決着
自分の腹の中を自分以外の異物が通っている感覚というのは分かるだろうか。
僕は今、知った。
ろくなもんじゃない。
痛みはあるけど、それ以上の熱と不快感、それから喪失感が痛みを覆い隠してしまって、もう何が何やら。
しかも通ってるのが、あの禍々しい事この上ない、犬コロの死骸を溶かして塗り固めたような黒い剣なのだから、不快感は格別だ。
二度と味わいたくない。
そんな訳で僕は魔剣で腹を貫かれて、致命傷を受けた。
血がぼたぼた出てきて、もう少し傷口が拡がれば内臓が零れ落ちそうな状態となって、崩れ落ちそうになった。
なんとか堪えられたのは、おそらく痛みがそれほど大きくなかったからだろう。
僕は根性がないので痛みにはめっぽう弱い。
痛みが強ければきっと心が折れて、下にヤオ・ワンが居る事も構わずその場で蹲っていた事だろう。
だけど堪えた。
逆に言えばそれは、痛みを感じる事すらできないヤバい傷って事なんだけど、刺された直後は関係ない。
頭で理解してても、感覚がまだ追いついていない。
後、数秒したら嫌でも理解せざるを得ないので、僕はそうなる前にヤオ・ワンの腕に絡みついている剣を掴み、その刃でヤオ・ワンの腕を斬り落とした。
ちょいと無理のある態勢ではあったが、剣の切れ味自体はクソったれなくらい鋭かったので、肉はおろか骨だって豆腐のようにスパッと斬れた。
肩口からスッパリ斬った後は、その剣を腕ごと放り投げてやった。
こちらに絡んでこないよう遠くに。
ヤオ・ワンの肩口から噴水みたいな勢いで血液が噴き出たが、僕はそれ以上にヤバい事になった。
なんせ、ヤオ・ワンの肩に手を掛ける前に、僕の腹をぶった切ったのだから。
剣を抜く暇があればよかったのだけど、残念ながらそうなる暇がないのはなんとなく判ってたから、そのまま僕の腹を切り裂いて、それからヤオ・ワンの腕を斬り落としたのだ。
見たらたぶん僕のはらわたがどっぷり出てきて、すごいグロテスクな事になってただろうが、幸いそんなグロテスクな光景は見ずに済んだ。
────というのも、僕の腹の傷は既に塞がっているからだ。
異世界チートの力による回復魔法。
ヤオ・ワンから魔剣を引き剥がした事で、魔剣の効力がなくなり、無事僕は異世界チートの力を使う事ができたのだ。
これは一種の賭けだった。
本当だったらこんなイチかバチかのギャンブルに命を賭けたくはなかったのだけど、腹を貫かれた時点でもうそんな事は言ってられなくなってしまったので、やった訳だ。
そしたら無事成功。
マジで死ぬかと思った。
とりあえず自分の腹の傷が塞がったので、今度はヤオ・ワンの腕を治療する。
腕がなくなったからといって、そのまま隻腕となる訳はない。
異世界チートの力はそんな程度ではない。
再生だってお手の物。
放り投げた腕を無視してヤオ・ワンの、未だ噴水みたいに血が噴き出てる肩口に回復魔法をかけると、みるみるうちにヤオ・ワンの腕が生えてきて、魔法をかけた数秒後には傷跡が一切残らない綺麗な白い肌となった。
噴き出た血液は消えないので赤い背景に白い肌が良く映える。
ちらりと放り投げた方の腕を見ると、そっちの方は別に消えたりはしておらず、何故か青く干からびた状態で残っている。かなり猟奇的な光景である。
「ふぅ」とここでようやく一息吐く。
どうしようかと考えたが、血を失いすぎてちょっと頭が回らない。
頭に血が昇ってたら丁度よかったのかもしれないけど、別にそんな事はなかったので、普通にくらくらする。
んで、くらくらしながらとりあえず立った。
この行為に特に意味はない。
というかそういう事を考える程、余裕はない。
そしたら僕が立ち上がったと同時に、ヤオ・ワンの方も立ち上がっていた。
彼女の目は作画崩壊したみたいに虚ろだったが、それでも顔はこちらを向いていた。
いつの間に、と戦慄の想いが全身を駆け巡る。
「…………あー」
ヤオ・ワンはゾンビみたいな声を出した後、ボクサーみたいに拳を構えた。
