第11話 不審者
城下町での用事を全て終え、後は城へ帰るだけとなった。エレナから占い師の噂話を聞いたからか、はぐれないよう気を張っていたせいで、普段よりも疲れていた。今は帰るだけとなり、ようやく肩の力が抜けていく。
「すみません!」
何事も無く帰れるかと思った矢先、後ろから切羽詰まった声が飛んできた。何事かと思い足を止め、振り返ろうとした時だ。
すぐ背後で、慌ただしい足音が近付いてくる。避ける間もなく、誰かが私にぶつかってきた。
「……っ!」
体が前に傾く。とっさに足に力をいれ踏ん張るが、間に合わない。エレナが掴まえようと伸ばした腕が見えたが、それも間に合わなかった。
(あまり怪我しませんよーに!)
怪我の具合を祈るように、ギュッと目を閉じた。
次の瞬間、鈍い衝撃と共に体が地面へと打ち付けられる。
「よっ、ヨミ様!」
エレナの慌てた声がすぐ近くで聞こえる。転んだ時、手が前に出ていたおかげで、顔に怪我をせずに済んだ。ゆっくりと体を起こす。膝と手の平が、じんと痛む。
「だ、大丈夫……多分」
そう答えながら、手の平や膝を確かめる。擦りむいている程度だった。
「すみません!」
ぶつかってきた人物が、息を切らしながら謝ると、それ以上は何も言わずに走り去っていった。相手の顔は、あまり見えなかったが、服装だけは見覚えがあった。あれは、貴族学園の生徒だ。彼の背中が人混みに紛れていくのを見送った。
「ヨミ様! ち、血が!」
「えっ!? 嘘っ! 」
私は慌てて手の平、膝を見た。手の平は無事だったが、膝は擦りむいた部分から、じわりと血が滲んでいた。
「申し訳ありません、ヨミ様! 私が、あの時…!」
「いや、エレナのせいじゃないよ!」
私の言葉に、エレナは更に口を開こうとしたが、私はそれを遮るように続けた。
「ぶつかってきた人が悪いんだし、エレナは関係ないって! 助けようとしてくれたの見えたし! 」
「ですが……」
「擦りむいただけだし、大丈夫! ほら、見て!」
何ともないと証明したくて、その場で屈伸してみせた。
「大丈夫でしょ?」
エレナは「ヨミ様…」と、名前を小さく呟いた。心配そうにこちらを見ていたエレナの表情が、少し和らいだ気がした。エレナは小さく息をついた。
「……分かりました。無理だけはなさらないで下さいね。水とガーゼを買ってきますので、ここで待っていてください」
「帰ってからでも……」
「ダメです!」
勢いに負けてしまい、観念したように私は頷くしかなかった。
「すぐ戻りますので」
それだけ言い残し、エレナは小走りで通りの先へと向かっていった。私はその場に立ったまま、膝を見下ろす。そんなに痛みは無い。
(大袈裟だなぁ……)
軽く息を吐いた。エレナが向かった先を見ながら、早く戻ってこないかなと、思いながら待っていると
「運、悪いね〜」
耳元で、やけに楽しげな声で囁かれた。
「っ…!? 」
驚いて後ろを勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。
「だ、誰!」
声を張り上げたが返事はない。歩いている人達に、横目で見られるだけだった。
「な、何だったの」
疑問に答えてくれる人はいない。さっきの声が耳にこびり付いて離れない。
(怖すぎるんだが!)
