それは、決断でした
治療テントで私を診察した獣人の治療師サナジャブが眉間にシワを寄せたまま結論を口にした。
「…………喉に異常はないわ」
その診断結果にアッザが身を乗り出す。
「そのようなことはありません! 実際に声が出ないのですから!」
「分かっている。だが、診た限りでは喉に異常はない」
疲れた様子でサナジャブが私に視線をむける。地震が起きて以降、ずっと負傷者の治療をしているのだから疲れているのは当然で。
私は頭をさげた。
「お忙しいところを、ありがとうございました」
「セシリア様!」
慌てるアッザを私は止めた。
「喉に問題がないのでしたら、治療の仕様もないと思います。忙しいサナジャブの時間をこれ以上取るわけにはまいりません」
「ですが……」
「私は大丈夫です」
サナジャブがアッザに言った。
「本人がそう言っているんだ。あとは本人の問題でもある」
その言葉にアッザが目を丸くする。
「まさか、心の……」
「治療はここまでだ」
サナジャブがアッザの言葉を切るように話す。
「また変わったことがあったら声をかけてくれ」
「ありがとうございました」
私は頭をさげて治療テントを後にした。
帝城にある広大な庭に簡易のテントが並び、人々が生活をしている。
少し歩いただけで、朝に歌声が聞こえなかったことを心配して声をかけてくれる人が多く。でも、何も説明できない私は曖昧に微笑むことしかできなかった。
(このまま歌うことができなければ、私はどうなるのか。歌えない私に価値はあるのか……)
俯いて歩く私にアッザが後ろから心配そうに声をかける。
「セシリア様……」
私は振り返ったけど、アッザの顔を見ることができず俯いた。
「あの、申し訳ありませんが、少しの間だけ一人にしてもらえないでしょうか?」
あれだけ一人の時間は寂しいと思っていたのに。ライル様にも一人にはなるな、と言われた。でも、今はどうしても一人になりたい……
「護衛のためにも完全にお一人にすることはできませんので……距離を取るだけでもよろしいでしょうか? セシリア様からは見えない位置で護衛をさせてください」
「それで十分です。ありがとうございます」
「かしこまりました」
頭をさげたアッザが姿を消す。でも、すぐに駆けつけられる位置にいるのだろう。
私は気にせずに一人で庭を歩いた。毎朝、ワヒとナンと散歩をしていた庭。そのワヒとナンは今日も街で瓦礫に埋もれた人の救助に。
私は一部が崩れ、荒れてきている庭に視線をむけた。人々は生きるためだけで精一杯で。獣人の方々は侮蔑されながらも復興に協力してくれて。それは、私がここにいるから。私がいるせいで……
「私は盟約で嫁いだお飾りの妻。今の私がライル様のためにできること……これ以上、獣人の方々に迷惑をかけないためには、どうすれば……」
考えを遮るように私を呼ぶ声がした。
「セシリア様。お一人でいかがされました?」
目の前にはフェルナン様。珍しく従者を連れていない。
「フェルナン様はお一人でどうされたのですか?」
「従者たちは国に戻る準備をしておりまして」
今回の大地震で国交の条約どころではない。ストファリア帝国の再建も振り出しに戻ったようなもの。近隣諸国の大使も次々と帰国している。
納得しているとフェルナン様が私に訊ねた。
「ところで今朝は歌声が聞こえなかったのですが、いかがされました?」
「実は……」
歌声が出ないことを説明すると、最初は驚いていたフェルナン様があっさりと提案された。
「代わりの聖女を探したらどうでしょう?」
「……代わり?」
「泉の聖女は一子相伝ではなかったと思います。たしかセシリア様の母君は皇族とは関係のない血筋の方でしたが、魔力が強いため神殿に入られて、聖女になられたのでは?」
「そういえば……」
そのような話を聞いたことがある。
