第三章 仮面の思惑(ニ)
カレンに与えられた部屋から十二分に距離がとられたところで、前をいく優美な長身がぴたりと足を止めた。
「フロイ、いるよね」
「はい、いますよ」
軽く答えて、廊下の曲がり角から進み出る。
付いて来るなと言われていたにも関わらず、まったく悪びれていないフロイをみて、リューイがため息を落とす。
「前にも言ったけれど、カレンとふたりの時に護衛は無用だし、聞き耳を立てる必要もない」
「あー……失礼しました。どうにも妙なご令嬢なもので」
苦笑しつつ頭を掻くフロイに、リューイが冷たい一瞥を向ける。
「恋人同士の時間を覗き見は無粋だよ」
「勘弁してくださいよ。途中からは聞いてませんから」
これは事実だ。エレノアの願いを叶えて云々のくだりで、さすがに遠慮した。なにより、カレンからはリューイを害そうという気配が感じられない。
恋人同士というよりも兄と妹のようではあるが、まあそういう関係もありだろうとフロイは思っている。
「てっきり朝まで出てこられないと思ってましたが」
「残念ながら唇へのキスすら許してもらってないよ」
「へえ、そいつはすごい」
素直に感嘆すると、苦笑するリューイが硬い靴音を響かせ歩き出した。フロイもその背中に続く。
カレンとの婚姻準備を、リューイは着々と進めている。ここしばらくフロイはその準備を手伝わされていたので、王太子殿下の本気は疑いようもない。近々正式に婚約が発表されることになるだろう。
だが、貴族の婚約から結婚式までは、通常、同じ季節が巡ってくる程度にはかかる。一般的な貴族ですら準備や諸々の根回しにそれだけ時間が必要なのだから、王太子であるリューイが彼女を正式な妻にできるまでは、更に待つことになるだろう。
恋愛感情を持って結婚する場合、婚前に情を交わすことはままある。ようは夫となるものが花嫁の純潔を証明できれば問題ないというわけだ。プロカン皇国では主家の血が何よりも重んじられる為、皇家の花嫁は正式な婚姻が交わされるまで純潔が条件らしいが、カールスト王家はその辺り、やや規律が緩やかといえた。
「殿下なら、うまく言いくるめて早々に手を出していると思ってました」
歯に衣着せぬものいいはフロイの短所であり長所だ。それに、リューイ相手に腹芸など無駄なことこの上ないとも思ってる。フロイより五つほど年若い秀麗な見た目を持つ王太子の中身は、十二年に及んだ戦を停戦に持ち込んだ策略者だ。
「強引に押し倒してみたんだけどね。腹に一撃くらいそうになった」
思わずごふっと吹き出してしまった。あの娘であればやりかねないが、仮にも伯爵家令嬢がとってよい行動ではないだろう。
「あれはあれでかわいいけど、完全に戻られるのは困るかな」
うーん、と呟く主を見て、どうやらカレンは策略に嵌められている真っ最中らしいと、フロイはほんの少し彼女に同情を覚えた。
フロイがリューイに仕え始めたのは五年前。戦地に赴く王太子の副官に任命されたことが切っ掛けだった。
王子のお守りなんぞ面倒この上ない、と思っていたことが今となっては懐かしい。完璧な王子の風貌を持ったこの男の中身が、凶暴なつめを隠し持った獣だと気が付くのに、それほど時間はかからなかった。
まず行軍直前、同軍に配属されることになっていた幾人かの貴族連中がそれまで所属していた部隊から私掠、物資横流し等々の罪名で訴えられ、軍法会議にかけられた挙句、牢に放り込まれた。この時点では要領の悪い奴らだな程度の認識だったが、行軍の途中、その連中とつながりがあった幾人かが消えた。