何も分からない状況に恐怖を感じていると、追い討ちをかけるように、辺りに霧が立ち込めた。人が行き交っていたはずなのに、いつの間にか姿は消えている。最初から誰も居なかったかのように、通りは静まり返っている。
「ホラーか!? ホラーなのか!」
霧が立ち込める前に耳元で囁かれるなんて、エレナは言ってなかった。それ以外は噂話のまんまだ。霧が立ち込めた次は、フードを被った男が現れるはずだ。
「逃げる……私は逃げるぞ」
そう呟いたのと同時に、私は霧の中へと駆け出していた。擦りむいた傷口が乾いたのか、足を曲げた際に微かな痛みが走る。それでも、止まる訳にはいかない。不審者と鉢合わせるより、痛みの方がマシだ。
霧は思った以上に濃く数歩先すら、ぼやけていてハッキリと見えない。ただ直感だけを頼りに足を動かす。
背後から何かが迫ってくる気配は無い。それが不気味だった。
「もう何で私なの!」
何故よりによって私なんだ。フードの男を探し回っている人達の方にいってほしい。
「現れる前に逃げる子は初めてだ」
霧の向こうから、楽しそうに笑っている声がした。耳元で囁いてきた人物と同じ声だ。咄嗟に足を止めてしまう。
「ふ、不審者!」
「ははっ。不審者? 初めて言われた」
姿が見えないせいで、何処から声がしているのかハッキリと分からない。
「こっち」
すぐ近くで囁くような声。辺りを見渡しても誰もいない。霧が揺れるだけだった。
「こっちって、どっち!? 」
「こっちは、こっちだよ」
その声と共に霧の奥から人影が見えた。徐々に輪郭がハッキリし、フードを被った人物が現れたのだ。
「で、でた!!」
「でたって失礼だな〜」
不審者は肩をすくめ、何処か楽しそうに笑っている。口と鼻は見えているが、目元はフードのせいで一切見えない。観察している場合じゃない。
「早く私を元の場所に戻して下さい!って事で……逃げます!」
「え?」
言い終えるより早く、私は踵を返して霧の中へと走り出した。
「ちょ、待って待って」
背後から呑気な声が聞こえたが、そんなの気にしないで足を止めないで走り続けた。
(待てって言われて、待つ馬鹿なんていないわ!)
ただひたすらに走る。
「怪我してるのに、元気だね〜。若い証拠かなぁ」
背後から呑気に散歩でもしているかのような声が聞こえてくる。
「年寄りか!」
思わずツッコんでしまう。そんな場合ではないのに。ツッコまずには、いられなかった。呑気に話しかけられたせいなのかは、分からない。
振り向かなくても分かる。背後から一定の距離を保ったままついてくる足音が聞こえている。
「もーう! いつまで、霧の中に走ってればいいの! 占われればいいのか!? そうなのか!?それとも……アレですか! 不審者って言ったの、怒ってるんですかね!」
いつまで、こんな鬼ごっこみたいな事が続くのかと思い、ついキレながら言ってしまう。
「占ってほしいなら占ってあげるよ?でも、君……占いは信じないタイプだろ?」
「うわ。当たってるよ。当たっちゃってるよ」
「あはは。やっぱり? 当たっちゃった〜。不審者呼ばわりされたのは、怒ってないよ。そんなに器小さくないし〜」
楽しそうな笑い声が響く。こっちは必死に逃げているのに、相手は余裕で楽しそうにしてるのが、腹立たしい。
(人生の中で一番こんなに走ってるわ! )
どれくらい走っているのか分からない。出来れば足を止めたい。走りたくない。もういっその事、立ち止まってしまおうか……そんな考えが頭をよぎる。
相手は楽しそうにしているのに、こちらは必死に逃げているのが馬鹿らしく思えてきた。
「まーじーで! 疲れた! もーう、走りたくない!」
「休憩して、俺とお話しようよ。お腹空いてるなら、クッキーあるよ。ほらほら、クッキーだよ?」
軽いノリで誘ってくる声に、本気で馬鹿らしくなってきて、足を止めてしまった。
(クッキーにつられたみたいじゃん…)
膝に手を当て上がった息を整える。背後から聞こえていた足音が、聞こえなくなった。自分の呼吸だけが大きく響く。
「はい、クッキー。美味いよ」
すぐ隣から、何事もなかったような声がした。
「……は?」
横を見ると、そこには不審者が当然のように立っていた。手には言った通り、ラッピングされたクッキーが乗っていた。全ての指には指輪がはめられている。
「クッキー。クッキーだよ。知らない?」
あまりにも普通に接してくるせいで、頭が追いつかない。
(毒でもはいってんの……?)