「魔力が強い者を見つけて歌わせればよいのですよ。見つけるのが大変でしたら、シェノバ国にいる魔力が強い者を連れてきましょう」
意気揚々と提案するフェルナン様。でも、私はほとんど耳に入っていなくて。
(代わりの聖女が見つかったら、私は本当に役立たずに……)
全身の血の気が引いた気がした。私には歌しかないのに。それさえも失うなんて……
愕然としていると、フェルナン様が膝をついて私を見上げた。
「私に少し時間をください。この国の復興をする支援を整え、あなたの元へ嫁げるように準備をして戻ってまいります」
「え?」
「無理に獣人の国に嫁ぐ必要などありません。今なら結婚を取りやめることも可能です」
その言葉に私は考えた。
(私が嫁がなければ、ライル様は怪我をすることはなかった……私が嫁がなければ、ライル様はお慕いされている方と添い遂げることができる、かもしれない……私がいなければ…………)
心が揺らぐ私にフェルナン様が言葉を続ける。
「そもそも獣人との結婚が間違いなのです。皇女であるセシリア様がこの地を離れる必要など、どこにもありません」
私の心に乾いた風が吹いた。
茶色の砂と青い空。緑はほとんどなくて、空気は乾燥していて、日差しは痛いほど強くて。生き物の気配は少なくて、厳しい自然に囲まれて。
でも、私を優しく迎えてくれた。私を受け入れてくれた。
「あの……」
答えに困っていると、フェルナン様の従者がやってきた。フェルナン様が立ち上がり、私に頭をさげる。
「すぐに戻りますから。どうか私を信じて、お待ちください」
そう言い残して足早に立ち去るフェルナン様。その後ろ姿を追うように湿った風が私の髪をかきあげる。白銀の色なしと呼ばれ蔑まれる髪。
(これ以上、ライル様に、獣人の方々に、迷惑をかけないためには……)
「アッザ」
「はい」
私の呼びかけにアッザが素早く姿を現す。
「神殿に戻ります。そして……ライル様とお話をします」
「……かしこまりました」
顔をあげた私にアッザが頭をさげる。私の決意を感じ取ったのか、何も言わないアッザ。私は重い足を神殿へむけた。
アッザが神殿のドアを開ける。冷えた空気が私を迎えた。中を歩けば、いつもより響く足音。静寂に息が詰まる。
私は一番奥にある部屋のドアの前に立った。
「ライル様と二人でお話しをしてもよろしいでしょうか?」
「何かありましたら、呼び鈴を鳴らしてください」
「はい」
アッザが音もなく下がる。深呼吸をした私は軽くドアをノックした。
「なんだ?」
ライル様の声。でも、いつもより弱々しい。私はそっとドアを開けた。
「失礼いたします。お体はいかがでしょう?」
「……薬が効いたのか、昨日よりマシだ」
「あ! まだ、寝ていてください」
私は体を起こそうとするライル様に手を伸ばした。
確かに昨夜に比べれば汗が減っていて、唇も潤ってはいるけど、顔色は悪く、息も荒い。まだ安静にしていないと。
「あとで薬を準備します」
「…………頼む」
ものすごく嫌そうに渋々という表情でライル様がマットに体を倒す。それでも薬を飲むのは、それだけ効果があったからだろう。
「アッザに作って持ってきてもらいますね」
「おまえが作るんじゃないのか?」
何故か慌てたようなライル様。私は首を傾げた。
「煎じ方をアッザに教えますので。同じ薬ですから効果も同じになります」
「そうだが……そうじゃない。その、おまえが作った薬がいい」
その言葉に胸がキュッとなる。まるで私を必要としてもらえているような。そんなわけないのに。
私は覚悟を決めて言った。
「あの……ライル様にお話があります」
「なんだ?」
まっすぐ見つめてくる濃緑の瞳。私は逃げるように顔をそらした。
「結婚を、なかったことに……その、破棄、してください」
その言葉だけで室内が真冬のように凍った。




