込み、はっとする。

 王宮の夜会、控えの間を出たカレンと入れ違いになった婦人が、すべての特徴を備えていた。


 「もしかして、かなり女性らしい方ですか?」


 ぽんと手を合わせると、エレノアがきゅっと眉根を寄せる。


 「……ええ、かなり女性らしい方よ」


 そこには若干の棘が含まれていた。まだ少女といっていいエレノアと、あの婀娜めいた女性では、たしかにまるで正反対だ。


 「彼女とコックス伯様が……?」


 モネの持つ雰囲気と、ポンパヴェル子爵夫人はずいぶんかけ離れていた。


 ――人は自身にないものを求めるというが、まさにそれということか……?


 だが、もし戯れではなく本気ということになれば、エレノアには気の毒なことになる。


 「お願いよ、カレンさん。わたくしはあまりあの方に近づけないの……お父様が許してはくれないから。近頃はあまり夜会にも出席されてもらえなくて」


 主催者にもよるが、警備が手薄な会場もある。エレノアの父であるオルフェン公爵がどこまで状況を把握しているかはわからないが、エレノアの安全を考えれば、夜会への不参加は賢明な判断だ。


 「わかりました。ですが、あまり期待はなさらないでください。申し訳ありませんが、正直、色恋沙汰の機微はよくわからなくて」

 「……そうなの? リューイ殿下は貴方に夢中なのに?」


 訝しげなエレノアに、おおいなる勘違いです、といいたい気持ちをぐっと耐えた。


 「それでいいわ。いまはどんなことでも知りたいの――お願いします」


 ぺこりと頭を下げられ、カレンの方がぎょっとした。

 少し話しただけでもエレノアが気位の高い少女なのだということはわかる。それが、王太子の婚約者とはいえ、格下のカレンに頭をさげるとは――。


 「もし、コックス伯様が本気の時には、どうされるのですか?」


 我ながら意地の悪いことだと思いながら、それでも問わずにはいれらなかった。当事者同士が本気だとしても、ポンパヴェル子爵夫人は夫のある身。モネが伯爵家の権力にものを言わせ夫から奪ったとしても、恐ろしい醜聞になる。モネ自身の評判はさることながら、あまりに世間を騒がせることになれば、王家からの懲罰はさけられないだろう。


 「きついことをきくのね」

 「申し訳ありません、お答えいただかなくとも」


 結構ですといいかけたが、思いがけずつよい意思を秘めたエレノアの視線に射抜かれ、カレンは黙り込んだ。


 「正直、わからない。でもね、あの方が不幸になるとわかっているのなら、奪うだけよ。私があの方を幸せにしてみせる」


 カレンは、ふっと口元に笑みを刷く。恋焦がれる気持ちというのは、まったく厄介で、だからこそ人を強くさせるのかもしれない。

 素直に自身の気持ちを表すことのできるエレノアを、カレンは少しうらやましいと思った。


 「強いですね、エレノア様」

 「そう? ……ねえ、それなら貴方は? あきらめてしまうの?」


 不思議そうに首をかしげるエレノアに、虚を突かれる。自身の中に、エレノアのような情熱はとても見出せなかった。

 よしんばあったとしても、幸せにするどころかカレンという存在そのものが大切な人々の足枷となってしまう。相手の幸せを望むのであれば、傍にいるべきではないのだ。重荷になるよりも離れることを選ぶ、それが間違っているとは思わない。


 「カレンさん?」

 「わたしは、あなたのように強くはなれないと思います」

 「……おかしな人ね、あなた。王太子殿下に望まれて婚約をして、あなたも殿下を慕っていると言っているのに、時折、すごく切なそうだわ」


 切なそう? そんな風に見えていたのかと、カレンは苦笑した。

 カンディアから領地に戻る年――王都に残るつもりはないか、とリューイから誘われた。

 今回のように選択肢を与えられなかったわけではなく、残るも帰るも君の意思を尊重する、と。

 既に、病気療養を理由に引きこもる手はずになっていたカレン――カインは、もちろん丁重に辞退した。ある意味、この時も選択肢はなかったのだ。

 リューイの手をとらなかったことを悔やんではいないはずだったが、どこか納得できていなかったのかもしれない。だからそこ、偽りの立場を翳して彼の傍にいることに苦い思いが募るのだ。