状況についていけずに、そんな事を考える。異常な空間にいるのに、普通のクッキーが渡されるとは思っていない。
「普通のクッキーだけど? 」
いきなり腰を曲げ、顔を近付けてくる。
「ぎゃっ!」
変な声が出たのと同時に、いきなりの事で驚きのあまり後ろへ跳ねるように下がった。バランスを崩しかけたが、何とか持ち堪えた。
「驚かせた?」
勢いよく頷いた。笑いながら「ごめんごめん」と、謝られた。
「はい。クッキーね。美味しい、ただのクッキー」
またクッキーを差し出された。さっきからやけに、ブレない軽いノリに調子が狂う。
「……どうも」
受け取ってしまった。
「食べるかは任せるけどね」
さらっと一言付け足さられて、余計に判断に困る。手の中のクッキーを見つめたまま、どうするべきか分からずにいた。そんな私に構わずに喋りだした。
「傷、痛そうだね」
しゃがみ込んで、私の膝に指を差しながら言ってきた。スカートの中が見えてしまわないように、一歩後ろへと下がった。
その動きに合わせるように、彼もまた距離を詰めてくる。
「スカートの中、覗こうとか思ってないよ」
「覗かれたら、顔面蹴る」
即答だった。私の言葉を聞くと、肩を揺らしながら笑っていた。
「こわっ。普通に痛そう」
軽い調子は相変わらずだ。私が何を言っても、どんな事をしても、この軽い調子のままだろう。
「あっ。そうだ……君に会ったら渡そうと思ってたんだよね〜」
何かを思い出したように、自分の小指に嵌めていた指輪を取り、私に差し出してきた。
「プレゼント。あっ、つけてあげる」
「えっ!? あの、ちょっと……」
手を掴まれ指先にひんやりとした感触が。戸惑っていると、そのまま指輪を押し込まれた。
「ピッタリ〜」
指輪は右手の薬指に嵌っていた。
「何があっても外しちゃダメだよ。まっ、外せないけどね〜」
「外せないって言いました…?」
「言った言った」
この言葉を信じていいのか分からず、私は指輪を外そうとするが、外せない。接着剤でくっつけられているみたいだ。力を込めるが、指が痛くなるだけ。
「まじじゃん…」
「言ったろ? 俺、嘘はつかないよ」
軽く言い切られてしまった。何故、指輪を私に渡したのか分からないく、謎の不安に取り憑かれる。私に会ったらと、言っていたが、私と会う事は彼の中で決めていたのだろうか。
その考えに辿り着いた瞬間、背中にぞくりと嫌な寒気が走った。
「怖がらせるつもり無かったんだけどなぁ」
腕を組みながら困ったようにしているのに、妙に落ち着いて見えた。
「逃げられると思ってなかったしな〜…あっ、フード被ってるのが、いけないのかな? 顔見えないと怖いしね〜。んー……でも、顔見えない方が謎が深まって、ミステリアスな雰囲気でいいのかな〜?」
聞こえる声量で独り言を続けながら、結論を出せないまま首を傾げている。
(不審者だ……危ない人だ……)
そう結論付けた。怪しすぎる彼が悪い。誰がどう見ても不審者で危ない人物だ。
「ん〜……まっ、いっか。言いたい事だけ、言って消えるか」
物騒な言葉が聞こえた。なのに当の本人は、相変わらずの様子だ。
「俺が消えた後、月の雫って名前の酒場に行くんだ。騎士の人達に付き添ってもらって。メイドさんは駄目だよ。あの人、美人だから変な男達に絡まれそうだし」
「え…?何を言って……」
「いいから、聞くんだ」
さっきまでの軽さが消えていた。言葉を飲み込み、彼の言葉に耳を傾けた。
「うん、いい子だね」
頭に手を乗せ、私の頭を撫でてくる。指輪のせいで、ゴツゴツとした感触がやけに強く残る。
「なっ、なっ……!?」
「あれ? 撫でられるの嫌だった?」
嫌とか以前に、距離感が近い。
「いや、そういう問題じゃなくて……!」
言い返そうとしても、うまく言葉が続かない。相手は気にした様子も無く、肩をすくめた。
「じゃ、問題ないね」
勝手に結論を出されてしまった。また、頭を撫でられてしまった。
「距離感!!」
叫ぶと、ようやく手が止まる。
「あー、ごめんごめん」
軽い調子が戻ってきて、さっきまでの空気が嘘だったみたいだ。
「で、さっきの話の続きなんだけど」
何事も無かったかのように、話を戻し始めた。この人のせいで、調子が狂いっぱなしだ。
「俺の言った事、覚えてるよね?」
「まぁ、覚えてますけど…」
満足そうに頷いた。
「酒場についたら、普通に食事して」
「それだけ……?」
聞き返すと、当然みたいに頷いた。
「そうすれば、君の物語が始まる」
あまりにもサラッと言われた一言だけが、やけに耳に残った。
「物語って……」
「今、俺が教えられるのはここまで。じゃーね、ヨミちゃん」
「何で私の名前っ!!」
思わず叫ぶど、一瞬だけ口角を上げた気がした。
「そりゃ、知ってるよ。君の事は何だってね」
言葉が出てこない。
「じゃ、本当にここまで」
パチンと指を鳴らすと、霧と共に消えていた。今までの出来事が嘘だったかのように、通りには人が行き交っていた。夢だったのかと思い右手を見ると、薬指にはあの指輪が嵌っていた。
「こ……怖すぎんだろ〜〜!!」
人目も気にずに、私は叫んでいた。




