それは、可愛らしい二頭の歓迎でした
早朝。空が白くなり太陽が顔を出す少し前。
私はいつも通り目が覚めた。
「……あれ?」
今にも崩れそうな壁ではなく、真っ白で染み一つない天井。固い木の台に布を敷いただけの寝床ではなく、柔らかなベッド。
いつもの朝の光景との違いに戸惑う。
「あ……獣人の国に嫁いだのでした」
昨日の夜のことが幸せすぎて、夢なら覚めないで、と思い込んで眠ったから余計に。
体に馴染んだシーツから出て、窓をあける。神殿とは違う乾いた風。少し肌寒いけど、それが気持ち良い。
私は胸の前で両手を握ると、大きく息を吸い込み、日課である歌をうたった。
太陽が昇ることを、朝が迎えられたことを、今日という日を過ごせることを、すべてに感謝する歌。
母から教えてもらい、引き継いだ。
この歌を日の出とともに歌うのが私の仕事。毎朝、神殿の中央にある祭壇で歌う。
神殿の天窓から降り注ぐ朝日に照らされ、歌っている間はすべてを忘れられる。自分が一人であることも。空腹も。寒さも。
歌い終わったところで、私はふと気がついた。
「ここは神殿ではないから、歌わなくても良かったのでは!?」
戸惑う私の背後からパチパチという音が聞こえた。
振り返ると、開いたドアの前でアッザが笑顔で両手を叩いている。
「あ、その、失礼いたしました。朝から、うるさくて」
「なにを仰られますか。朝から、こんなに美しい歌声を聞かせていただけて、喜ばしいかぎりです」
「喜ばしいなんて、そんな……」
やっぱりアッザは褒め上手。マクシム陛下たちからは、耳障りだから人がいる時は歌うな、と言われたのに。
恥ずかしくて俯くと、アッザが手を叩くのを止めて私の前へ来た。
「いえ、いえ。こんなに透き通った歌声は初めて聞きました。他の者がいたら拍手とアンコールの嵐です」
「拍手? あ、手を叩いて賛成や賞賛の意思表示の一つとされている……もしかして先程、手を叩かれていた、あれが拍手ですか?」
「………………その拍手です」
アッザが微妙な笑みを浮かべる。書物に書いてあった言葉のはずだけど、どこが違ったのだろうか。
悩む私にアッザが着替えの服を差し出した。
「朝の身仕度をしましょう。それから朝食をとりまして、式の準備をいたします」
「式? なんの式でしょうか?」
「ライル様とセシリア様の結婚式です」
「……あ」
嫁いできた自覚がない私はすぐに忘れてしまう。
アッザが困ったように笑った。
「すぐに結婚式をおこなうわけではありませんから。まずは必要なことの準備をしていきましょう」
「は、はい」
急に緊張してきた。嫁ぐということは、ライル様の妻になる……ということで。
でも、神殿に獣人の結婚式についてや、妻がすることなどが書かれた書物はなかった。
「あ、あの、私はなにをすれば、よろしいのでしょうか!?」
食いつく私にアッザが上半身を反らし、木の葉のような形をした耳が困ったようにピクピク動く。
「まずは落ち着いてください」
「はい!」
私が半歩さがったところでアッザが安堵したように息を吐いた。それから少し屈んで私と視線を合わせ……
「セシリア様がなさらないといけないことは」
「はい!」
アッザが私の頭からつま先まで見て断言した。
「太ること、です」
思わぬ言葉に私はポカンとしてしまった。
※
美味しすぎる朝ご飯をお腹いっぱい食べた私は日向ぼっこをしていた。
まさか、朝から焼き立てパンが食べられるなんて。しかも、外はサックリなのに中はしっとりふわり、という初めての食感。それに、ふんわりと焼いた卵と、温かなスープ。
朝から口が幸せで満たされました。
私は朝食の余韻に浸りながら空を眺めた。
城にある大きな木の下に置いてある長椅子。蔦を編んで作られており、風通しがよく、体型に合わせて沈む。その椅子に私は座っていた。