『初陣の者もいたみたいだし、怖くて逃げたんじゃない?』笑いながらさらりと言ってのけたリューイに、ぞわりと肌が粟立った。確実にこの王太子がなにかしたのだとフロイは直感した。のちにわかったことだが、呆れたことにその全員がなんらかの形で隣国と通じていたのだ。あのまま王太子軍の中に潜まれていたら、果たして停戦が成っていたか疑わしい。
必要とあれば躊躇うことなくその手を汚す。その反面、大切な女を守り抜きたいと言う妙な青臭さ。ここ数年で爪と牙はより狡猾に隠されるようになり、それとともに青臭い部分はずいぶん失われてしまったが、カレンがあわられてからこちら、リューイは僅かばかり昔に戻っているようだ。彼女に関しては王太子殿下といえど手を焼いている。フロイとしては少々愉快な事態だった。
――それにしても、まさかああいうご令嬢とは。
カレンが王宮に部屋を与えられた後も、フロイは彼女と関わることがなかった。リューイが意図的にそうしているとわかったので、フロイも極力近づかないようにしていたのだ。
しかし今宵ばかりは、カレンを守れとリューイから厳命を受けた。結局、直接的に守る必要はまったくなかったわけだが、深窓の令嬢と思っていた彼女の印象ががらりとかわった。エレノアをつけたときの見事な気配の消し方、刺客に対峙した時の体捌き、それに――カレンに守るといわれたエレノアの反応。あの緊張感のなかで公爵家令嬢は頬を染めていた。
カレンが男であれば、モネという思い人がいなければ、確実に誑しこまれていたのではないだろうか。
深窓の令嬢であるのは見た目のみ。その中身はへたな騎士より騎士道精神にみちあふれたおかしな娘、それがフロイのカレンに対する印象になった。ある意味、リューイとはとても似合いの組み合わせだと思う。
「ああ、そうだ。これ、調べてくれるかな」
懐から出された包みが、無造作に放り投げられた。白い布が解け、緩やかな弧を描いた二本の短剣をフロイは器用に受け取る。
かきん、と金属のぶつかりあう音が、静まり返った暗がりではずいぶんと響く。等間隔に据えられた燭台は必要最低限しかともされておらず、王族が居室としている奥宮は夜会の広間とは比較にならない程薄暗い。カールスト王国の王家はもともと質実剛健の気質が強く、客人を迎える場所以外、無駄な絢爛さはなかった。
「承知しました」
簡潔すぎる指示に戸惑うことなく、フロイは白い布に包みなおした二本の短剣を上衣の内側にしまいこむ。
「夜会で怪しい動きをみせたのは?」
「ウォルクン男爵、それにポンパヴェル子爵夫人あたりですかね」
不審な動きを見せたものは彼ら以外にもいたが、フロイの部下たちがそれぞれなにをしていたのか調査済みだ。
大抵は妻や夫に隠れた逢引、あるいは王家主催の夜会に緊張して挙動不審になっていたというものだが、ウォルクン男爵とポンパヴェル子爵夫人はそのどちらでもなかった。誰と何をしていたのか、はっきりしないのだ。
「ふうん、そう……子爵夫人、ね」
「なにか?」
「ん、いや、わかった。ご苦労だったね」
「これからどうしますか?」
「そうだね、男爵と子爵夫人については引き続き調べて。あとはアマニ周辺とアマニ本人にも人をつけ、動きがあれば知らせるように。今夜はもうさがっていいよ、おやすみ」
「は、御意に」
足を止め、フロイは恭しく一礼した。リューイがひらりと右手をふって、廊下を進んでいく。
遠のく後姿がみえなくなるまでそのまま見送り、踵を返した。王太子の警護が仕事であるフロイは、王宮の敷地内にある宿舎で寝起きしている。
「やれやれ、これから騒がしくなりそうだ」
肩をすくめる仕草とは反対に、フロイの口元には薄い笑みが浮かぶ。
退屈がなによりも苦痛だと感じる男にとって、いまの状況はひどく愉快なものだった。




