それは、ウェディングドレスの試着でした
朝日が昇る前。いつも通り目が覚めた私は、ゆっくりと左手を顔の前に掲げた。昨日の朝にはなかった金色に輝く指輪。
「夢……では、ないのですね」
くすぐったいような、胸が温かくなるような、初めての感情に戸惑いながら起きる。
白いレースが垂れた天蓋付きベッド。淡い黄色を基調にした壁と花柄のカーテン。あとは暖炉と応接セット。
可愛らしいけど、豪華すぎて少し落ち着かない部屋。
私は今まで通り神殿にある自室で……と、今までの神殿での生活を話したら、宰相だけではなく周囲にいた大臣も顔を引きつらせ、最後には何故か何度も謝られた。それから、急いでこちらの部屋を使うように勧められ。
「あそこまで懇願されたら断れませんしね」
皇族以外は神殿に入れないため部屋の改装ができないから部屋を移って欲しい、と説得されて。こうして、今は獣人の方々が使っている離れの城の一室を使っている。
これまでの経緯を思い返していると、軽いノックの音が私を現実に戻した。
「セシリア様、おはようございます」
「おはようございます」
アッザが音もなく部屋に入り、私の身支度を手伝う。早く一人で出来るようになりたいけど、アッザがなかなか一人でさせてくれない。
私の髪を梳かしながらアッザが今日の予定を話す。
「本日は結婚式用のドレスの試着がございますので、朝の散歩は短めでお願いいたします」
「ドレスは獣人の国で作りましたけど?」
首を傾げる私にアッザが簡単に説明をしてくれた。
この結婚は両国の同盟の証となるため、それぞれの国で結婚式をおこなうようになる。その時、結婚式をおこなう国のウェディングドレスを着用するため二着必要になるという。
つまり、お飾りの妻である私の初仕事が二回も!
「わかりました!」
気合いを入れる私にアッザは何故か額を押さえていました。
身支度を整えた私は、祭壇に朝の歌を捧げるため神殿へ移動。もちろんアッザも一緒に。
窓がない暗い廊下を抜け、本殿から神殿へと繋がる重厚なドアを軽々と開けたアッザが頭をさげる。
「お気を付けて」
「はい」
皇族以外は神殿に入れないため、アッザはここまで。私は一人、ドアをくぐった。
目の前に広がるのは、朝露に濡れた緑の木々と、季節の花々が咲く庭。足下には神殿へと続く大理石の道。
私は庭を抜け、神殿に入った。凜と冷えた空気に出迎えられ、まっすぐ進む。
視線の先には、天窓から降り注ぐ朝日に照らされた泉と祭壇。嫁いだ後も、マクシム陛下が失脚した後も、ここだけは変らない。私が生まれ、育った場所。
私は祭壇の前で呼吸を整えると、胸の前で手を合わせ、全身で声を響かせた。
太陽が昇ること、朝が迎えられたこと、今日という日を過ごせること。すべてに感謝して、精一杯の気持ちをのせて。
以前は歌をうたっている時だけ、現実を忘れられていた。一人の寂しさから逃げるように、歌うことに集中していた。
でも、今は違う。
昨日まではなかった左手の指輪にそっと右手で触れる。
今は一人ではない。ライル様やアッザ、獣人の方々がいる。寂しさを忘れるためではなく、感謝だけを込めて。
(私は歌うことしかできないから)
歌い終えた私は一息ついて振り返った。視線の先には神殿の入り口に立つライル様。背中を柱に預け、胸の前で腕を組む。不機嫌そうに見えるけど、表情は穏やかで。
帝城で過ごすようになってから、ライル様はこうして毎朝、神殿まで私を迎えに来てくれる。
皇族以外は神殿に入れない仕来りのため、最初は止められていた。でも、獣人だから仕来りは関係ないとライル様が言い張って強行突破。
最後には獣人の王族だから、と神殿を出入りできる許可をもぎ取った。
「おはようございます」
「あぁ」
会話はこれだけ。それから並んで庭を歩く。私のために足を運ばせていることに申し訳ない気持ちと、朝からライル様の顔を見ることができて嬉しいという気持ちがせめぎ合う。