 ――だが、もう過ぎてしまったことだ。いま考えるべきは他にある。


 蔓薔薇に覆われた鉄製のアーチを見上げ、気持ちを切り替える。


 「婚約をしたばかりで少し感傷的になっているのかもしれませんね、そろそろ戻りましょう。ああでもエレーナ様とジュリエッタ様には色々尋ねられるかもしれません」


 席を離れたときの様子からして、エレーナとジュリエッタからは、エレノアと何を話したのか追求されるだろう。


 「お二人にはモネ様のことを聞かれたと言っておいて」


 エレノアの提案に、妥当なところだろう、とカレンは頷いた。社交界にでて間もなく、物慣れないであろうカレンから情報を得ようとした、という筋立ては不自然ではない。


 「承知いたしました。ですが、エレノア様、今回のお願いについて、リューイ様には相談させていただいてもよろしいでしょうか?」


 エレノアとて、カレンだけで調べることができるとは思っていないだろう。おそらくカレンを通じてリューイの力を借りたいのではないか、と思ったのだが、エレノアは眉間にくっきりしわを寄せ、これ以上ないというくらい顔を顰めていた。王宮の夜会で会話したときにも思ったのだが、エレノアのリューイに対する言葉は、どこをとってもまるで好意的な部分がない。

 無言のエレノアからは、内心の葛藤が手に取るように伝わってくる。


 「……いいわ、でも相手の名は出さないで」


 自身の中で折り合いをつけたらしい公爵令嬢は、はあ、と心底嫌そうにため息をついた。


 「では、戻りましょうか」


 エレノアの公爵令嬢とは思えないその仕草に、カレンは笑いを噛み殺しながら来た道を戻りはじめた。



 「それにしても、あなた、ずいぶん罪作りよね」


 小さな花を無数につけた蔓薔薇を楽しむカレンの後ろで、エレノアが呟いた。


 「どういう意味でしょう?」


 ――罪作り? わたしが?


 「あのね、今回のお茶会への参加、ものすっごく競争率が高かったのよ? どうしてかわかる?」


 腰に片手をあてたエレノアが、ぐいっと顔を近づけてくる。その迫力に、カレンは思わず後ずさった。


 「ええと……エレーナ様は慕われておいでなのですね?」

 「なにとぼけた事言ってるの。あなた目当ての女の子達が多かったからよ」


 ずいっと更にエレノアが迫ってきた。お互いの日傘が触れ合うような近さだ。


 「ああ、婚約が公布されたからで……す、よね?」


 これぞ間違いのない答えだろう、と途中まで自信たっぷりだったカレンの言葉尻が、エレノアの呆れきった眼差しに晒され、徐々に小さくなる。

 どうやらこれもエレノアの求めている答えではないらしい。傘の柄を持っていなければ、カレンは諸手を挙げて降参していたかもしれない。


 「違うわよ。いえ、そういう人もいるかもしれないけど、あなた、夜会で女の子たちを助けまわっているでしょう?」

 「助けまわる? いいえ? そのようなことは」


 しておりません――身に覚えのないカレンは、ふるふると首を横に振った。


 「……無自覚」


 はあああ、とエレノアが深くため息をつく。ごくごく最近、リューイからも同じような態度をとられたカレンは、さすがにこれはおかしい、と思った。

 リューイの戯言と聞き流していたが、どうやらカレンと周りの認識にはひどく食い違いがあるらしい。


 「まあ、純粋に憧れている子と打算のある子がいるから、よくよく気をつけたほうがいいわ」

 「……ご忠告、感謝いたします」


 愕然と呟くカレンに、エレノアがやれやれというように頭を振った。

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