それは、突然の襲撃でした
冷えた空気とともに視線がグリラに集まる。無言のまま、ゆっくりと立ち上がるグリラの迫力に集まっていた人たちが一歩さがる。
そこに幼女がトテトテと小走りでやってきた。
「おいちゃん。ウサちゃん、見つえてうえてありがとう」
たどたどしく礼を言ったその手には薄汚れたウサギのぬいぐるみ。幼女の後ろにいる母親らしき女性が恐る恐る頭をさげた。
「先ほどは危ないところを、ありがとうございました」
「どういうことだ?」
ライル様の質問に女性がビクリと顔をあげる。それから、ライル様の顔に目線が固定され、頬を赤くした。
話しそうにない女性にアッザが優しく声をかける。
「先ほど、何かありましたのでしょうか? 危ないことがありました?」
「あ、そ、その……この子がウサギのぬいぐるみを取りに戻ると崩れかけた家に入りまして。そこから出られなくなっていたところを、この方が助けてくださったのです」
幼女が長い髪を揺らしながら大きく手を広げた。
「おいちゃんがドーンって木をどえて助えてうえたの。ウサちゃんも見つえてうえたよ」
全員の視線が再びグリラに集まる。私はフェルナン様に訊ねた。
「もしかして、その光景が家を壊しているように見えたのでしょうか?」
「そ、そうかもしれませんが。その結果、家を壊したことに変わりないでしょう」
「確かに、結果はそうですが……」
でも、そういうことではない気がする。ちゃんと言いたいけれど、言葉が見つからない。
「なら、おまえはこのチビのために家を壊すな、と言いたいのか? チビより家の方が大事だと?」
ライル様の言葉にフェルナン様が肩をすくめた。
「家を壊さずに助ける方法もあったでしょう、と言っているのです。すぐに壊すのは野蛮な証ですよ」
「それは時と場合によるだろ。理想論も結構だが、現実にそぐわないことも多くある。まずは、この現状を見てから言え」
そう言ってライル様が周囲の光景を手で示した。道に並ぶのは半壊、もしくは全壊した建物。形が残っていても、いつ崩れるか分からない。
「そのようなこと、言われるまでもありません」
にらみ合うライル様とフェルナン様。二人の間に見えない火花が散っているような……
そこに女性が訴えた。
「あの、家は崩れかけていたんです。それなのに、この子が入って。そこで家が崩れ始めて……助けていただけなければ、この子は家の下敷きになっていました。この方は、この子の命の恩人です」
女性の説明にグリラの顔が真っ赤になっていく。両手で顔を手で隠し、再び私の後ろに屈み込んだ。
その様子にライルが尻尾を不機嫌に揺らしながら腰に手をあてる。
「グリラ。おまえはでかい図体で誤解されやすいから、そういうことは報告しろと言っただろ」
「す、すみません。その、恥ずかしくて……」
小鳥がさえずるような小声。拍子抜けしたように見つめる人々。そこにワヒとナンの吠える声が響いた。さっきまで私の足下にいたのに、今は少し離れた場所にある崩れた建物の前にいる。
二頭の姿を確認したアッザが私に言った。
「もしかしたら、救助が必要な者を見つけたのかもしれません。セシリア様。少しの間、お側を離れてもよろしいでしょうか?」
「はい。私のことは気にしないでください」
「ありがとうございます」
走り出すアッザ。ライル様がすぐにグリラに命令した。
「おまえも行け!」
「はい!」
グリラがドスドスと足音を立ててアッザを追いかける。
その姿を見送ったライル様がフェルナン様に鋭い視線をむけた。
「おまえが獣人を気に入らないのは勝手だが、こっちの邪魔はするな」
「そちらこそ、私の邪魔をしないように」
二人の間に無言の緊張が走る。先に動いたのはライル様だった。
「行くぞ」
「は、はい」
歩き出したライル様を慌てて追いかける。チラリと振り返ればフェルナン様も従者を連れて去っていた。ただ、その口元は不気味な笑みが浮かんでいて……
※
広場に移動すると、美味しそうな匂いが漂ってきた。同時に聞き慣れた声も。
「ほら、ほら。辛気くさい顔してないで、まずは食べなさい。食べないと動けないわよ」
木と布で作られた簡易のテント。その下で料理長であるバクルたち獣人の料理番がパンやスープを並べていた。それを遠巻きで眺めている人々。
疑惑と疑心が渦巻く中、私はテントへ走った。
「バクルたちも街に来ていたのですね」
「ラナ様に言われてね」
「いい匂いですね。美味しそうです」
「私が作ったんだから、当然よ。しかも、しっかり煮込んだから具はトロトロで栄養たっぷりになってるわ」