(ダメ、ダメ。私はお飾りの妻なのですから。ライル様に余計な負担をかけてしまっては)
私は意を決してライル様を見上げた。
「あ、あの!」
「なんだ?」
本殿に入るドアを開けながらライル様が私を見下ろす。不機嫌そうな表情だが、耳は興味深そうに私の方を向いている。
「毎朝、神殿に来られなくても……「見つけたわよ! ライル!」
ラナ様の声が私の言葉を吹き飛ばす。
「今日という今日は仕事をしてもらうわよ!」
「え? ライル様、お仕事をされていないのですか?」
私の問いにラナ様が盛大に頷きながら答える。
「そうなのよ! もういい加減、書類仕事が溜まっているんだけど逃げてばっかりで」
「おまえに任せるって言っただろ」
「私ができる範囲も限られているのよ! それに、ライルばっかりセシリアちゃんの側にいてズルいわ!」
「おまっ、それが本音だ……グェ」
ラナ様がライル様の首に腕をまわして締め上げる。
「だ、大丈夫ですか?」
心配する私にラナ様が妖艶に微笑む。
「セシリアちゃんは優しいのね。ライルなら、これぐらい大丈夫よ。それより、今日はドレスの試着でしょ? 後で見に行くわね」
「え?」
「セシリアちゃんのドレス姿、さぞかし綺麗でしょうね。楽しみだわぁ。ライルはおあずけよ」
ラナ様がうっとりと呟きながらライル様を引きずっていく。呆然としていると、アッザが声をかけてきた。
「朝の散歩を済ませて、ドレスの試着の準備をいたしましょう」
「ですが、ライル様が……」
「そのライル様が安心して仕事ができるように、セシリア様はセシリア様の仕事をしましょう」
そう言われると私は何も言えない。
「そうですね。お飾りの妻としての役目を立派に果たします」
「…………素直過ぎるのも問題ですね」
何故かアッザが乾いた笑いを浮かべました。
※
ワヒとナンと朝の散歩をして、いつものように美味しい朝食をいただき、いざドレスの試着へ。
アッザとともに試着室へ行くと、人族のメイドたちに出迎えられた。
「おはようございます、セシリア様。メイド長のグレタと申します。こちらがウェディングドレスとなります」
メイドたちの中でも一番年配の女性が恭しく説明をする。
部屋の中央で顔がない人形に着せられた真っ白なドレス。鎖骨から肩まで出ているが、胸にはキラキラと輝く宝石と細かいレースが縫い込まれ豪華に。上半身は体のラインがしっかりと出ているが、腰から下はふわりと膨らんだスカートで華やかに。しかも、布には銀糸で刺繍が施され、光を弾いている。
ドレス自体が一つの宝石みたい。
「すごく綺麗ですね……あの、グレタさん。本当に私が着てもよろしいのでしょうか?」
私の質問にメイドたちがキョトンとした顔になる。少しだけ表情を崩したグレタさんが気を取り直したように頭をさげた。
「グレタとお呼びください、セシリア様。こちらのドレスはセシリア様のために作られたモノです。ぜひ、ご着用ください」
「ですが、その……勿体なくて。こんなに綺麗なドレスは初めて見ました」
物怖じしている私に背後で控えていたアッザが声をかける。
「セシリア様、お仕事です」
その一言で私はハッとした。
「そうですね。お飾りのつ……むぐっ」
素早くアッザがハンカチで私の口を塞ぐ。
「失礼いたしました。口元が汚れておりましたので」
そう言いながら私の耳元でアッザが囁く。
「人族の前でお飾りの妻のことは言われないように。混乱の元になりますから」
「ふぁ、ふぁい」
私とアッザの一連のやり取りに不審な視線が集まる。私は誤魔化すように微笑んで頭をさげた。
「みなさん、よろしくお願いいたします」
返事はない。顔をあげるとポカンとした顔で並ぶメイドたち。
「あの、どうかされましたでしょうか?」
「い、いえ。失礼いたしました」
グレタの一声でメイドたちが動き出す。その様子をアッザが訳知り顔で見守っていた。