おいおい、と思いつつも、僕も釣られて拳を構えた。
その瞬間、ヤオ・ワンの目に光が戻り、こちらに焦点が合ったかと思えば、拳が目の前まで迫っていた。
殴られたと気付くのに、少し時間が掛かった。
寝転んで天井を見上げて、ライトの眩しさに嫌悪感を抱いた辺りでようやく自分が殴られた事に気付いたのだ。
慌てた起き上がろうとすると、ヤオ・ワンの追撃が飛んできた。
硬いつま先がこちらの鼻梁にめり込み、僕の顎が浮いたタイミングで襟を掴まれ、ぐるんと視界が縦に回転したかと思えば、思いっきり地面に叩きつけられた。
どこにそんな力があるのかと思うが、ヤオ・ワンの必死な表情を見ると、そうも言ってられなくなる。
「悪いわね。あの剣を使って、迷惑を掛けた事は認めるし、謝りもする。でもそれは勝ちを譲る理由にはならないの。あたしは本気であんたに勝とうとしてるんだから」
「それが真剣勝負ってやつか……うん、まぁ、分かる」
これが礼儀を重んじる武道とかなら、あの剣を卑怯だと詰る事もできただろうが、この戦いはそういうものではない。
単に勝つか負けるか。
それだけを目指した試合であり、それ以外の要素はむしろ邪道だ。
だからヤオ・ワンの言ってる事は正しい。
少なくともこの試合においては正しい。
外野がなんと言おうと、対戦相手である僕がそれを認めているのだから、何も問題はない。
僕は再び立ち上がろうとする、とヤオ・ワンがそれを防ごうと、追撃の追撃を繰り出す。
だが、それを読んでいた僕はその追撃を躱す。
互いに余裕がないので攻撃が単調だ。
倒れるように動けば、躱すのも簡単だ。
蹴りが空振りしたヤオ・ワンが態勢を崩す。その隙に今度こそ僕は立ち上がる。
かなりしんどい。
いやまぁ、異世界チートの力は復活したのだけど、ちょっと魔剣の時のダメージが大きすぎて、というか血を流し過ぎて、体力がほとんど残ってない。
こんな事ならヤオ・ワンの腕を再生してやるんじゃなかった、と思わなくもないが、それはそれで変な迷いが生まれてしまうので、これで良かったのだと自分に言い聞かす。
歯を食いしばって立ち上がり、ヤオ・ワンに向けて拳を繰り出そうとするも、彼女はその前に攻撃を仕掛けていた。
「ぐふっ」
たたらを踏むも、なんとか踏ん張って、僕は再度拳を繰り出そうとする。が、
「ごふっ」
やはりその前にヤオ・ワンが攻撃をして、僕は拳を繰り出せないでいる。
それからも僕が拳を出そうとする前に、ヤオ・ワンが攻撃をして、一方的なリンチが続いていく。
どうもヤオ・ワンの攻撃の方がワンテンポ速い。
それともこれが戦闘技術の差だろうか。
ヤオ・ワンだって腕を斬られて血を出して貧血気味だろうに、どうしてこうも速く動き続ける事ができるのか。
このままだとなぶり殺しが続いていくだけなので、僕は攻撃を受ける覚悟を決めて、拳を振り上げる。
いくらヤオ・ワンの攻撃テンポが速くとも、所詮は非力な女の子。
一撃一撃が軽い。
受ける覚悟を決めてしまえば、こっちだって怯まずに攻撃を繰り出す事ができる。
だが、そういうタイミングに限って、ヤオ・ワンの攻撃はいやらしいモノとなっていた。
いつもより軽い顔面パンチが来たかと思えば、それとほぼ同時に脛への地味な蹴り。
道路の石ころを蹴るようなしょぼい蹴りでも、そこは人体で肉が一番薄く、かの有名な弁慶さんでも簡単に泣いてしまうくらいに衝撃に弱い部位。
何の鍛錬もしてない僕では覚悟を決めるとかそういう次元ではなく、もはや反射的に悶絶してしまう。
そしたらもう僕は隙だらけで、ヤオ・ワンは殴り放題。
攻撃が続く。続く。
「ぬがぁっ!」
今度こそと意を決し、攻撃に乗り出すも、次は金的。
これはもう説明不要。
悶絶し、その間にまたタコ殴りされる。
「くそがぁっ!」
脛と金的に警戒をしつつ攻撃。
が、今度は普通に避けられる。
空振り。
からのダメージ。
「ぐぇっ」
なんかもう、こいつ普通に回復してね?