日中での日差しはとても強く、少し当たるだけでも肌がピリピリと傷む。けど、ここは大木のおかげで程よくなっている。そこに吹く乾いた風は体を冷やし、とても過ごしやすい。
私は隣で飲み物の準備をしているアッザに訊ねた。
「あの、本当にこれでよろしいのですか?」
「はい。先程、診察した治療師もおっしゃっていたでしょう? セシリア様は食べて、日を浴びて、寝て、肉と体力をつけないといけない、と」
「それなら運動とか……」
こうして座っているだけ、というのも気が引けてしまう。
でも、アッザが軽く首を横に振った。
「まずは、ここの気候に体を慣らすこと。それから運動をしないと倒れますよ。セシリア様は体力も力もないのですから」
「……はい」
診察をされた時に体力検査のようなものもあったけど……
アッザがため息を吐く。
「まさか、本より重いモノが持てないとは思いませんでした」
「で、でも辞書とか重い書物は運んでいました」
「それでも一冊が限界でしょう?」
「……はい」
「獣人なら軽く百冊は運べます。人族でも数冊は運べるでしょう」
「うぅ……」
力がないのでは、と思っていたけど。でも、ただ座っているだけなのも……
そこに、ハッハッという音? 声? が聞こえてきた。しかも、複数?
「あ、コラ! おまえたち、ダメよ!」
アッザが少し離れたところに声をかける。体を捻ってそちらを見ると、そこには二頭の……
「犬、でしょうか?」
砂漠の砂のようなクリーム色の犬が走ってやってきた。そのまま私に飛びかかりそうな勢い。
私の体が固まったところで、二頭の犬がピタリと止まった。
「ワヒ、ナン、おすわり」
「「わふっ!」」
二頭が声をそろえて応え、素早くその場に座る。
「すごいですね」
犬を見るのは初めて。二頭の犬はアッザからの指示を待つように待ちながらも、チラチラと私を気にしている。そのキリッとした顔は書物に書いてあったとおり賢そう。
うずうずと二頭を見ていると、アッザが私の前で跪いた。
「お手を失礼します」
「は、はい」
アッザが私の手を取り、犬たちを呼ぶ。
「くすぐったいかもしれませんが、動かずにジッとしていてください」
犬たちが私の手を嗅ぐ。しっとりとした鼻が微かに触れてくすぐったい。
「これでセシリア様の臭いを覚えたので攻撃はしません。ですが、犬に触れる時は上から手をかざさないように。下から顎に触れるように手を出してください。ただし、ここで飼われている犬限定で。外の犬には近づかないように」
「……はい」
「ちなみに、右耳が垂れているのがワヒ。左耳が垂れているのがナンです」
「「わんっ!」」
私の手から顔を離した二頭が吠えた。
軽く口をあけて私を見上げる顔は笑っているみたい。クリッとした黒い目に大きな体。ピンと伸びた尻尾を激しく左右に振っている。
「あ、あの……触ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
アッザの言葉を理解したのかワヒとナンが私にすり寄ってきた。恐る恐る手を差し出すと頭をすり寄せて。
「ふわぁぁぁ……あたたかいです」
ざらざらと短い毛。でも、肌触りはよく、滑らか。そのまま首を撫でると皮がびろんと垂れている。タプタプと揺れる皮は面白い感触。
子どもの頃に助けた仔猫とは、また違う感じ。
「犬って、こうなっているのですね。書物を読むだけでは分かりませんでし、キャッ!」
二頭が私に飛びかかる。支えきれなかった私は後ろに倒れた。地面が柔らかい砂なので痛みはない。
「セシリア様! コラ! おまえたち、離れなさい!」
アッザが命令するけど二頭は楽しそうに私にじゃれる。
「くすぐった……ちょ、きゃっ!」
どうにか逃げようと体を返して顔をあげる。すると、城の窓の影に見覚えがある焦げ茶の髪が。
(ライル……様?)
「「わうっ!」」
「ぐぇっ」
初めて聞く声が口から出た。二頭に押しつぶされながらも、次に私が顔をあげた時には、誰もいなかった。




