それは、すべてを浄化する力でした
あれからマクシム陛下とヴァレンティーヌ様、ジャクリーヌ様は城の離れに幽閉。舞踏会に出席していた貴族はマクシム陛下の派閥だったそうで、全員謹慎となり、処遇をこれから決めるという。
そして、宰相を始めとした先代の皇帝派だった貴族と将軍が政権を掌握。
一夜にして、この国の権力は入れ替わったそうで。
政治などの難しいことが分からない私は、一生懸命わかりやすく説明してくれる宰相に対して申し訳なく思いながら話を聞いた。
翌日。
私は生まれ育った神殿に足を踏み入れた。
「こんなに暗かったでしょうか……」
太陽が昇っているのに、神殿の中は黒い霧がかかっているように薄暗い。湿度も高く、肌にまとわりつく空気。古い建物だけど、明るく光があふれていたのに。
「どうして、このようなことに……」
神殿の周囲に茂っていた草や木々は枯れ果て、一面が茶色に。壁は今にも崩れそうなほど朽ち果て、一部は穴があいている。
ここを離れて二節しか経っていないのに。まるで数百年の月日が過ぎ去ったような光景。
しかも、神殿の奥に行くほど鼻と胃を刺激する悪臭が漂ってきて……
「なかなか酷いな」
ライル様が私の隣で呟いた。ひどい臭いなのに表情一つ変えず、淡々と神殿の内部を観察している。
宰相から「皇族以外の者は入れない仕来りなので」と神殿に入ることを止められたが、ライル様は「獣人だから関係ない」と無理を通して私に付いてきた。
(人族の国に滞在するようになってから私の近くにいることが増えたような気が……あ、お飾りとはいえ、私は妻。妻の側に夫がいるのは当然のこと。ですよね、たぶん)
一人で納得した私はライル様を神殿の中心へ案内した。
「あの、こちらに祭壇と泉があります」
真っ白な石畳で作られた廊下の先。円形の部屋の中心。数段の台の上にある祭壇。飾りもなにもない、ただの四角い白い石。
その石を天窓から降り注ぐ太陽の光が照らし、その後ろには透明な水が湧き出る泉が……
「これはっ!?」
透明な水が湧き出ていた泉はドス黒く濁り、ブクブクと吹き出す泡とともに悪臭が吹き出す。しかも、泉の周囲に生えていた薬草や花々はすべて枯れて腐っている。
「そん、な……」
あまりの光景に私は部屋の入り口で呆然としてしまった。こんなにも変わってしまうのかと……
「おい」
ライル様の声で我に返る。
「し、失礼しました。あの、ここでお待ちください」
私はライル様を祭壇の入り口に残して進んだ。埃と砂が巻き上がる。皇族以外は入れないのだから、掃除もされていなかったのだろう。
でも、それ以上に臭いが。胃が逆流しそう。
(ダメ、ダメ! せっかく美味しい朝ご飯でしたのに吐くなんて!)
グッと吐き気をこらえながら私は祭壇の前に立った。
「うっ……」
悪臭にくわえて、空気が重い。ねっとりと絡みつくような苦しさ。こんなのは初めて。歌うために大きく息を吸いたいけど、なにかに邪魔をされているようで。それでも、なんとか両手を握り歌う姿勢になる。
すると、背後から大きな影が。
「え?」
振り返るとライル様が手で何かを振り払う動作をした。それだけで体が軽くなり、息が自由に吸える。悪臭も心なしか少なくなったような。
「なにか、されましたか?」
「気にするな。さっさと歌え」
「は、はい」
私は慌てて祭壇へ体をむけた。背中にライル様の体温を感じる。緊張はするけど、嫌ではない。むしろ安心して……
私は大きく息を吸って歌をうたった。
歌声にのって天窓から降り注ぐ光が粉となり神殿に散らばる。枯れて腐っていた薬草や花々が顔をあげ、色を取り戻す。どす黒かった水が透明へと戻っていく。
私は歌にあわせ、両手を天へ掲げた。透明になった泉の水が天窓を突き破り、空へと吹き上げる。
神殿の上空に虹がかかり、泉の水が小雨にとなって降り注ぐ。黒い霧が晴れ、悪臭が消える。いつもの、私が知っている神殿に戻っていく。
「……はぁ」
全身から声を出した私は、歌い終わると同時に力が抜けた。膝から倒れかけた私をライル様が背後から支える。
「あ、ありがとうございま……ひゃっ!?」
ライル様が右腕で私を抱え上げた。
「一気に浄化しやがって。普通なら気絶するところだぞ」
「じょ、浄化? 浄化とは、悪弊をあらためて正しい状態にすること。また、欲望などの束縛をはなれて神聖にすること。でしょうか?」
「…………そんな感じだ」
「誰が浄化をされたのですか?」
苦顔したライル様が左手で額を押さえて答える。
「……おまえだ」
ライル様の絞り出すような声に私は焦った。
「どこか痛みますか!? お体が悪いのですか!? 薬草を準備いたしますね!」
腕から降りようとする私をライル様がとめる。
「いい。体はどこも悪くない」
「本当ですか?」
「あぁ」
「もし体調が優れないようなら、おっしゃってください」
安心した私にライル様がため息を吐く。
「で、ここでの仕事はこれで終わりか? なにもなければ城に戻るぞ」
「あの、もしよければ寄りたいところが……」
「どこだ?」
「えっと、こちらに」
私は自分で歩こうとしたけど結局おろしてもらえず。ライル様に抱えられたまま移動した先は、小さな部屋だった。
「変わりありませんね」
棚に入れた書物も机も、私が神殿から出た時のまま。ずっと、この部屋で育ってきた。不思議な懐かしさとともに、帰ってきたと実感する。
そこでライル様が動いた。
無言のまま窓辺へ。窓枠に触れた後、窓を開けた。少し湿った空気が風となって部屋に吹き込む。枯れていた木々や草は先ほどの泉の水のおかげか、青々と茂っている。
「どうかされましたか?」
そういえば、子どもの頃に助けた仔猫はこの窓の下にいた。
「……ちょっと待ってろ」
ライル様が私を腕から降ろす。そして、窓から外へ出たかと思うと、その場に膝をついて神殿を見上げたり、城の方を確認したりしている。
「ライル様?」
私の問いに返事はない。なにかブツブツと言っては首を振り、なにかを必死に否定しているような。
「あの、どうかされましたか?」
ライル様がやっと私を見た。膝をついて屈んだままなので、私が見下ろすような格好になっているけど。
「……そこは、おまえの部屋なのか?」
「はい」
「ずっとか?」
「はい。生まれてから、ずっとです」
「他にその部屋を使っていた者は?」
私は母から聞いた言葉を思い出した。
「私が生まれる前は倉庫として使っていたそうです」
ライル様がガックリと頭をさげる。そのまま力なく私に訊ねた。
「おまえ、その髪の色は生まれた時からか?」
私は肩を流れる髪に触れた。
「そういえば、母が亡くなった時にこの色になりました」
沈黙が落ちる。ライル様が息を呑んで私に訊ねた。
「……その色になる前の髪の色は?」
すっかり忘れていた。そういえば、私の髪は元々……
「黒です」
ライル様が頭を抱えて盛大に唸られました。