どうも、攻撃しながらヤオ・ワンは体力回復しているように感じられる。
だけど、その表情は最初と比べて明らかに真剣。
締め切り前の漫画家くらいに目が血走り、口だって凌辱前の女騎士の如く食いしばっている。
ヤオ・ワン優勢なのは、向こうが有利だからではなく、向こうの方が根性振り絞ってるからのようだ。
『ヤオさんの努力は認めないわけにはいかないとも思ってる』
『そうだね。ヤオちゃんが努力家なのはホントそう。元々才能がある方だろうけど、それでもあの強さは才能の一言で片づけたらダメだと思う。ヤオちゃんは我儘で自己中だけど、努力家なところは尊敬してる』
根性振り絞る事に慣れてるのだろう。
努力家ってのはある意味、根性を振り絞る事に慣れてる奴を指す言葉と同義なのだ。
大人になれば努力をシステム化してあれやこれやな自己啓発論で済ませてしまえるのだろうけど、まだまだ子供の、しかも文明がそれほど発達しきってないこの世界で、そういう理論が出来てるとは思わない。
しかもあのヤオ・ワンなら猶更だ。
単にヤオ・ワンは意思の強さだけでここまで戦えるようになったのだ。
てか、こういうのはもう理屈ではないか。
理屈とかではなく、肌が、本能が、ヤオ・ワンのこれまでの必死な努力を伝えてくる。
これまで逃げ続けて、何にも積み重ねてない僕とは大違いだ。
いよいよヤオ・ワンの体力が切れ、隙ができる。
それは、これまでにない致命的な隙だった。
僕はその隙に拳を振り上げ────振り上げるが、どうにも振り下ろせない。
彼女を殴る資格が、僕にあるか?
異世界チートがなんだってんだ。
気付けば、僕は振り上げた拳をそのままスッと下ろしていた。
すると、ヤオ・ワンからの一切躊躇ない拳が顎に入り、僕の意識がぷつんと切れる。
真っ暗な視界の中、どこか遠くで「どうして攻撃を止めたッ!」と叫ぶ声が聞こえたような気がした。
暗転。
◆
「お、気がついたかい?」
僕はいつの間にか天井を見ていた。
視界を動かすと、知らない場所で、椅子に座ってこちらを見つめるヒオカさんが居る光景が見えた。
眠っていたと感覚が訴え、どうしてこんなところで眠っていたのか、と疑問が湧き出た瞬間に、僕はヤオ・ワンと戦っていた事を思い出した。
「…………あれ? 試合は?」
反射的に身体を起こし、僕は疑問を口にする。
「終わったよ」
僕の疑問に、ヒオカさんが何でもないように答える。
「惜しかったね。いい勝負だった」
「……って事は、負けた?」
「そうなるね。あの試合はヤオ君の勝ちだったよ」
「そっか……」と僕は何も理解せずに言って、そのまま呆然とする。
何かよく分からないが、どうやら僕は負けたようだ。
ベッドに座った態勢のまま、僕は途方に暮れた。




