それは、今の私ができることでした
冷えた空気に体が固まる……けど、それ以上にライル様が。すべてを壊すような大声で叫んだ。
「ど、どどど、どぉ、どういうこ……グッ!」
慌てて起き上がったライル様が胸を押さえて俯く。
「大丈夫ですか!? 動かないほうが……えっ?」
痛みを堪えながらライル様が左手で私の手首をしっかりと掴む。右手で胸を押さえ、俯いたまま唸るように声を出した。
「は、破棄って、どういうことだ!? 結婚をなかったことにするということか!?」
「は、はい」
手首を掴む手に力が入る。でも、それは私を痛めるものではなく、微かに震えていて。
「何故だ!? なぜ、ウッ……」
「ライル様!? 大丈夫ですか!? も、申し訳ございません! この話は後日にいたします! 今はお休みください」
寝かせようとしたけど、ライル様が全然動かない。俯いたまま、絞り出すような声で私に訊ねた。
「なにが……悪かった? 何がいけなかった?」
今にも消えそうなほど弱々しく、落ち込んだ声。こんなライル様の姿は初めて。
どうにか状況を変えたくて、私は床に膝をついて下からライル様の顔を覗こうとした。でも、焦げ茶色の髪が表情を隠す。
私は必死に訴えた。
「違います! ライル様は何も悪くありません! 私が……私のせいで……すべては、私が悪いのです……」
言葉とともにマットの端に沈む私。できるなら、このまま消え去りたい。
そこで、ゆっくりとマットが揺れた。同時に感じる鋭い視線。
「何があった? 全部、話せ」
顔をあげるとライル様が私を見つめていた。まっすぐに宝石のように輝く濃緑の瞳。顔色は悪いのに、今にも倒れそうなのに。力強い目。
その目にすくいあげられるように私は口を開いた。
「声が出なく……いえ、歌がうたえなくなりました。歌うことができない私に、価値などありません。それに、結婚をなかったことにすれば、獣人の方々は国に帰れます。そうすれば、人々からいわれのない差別を受けることもありません」
言い切った私をライル様が動かずに見下ろす。
「それだけか?」
思わぬ言葉に私は意味が分からなかった。
「え?」
私の返事にライル様がため息を吐く。
「歌など関係ない。おまえが必要だ。他の獣人もそうだ。おまえが必要だから、ここまでついてきた」
「ですが、私は歌えなくて」
「だから、おまえの歌が必要なんじゃない。おまえが必要なんだ」
ありえない言葉に呆然とする。
「わたし……が?」
色なしと呼ばれ、蔑まされてきた私が。必要とされるなんて、考えられない。
ライル様が私の左手に触れる。そのまま、そっと指輪を撫でた。
「みんな、おまえが大事なんだ。おまえのことを想い、慕って帝都まで来た」
「ですから、私がいなくなれば……」
「そうじゃない!」
ライル様の大きな声に私の肩が跳ねる。
「獣人たちの気持ちを無駄にするな。獣人たちはおまえを悲しませたくなくて頑張っているんだ」
「私を、悲しませたく……なくて?」
「そうだ。人族と争えば、おまえが悲しむ。だから、分かり合おうと、共に生きようとしている。それなのに、おまえが我慢をして、どうする? 獣人たちの気持ちを、努力を踏みにじるのか?」
私は慌てて否定した。
「そのようなつもりはありません!」
私の答えにライル様の口元が緩んだ。鋭かった目が細くなり、優しく微笑む。
「なら、今のままでいい。歌がなくても、おまえはおまえだ。そのまま、オレの側にいろ」
私は自然と訊ねていた。
「このまま、ライル様のお側にいても、よろしいのでしょうか?」
ライル様が私の頬に触れた。
「最初に言っただろ。人質は生きてこそ価値がある。おまえは、おまえのまま、オレの隣に居ればいぃ……グッ!」
ライル様が胸を押さえてマットに倒れる。
「ライル様? ライル様!? アッザ! アッザ!!」
私は激しく呼び鈴を鳴らした。部屋に飛び込んだアッザが急いで治療師のサナジャブを呼びに走る。
診察をしたサナジャブが眉間にシワを寄せた。
「……以前、魔獣の毒を受けただろ? その時の毒が治療魔法の効果を阻害している。しかも、今回の毒と合わさって強力な毒に変化した」
「どうすればよろしいのでしょうか!? ここにある薬草では治療できないのでしょうか!?」
「ここの泉の水と薬草では症状の悪化を遅らす程度で完治まではできない」
「では、どうすれば……」
「ライル様の城に戻れば、この毒に効く薬草がある」
私はサナジャブに飛びついた。
「私が取りに行きます! ライル様の城まで!」
「落ち着け。セシリア様の体力では時間がかかる。それに狙われているのだろう? 危険すぎる」
「ですが!」
食いつく私とサナジャブの間に冷静な声が落ちた。
「私が行きます」
振り返ると、そこには木の葉のような耳をピンと立てたアッザが。
「私の足ならば、どの獣人よりも早く薬草を持って帰れます」
「だが、その間のセシリア様の守りは、どうするんだ?」
「ラナ様に代わりの者を配置していただくようお願いします」
アッザの決意にサナジャブが肩をすくめた。
「おまえがセシリア様の守りを他の者に任せるとは。明日は雹とやらが降るかもな」
「茶化さないでください。私は本気です」
「そんなの分かる」
サナジャブが紙とペンを取り出してスラスラと手紙を書いた。
「これを城にいる治療師に渡せ。すぐに必要な薬草を渡してくれるだろう」
「わかりました」
「アッザ……」
私の声にアッザが頭をさげる。
「お側を離れることになり、申し訳ございません」
「いいえ! どうか、無事に帰ってきてください」
「はい。では、ラナ様と相談して参ります」
そう言ってアッザが立ち去り、すぐに別の獣人のメイドが私の世話役兼護衛としてやってきた。
アッザはすぐに旅立ち、私はライル様の看病へ。少しでもライル様の体が楽になるように、症状に合わせた薬草を泉の水で煎じた。それでも、症状はあまり変わらない。
薬草が効いていないように感じるけど、サナジャブには症状が悪化していないので、ちゃんと効いていると言われた。通常なら毒が全身にまわり、切り裂くような痛みと高熱にうなされている頃なのだと。
苦しむライル様を前に何もできない私。無力なことは知っていた。でも、ここまで無力だったなんて。
ふつふつと湧き出る感情。悔しくて、悲しくて、情けなくて。自分が許せない。初めて感じる気持ち。
「もっと、私にできることが……なにか……」
ふと頭に頭に響いた声。
『一気に浄化しやがって。普通なら気絶するところだぞ』
神殿に戻ってきて歌った時にライル様に言われた言葉。
(もし、本当に私の歌声に浄化する力があるなら……ライル様を苦しめている毒を浄化することも……)
私は泉へ足を動かした。陽が落ちて、真っ暗な廊下。
静寂とともに湿った空気が頬を撫でる。透明な水が湧き出る泉。天窓から降り注ぐ月光を弾き、キラキラと煌めく。
その前にある祭壇の前に立ち、私は両手を組んで祈りの姿勢になった。こうしていると、毎朝と変わらない。いつものように歌えそう。
私は息を吸って大きく口を開けた。お腹に力を入れて声を出す。
でも、出てきたのは空気と擦れた音だけ。
声にも音にもならない。当然、歌とはほど遠い。
それでも私は必死に歌った。声は出なくても、音にもならなくても。ライル様の回復を祈って。ただ、ひたすらに歌った。




