それは、最悪のタイミングでした
時は少し遡り――――――――
仔猫の夢を見た日から私の体調は良くなり、昼寝をしなくても大丈夫になってきた。ただ、夜はすぐに眠くなるので、早めに休ませてもらっている。
そして、今日は……
「できました!」
黒焦げでも、生焼けでもない、こんがりと程よく焼けたクッキー。そして、厨房に漂うバターとバニラの甘い香り。焼け焦げた炭の臭いは一切なし。
喜ぶ私の背後から歓声と拍手があふれた。
「やったな!」
「おめでとう!」
「諦めずに、よく頑張った!」
「すげぇぞ!」
そこに一喝する鋭い声。
「あなたたち! セシリア様に馴れ馴れしすぎです!」
腰に手を当てたアッザが声援をくれた料理番の方々を睨む。私はアッザの袖を引っ張った。
「あの、私はこのままで良いですから。それに、皆さんの協力と応援がなければ作れませんでした」
「ですが……」
「まあまあ。セシリアちゃんがそう言っているんだから良いんじゃない?」
ずっと見守っていたバクルが疲れた笑顔を浮かべる。あれから私は何度もクッキー作りに挑戦をした。けど、その度に失敗して。
私はバクルに頭をさげた。
「百回目の挑戦でようやく出来ました! ありがとうございます!」
「諦めなかったセシリアちゃんの勝利よ。普通なら、とっくに諦めているところだもの。ほら、温かいうちに主に持って行きなさい」
「あの、でも……ライル様の仕事の邪魔になりませんか?」
困惑する私にアッザが提案する。
「もうすぐ午後の休憩時間になりますから、紅茶と一緒に差し入れをするのは、いかがでしょう?」
「そうします」
私は焼きたてのクッキーを袋にいれると、一礼して厨房を後にした。
城内は広くて、一人だと迷子になりそう。今はアッザがついてくれているから平気だけど……
私はライル様の執務室へ足を進めながらアッザに訊ねた。
「あの、この城の中の地図はありませんか?」
「城内の……間取り図とかですか? どうしてです?」
「城の中が広すぎて覚えられそうにありませんので……地図を持っていれば一人でも歩けるかと」
「別に一人で歩かれなくても、かならず誰かがご一緒しますから」
「そんなっ、私のために誰かの手間をとらせるなんて出来ません」
慌てる私にアッザの表情が硬くなる。
「セシリア様。あなたは第二王子に嫁がれる身。もしものことがあったら、どうするのです?」
「もしも、とはなんでしょう?」
首をかしげる私にアッザがため息を吐く。
「そのことについでは、後日お勉強しましょう。お一人で行動されないようにお願いいたします」
「……はい」
「着きました。ここがライル様の執務室です」
磨き上げられた一枚板のドア。細かな彫刻が施され、部屋に入る者を威圧している。
アッザが慣れた様子でノックをした。
「失礼します」
返事がないため、アッザがドアを開ける。すると、室内を乾いた風が吹き抜けた。机の上にあった書類を巻き上げるが、それを押さえる人はいない。
椅子は空。人影も気配もない。
私は足下に飛んできた書類を拾った。
「……また、サボりですか」
こめかみを引きつらせたアッザが持っていたティーセットを近くの台に置く。
「まずはライル様を探しましょう。どこかで昼寝をしているはずです」
「昼寝? もしかして、お体の調子が悪いのですか!?」
心配する私をアッザがバッサリと切る。
「いいえ。ただのサボりです」
「サボり……学業や仕事など、やるべきことを怠けること、ですか?」
「はい。そのサボりです。とにかく見つけましょう」
「わかりました」
私は拾った書類をライル様の机に置いた。そこで、ふと外に視線を向ける。すると、いつも私が過ごしている木陰と長椅子が。
(もしかして、ここから普段あそこで運動したり勉強している姿を見られているのでしょうか!?)
私は血の気が引いた顔を両手で押さえた。
縄跳びをすれば、すぐに縄に絡まって転け。走れば、自分の足に足を引っ掛けて転け。腹筋も、腕立て伏せも、一回もできない。
そんな姿を見られ……
「セシリア様?」
「は、はは、はい! いきます!」
部屋の入り口で待つアッザの下へ。とにかくライル様が私の運動する光景を見ていないことを祈って。
慌てて部屋を出ようとする私の鼻を、懐かしい草の匂いがかすめた。
(猫さん?)
振り返るけど、やっぱり誰もいない。執務室を出ると匂いは消えた。
周囲を見るけど、草の匂いがするようなモノはない。そこへ、書類の束を抱えたウカーブが現われた。
「おや。どうかされました?」
褐色の肌に映える白髪と、凜とした綺麗な立ち姿勢。
私はクッキーが入った袋を見せながら説明をした。
「ライル様にクッキーの差し入れをお持ちしたのですが、ご不在でした」
「おぉ! ついに完成したのですね。おめでとうございます」
満面の笑みでウカーブが私を祝う。というか、料理番以外の方も知っているって、どういうことですか!? 恥ずかしすぎます!
「あ、ありがとうございます……」
顔が赤くなるのを感じながら体を小さくして礼を口にする。
そこで、アッザがウカーブに訊ねた。
「クッキーを渡すお相手であるライル様が執務室にいないのです。どちらにおられるかご存知ですか?」
「あぁ。ライル様なら自室におられますよ。ラナ様がお話がある、と言われて」
「またサボっているのかと思いましたが、違いましたか」
その言葉にウカーブが苦笑いをする。
「ラナ様がお茶に誘わなければサボっていましたから、あながち間違いでもないですよ」
「でしょうね。まあ、居場所がわかったのは良かったです。ライル様の自室へいきましょう」
「ですが、ラナ様とのお茶を邪魔しては……」
戸惑う私にアッザがウインクをする。
「セシリア様。お茶を飲む時には何が必要ですか?」
「お茶を飲む時……ポットとカップと茶葉とお湯でしょうか?」
「それと」
アッザが私の胸を指さす。その先にはクッキーが入った袋。
「茶菓子ですよ。さあ、まいりましょう!」
私はアッザに引っ張られるようにライル様の自室へと移動する。
「こちらがライル様の自室になります」
意気揚々と案内された先。立派な両開きのドアに黄金のドアノブ。怖じ気づいていると、アッザが後ろから声をかけた。
「早くしませんと、できたてのクッキーが冷めてしまいますよ」
「は、はい」
ノックをしようと手をあげる。そこに聞こえてきたラナ様の声。
「セシリアちゃん、かわいそう。こぉーんな、自分のことしか考えてない、他の女に未練たらたらな最低なヤツに嫁がされるなんて」
振り下ろしかけた手を慌てて止める。でも、間に合わなくて。
コッ。
ノックにもならない音が廊下に落ちた。ライル様の室内が静かになる。
「誰だ?」
緊迫した声。思わず体が固まり、声が出せない。
目の前で音もなく開く扉。
私はなぜか喉が渇いて、生唾を飲み込んだ。ライル様の緑の瞳が驚いたように私を見下ろす。
「……なぜ、ここに?」
その問いに私は返事ができなかった。




