第三章 仮面の思惑(四)
爽やかな薫風そよぐ庭園は、艶やかな花々が色とりどりに咲き乱れていた。芳しい香りを放つ大輪の薔薇が、殊更その美しさを誇っている。
ヴィバック公爵邸には優秀なガーデナーがいるらしく、精緻な均整を保った木々と草花は実に見事だ。
「まあまあ、ようこそジュリエッタにカレンさん。とてもたのしみにしていたのよ」
ヴィバック公爵夫人エレーナが、穏やかな笑みで両腕を広げ、ジュリエッタとカレンを中庭に迎え入れた。
「本日はお招きありがとうございます。エレーナ様に殿下より、うかがうことができず残念だ、よろしく伝えてくれ、と承ってまいりました」
ジュリエッタに続きカレンもそつなく挨拶を済ませると、待ちかねたという様子のエレーナにきゅっと手を握られた。
「殿下はお忙しい方ですもの、またの機会にお誘いいたしますわ。それよりも、カレンさん、ご婚約おめでとう。殿下のご結婚には主人も気を揉んでいたの。とても喜ばしいことだわ」
きらきらとした目で見つめられ、疚しさから思わず目を逸らしそうになった。が、そんな態度をとれば、あからさまに不審だ。
ここしばらくの夜会で鍛えられた仮面を被り、伏目がちに微笑む。
「至らない身ではありますが、殿下にふさわしくあるよう精進したいと思います」
「あなたなら大丈夫。殿下は良い伴侶を得たわね」
身に余るお言葉です、と恐縮するカレンを、エレーナは真摯に励ましてくれた。
さすがに良心が痛む。これは破棄されることが前提の婚約だ。確実に彼女を失望させることになるのかと、暗澹たる気分に襲われた。
夜会で祝いの言葉を受けるたび、完璧な王子面で対応しているリューイの厚顔が――ほんの少しだけだが――うらやましい。
「さあさ、ふたりともこちらにいらして」
茶会の場は中庭の中央付近になるらしい。エレーナに促され、木々の間に作られた小道を進む。
エディンバ家のタウンハウスにもある程度の庭があるが、広さが桁違いだ。上級貴族といえど、王都にこれだけ広い屋敷を構えているものは稀だろう。
あらためてヴィバック公爵家の権力地盤に感嘆する。
「ジュリエッタ様からこの時期は薔薇がとてもすばらしいとうかがって、楽しみにしておりました」
「ふふ、ありがとう。我が家のガーデナーはとっても有能なの」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑るエレーナに、なぜかカレンの横を歩いていたジュリエッタがふっと吹き出す。
首をかしげると、秘密を打ち明けるようにジュリエッタがカレンの耳元へ顔を近づけた。
「こちらにはね、専属のほかに、口ひげの素敵な臨時庭師がひとりいらっしゃるのよ」
口ひげという説明で、ぴんと来た。エレーナとジュリエッタの不可思議な態度に納得する。
「ヴィバック公様が庭仕事を?」
「ええ、薔薇の手入れだけはあの人、自分でやりたがるの。庭師の格好までするのよ? おかしいでしょ?」
楽しそうなエレーナの答えに、庭師姿のヴィバック公を想像する。おかしくはない、寧ろ似合っているが、その一声が国勢に影響するほどの力を持つ重鎮が庭の手入れとは、なかなかにシュールだ。
なんとも反応に困っていると、先導していたエレーナがぱっと振り向いた。
「そうそう、実はね、珍しいお客さまがいらしているの」
「珍しいお客様? どなたかしら?」
ジュリエッタが尋ねたが、エレーナはうふふと満面の笑みだ。どうやら本人と直接会うまで秘密らしい。
茶会ではどんな客が珍しいのだろうと考えてみるが、茶会自体あまり参加したことのないカレンには見当がつかない。
さっと吹き込んできた風に、いっそう強く薔薇が香る。小道の先がひらけ、アフタヌーンティーの場として木陰に据えられたテーブルが幾つかみえた。
真っ白なクロスが掛けられ、軽食と見た目も華やかな菓子が並べられている。
数人の女性が既に集まり歓談しているその中、生垣の横に置かれた椅子の傍で、青いタフタのドレスに身を包んだ少女がひとり佇んでいた。
「……エレノア?」
ジュリエッタの呟きに驚きが篭る。カレンもやや目を瞠って、堂々と背筋を伸ばし、つんと顎をそらしたエレノアを見つめた。
「珍しいでしょう?」
エレーナが、いたずらの成功した少女のように片目を瞑る。珍しいもなにも、反親王派筆頭であるオルフェン公の息女が、親王派重鎮であるヴィバック公爵家にいるなど、とんだ椿事だ。
「どういった経緯ですの?」
ジュリエッタが肩を竦め、呆れたように尋ねる。
「この間の夜会でエレノアさんと話す機会があったのよ。そのとき今度のお茶会に貴方たちも来てくれると言ったら、ぜひ参加したいと仰って」
「それはまた……どちら目当てかしら?」