その説明だけでお腹が鳴りそうになる。反射的にお腹を押さえると呆れた声が降ってきた。
「ヨダレが出ているぞ」
「ふぇっ!?」
ライル様の指摘に私は慌ててハンカチを出して口元を拭いた。
「し、失礼いたしました! バクルのスープはいつも美味しいので、つい……野菜とお肉の旨みがしっかりと出たスープはいくらでも飲めますし。野菜はトロトロ、お肉は噛まなくてもホロリと崩れて。パンに浸して食べると、また味が変わって美味しさが増えるんです」
うっとりと思い出しながら話していると、私の背後からゴクリと生唾を飲み込む音がした。
振り返ると、空腹を我慢している人々。
「こんなに美味しいスープはなかなか食べられないですよ。今、食べないと後悔すると思います」
私の説明に遠巻きだった人たちが囁きあう。
「そ、そこまで言うなら……」
「なぁ」
「食ってみるか」
前に出た人々が料理番の方々からスープを受け取り、そっと口をつける。
「……うまい」
「すげぇ。そこら辺の店より旨いぞ」
「本当か?」
「いや、マジで。食べてみろ」
次々と集まる人にバクルが声をかける。
「はい、はい、順番に並んで。たくさん用意したから大丈夫よ」
配られたスープとパンを手にする人々。
「おいしい!」
「あったけぇ……」
「うめぇなぁ」
喜びながら食べる人から涙ぐむ人まで。
その光景を見ながらライル様が私に訊ねた。
「ここで歌えるか?」
ざわざわと賑わい、神殿とは違い過ぎる雰囲気。でも、それは問題ではない。それよりも……
「歌えますが、みなさんの食事の邪魔にならないでしょうか?」
「そんなことを気にしていたら、いつまで経っても歌えねぇぞ」
「……確かにそうですね」
ここで食事をしている人もいれば、今まさに救助をしている人もいる。みんな、それぞれが出来ることをしている。
なら、私ができることは。
「歌います」
簡易テントから少し距離をとった私は祈りの姿勢になると、大きく息を吸った。いつもと違うけど、大丈夫。
私は精一杯の声を出した。
悲しいことも、辛いこともある。それでも、今できることを。私ができることを。祈りと願いを歌に込めて。
食事をしていた人たちの手が止まり、私に視線が集まる。
「この歌声は……」
「毎朝、どこからともなく聞こえる……」
「まさか、あの娘が歌っていたのか?」
ざわつく声。でも、私は気にせずに歌う。歌だけに集中して。気持ちを込めることだけに集中して。
「歌の主は先帝の娘だって聞いたことがあるぞ」
「じゃあ、あれがセシリア様だっていうのか?」
「だが、セシリア様は獣人の国の王子のところに嫁がされたって……」
「そうか。だから獣人と会話をしていたのか」
「おい、待て。それなら、セシリア様の隣にいる獣人は……」
疑念、蔑み、哀れみ、憤怒、さまざまな視線がライル様に集まる。
その気配に私は不安になり顔を動かした。私は何を言われてもいい。でも、ライル様のことは……
「声をとめるな。歌え」
私を見つめる濃緑の瞳。そっと左手の指輪に触れる。
大丈夫。みんなきっと分かってくれる。ライル様も獣人のみんなも悪い方々ではない。お互いを知れば、きっとわかり合える。
気がつけば、ザワついていた人々も静かになり、私の歌に耳を傾けていた。風が白銀の髪を舞いあげる。その先には澄んだ青空。
私はすべてを包むように両手を掲げて歌いきった。
…………パチ……パチ、パチパチパチパチパチパチパチ!
拍手の音が輪となり広がる。
周囲を見れば、人々が私を囲んでいた。
「よかったよ!」
「なんか、元気が出てきた」
「落ち込んでばっかりいられないよな」
「おう! やってやるぜ!」
集まる人々の前にライル様が私を引き寄せた。
「こいつはオレのだ。近づくな」
背中に振れる体温。しっかりと掴まれた肩。意識しただけで、胸がドキドキして、顔が沸騰したように熱い。
(前も同じことを言われた時は、胸がキュッとしただけだったのに……ど、どうしたのでしょう!?)
訳が分からず両手で頬を押さえてアワアワする。そんな私をポカンとした顔で見つめる人々。その視線が恥ずかしくて、余計に慌ててしまう。
突如、生温い風が私の頬を撫でた。寒くないのに、背中がゾクリとする。
顔をあげると、目の前にマントを被った男が一人。私に近づきながら、被っていたフードをおもむろに取った。
そこにあるのは、獣人の特徴である獣の耳。ただ、気になるのが……
私の考えがまとまる前に男が懐に手を入れた。
「獣人国の敵! セシリア覚悟!」
怒鳴りながらナイフを振り上げる。
「あぶねぇ!」
褐色の肌に包まれると同時に鈍い音が響いた。