「そうねえ、どちらかしらね? とにかく参りましょう、彼女、さっきからお待ちかねなの」
エレーナに続いてジュリエッタ、カレンが木陰に近づくと、歓談の声が静まった。ジュリエッタとカレンに皆の視線が集まる。
「ジュリエッタのことは皆さんもうご存知よね。こちらのご令嬢はシーバルグ伯のご息女、カレンさんよ」
差し出されたエレーナの右手に促され、カレンは微笑みながらゆっくりと腰を落とし、軽く頭を下げる。
「シーバルグ伯息女、カレン=エディンバと申します。若輩者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
身を起こすと、エレーナが出席している一人ひとりを紹介してくれた。公爵夫人から子爵令嬢まで、大体が親王派、もしくは中立派の家に属している。紹介された後、気軽に手を振ってくるのは夜会で既に顔見知りとなっている女性たちだ。
エレノアの紹介は、最後に行われた。
「はじめまして、カレンさん。オルフェン公息女、エレノア=オルフェンよ、よろしくね」
「はじめまして、エレノア様。こちらこそよろしくお願いいたします」
とんだ茶番だが、カレンとエレノアはあくまで初対面を装う。あの晩のことは、建前上、なかったことにしなければならない。
襲われた令嬢もいなければ、それを助けた令嬢もいなかった。それが名乗りあうことのなかった二人にとって、暗黙の決め事だ。
「ではお茶にいたしましょう」
皆が席につくと、エレーナが両手を軽く打ち合わせた。流れるように、整然と給仕がはじまる。
白地に青い釉薬で薔薇が描かれたティーカップに、お茶が注がれた。琥珀色の液体からは、ほんのりと花の香りがする。王都で昔から好んで飲まれているカナ地方産のフルールティーだ。数世代前の王妃が広め、いまなお庶民から王侯貴族まで、幅広く親しまれている。
シーバルグ伯領ではそれほど流通していないのでここ数年は縁がなかったが、カンディアにいたころにはポートティーと同じくらい愛飲していた。懐かしさに口元が綻ぶ。
「フルールティーよ。お好き?」
カレンの様子に気付いたらしいエレーナが尋ねてくる。カレンは一瞬考え、素直に肯いた。
「はい、昔、父が王都で買い求めてきてくれたので」
嘘ではない。まだカンディアに入る前、シーズンで王都に出向いたジョンがカレンへの土産として領地に持ち帰ったことがあった。
幼かったカレンにあわせ、たっぷりの蜂蜜を入れてあった為、お茶の香りは弱まっていたが、とても美味しかったことを覚えている。
「よかった。少しだけブレンドしてあるのよ。お口にあうと良いのだけれど」
切り分けたパウンドケーキが白磁の皿にサーブされる。果実がふんだんに盛り込まれ、生クリームが添えられていた。
「どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
銀のフォークで小さく切り分けたケーキを口元に運ぶ。
「……おいしい」
ぱっと口の中に甘酸っぱい味が広がった。程よい焼き加減とあいまって、絶妙な味わいになっている。
「よかったわ、それだけはわたしが焼いたのよ」
「エレーナ様が?」
シーバルグ伯領の別宅に移り住んで数年、最低限の使用人だけで生活を維持してきたカレンは、大抵のことは自分で済ませる癖がついていた。
が、料理だけは如何がんばっても上達はしなかった。今後、隠居生活を送るのであれば自分の食事くらい用意できてしかるべき、とは思うのだが、作ったものは必ず食べきるようにしていたカレンが黒焦げになったターキーに挑もうとした辺りで、とうとう家令であるジョアンに止められた。
カレンとしても食材が謎の物体になっていく過程を見るのは忍びなかったので料理関係は大人しく選任者に任せることと相成ったわけだが、お茶は普通に入れられるし、味覚がおかしいわけでもなく、どうしてレシピ通りにできあがらないのか、まったく腑に落ちない。
領地での生活をつらつらと思い出しながら、公爵夫人の手で作られた菓子に舌鼓を打つ。勧められるまま、取り分けられたスコーンと薔薇ジャムを受け取ったところで、カレンの上に落ちていた影が不意に濃くなった。
右肩越しに背後を見れば、そこには別のテーブルについていたはずのエレノアが、優雅な笑みでカレンを見下ろしていた。
「カレンさん、シーバルグ伯領のことをお聞きしたいわ。少し二人でお庭を散策させていただきませんこと?」
――エレノア様の目当てはわたしか。
皿の上にフォークを戻したカレンは、にっこり微笑む。
「はい、よろこんで」
エレーナとジュリエッタ、好奇心がぎっしり詰まった二人の見送りを背中に受けながら、カレンはエレノアと連れ立って薔薇が咲き誇る小道に向かった。




