それは、間違った思い切りの良さでした
無言のライル様。なにか言わないと、と焦るけど声が出ない。力が抜け、持っていたクッキーの袋が手から滑り落ちる。
その音で金縛りがとけたように体が動いた。
「な、なんでもありません! 失礼いたしました!」
一礼した私は走ってその場を離れた。
「セシリア様!」
アッザが追いかけてくる声がする。というか、すぐに追いつかれた。ゼエハアと息が切れている私に対して、息一つ乱れていないアッザ。
これが体力の差ですか……
廊下の真ん中で私は胸を押さえて足を止めた。俯いて息を整える私にアッザが心配そうに声をかける。
「あの、セシリア様。お気になさらないように」
「……なにを気にするのでしょうか?」
「え?」
「え?」
お互いに不思議そうに顔を見合わせる。アッザが気まずそうに言った。
「いえ、あの……先ほど聞こえました……」
「未練がどうの、でしょうか?」
「はい……」
私は納得して頷いた。
「ライル様は最初に私のことを、愛することはない。と言われました。お慕いされている方がいるなら、それは当然です。そこまで考えが及ばなかった私の失態です」
「え、あ……でも、それは」
「アッザはご存知ですか?」
私の質問にアッザがビクッと小さく跳ね、木の葉のような耳がピルピルとせわしなく動く。
「な、なにを、でしょう?」
「ライル様がお慕いされている方です」
いつも冷静なアッザが大慌てする。
「い、いいえ! まったく知りません! そのような方がおられるなんて、初耳です! 初耳すぎて、どうすればいいのか困っているほどです!」
「そうですか……」
悩む私をアッザが覗き込む。
「あの、セシリア様?」
「はい」
「ショック……ではないのですか?」
「ショック? ショックとは物理的な衝撃のことでしょうか? それとも、予期しない事態にあい、心が動揺することでしょうか?」
「その、心が動揺する方です」
私は少し考えた。
「たしかに少し動揺はしました。ですが、これで私のやるべきことが分かりました」
「やるべきこと、ですか?」
「はい!」
意気込んで返事をした私にアッザの顔が引きつる。
「あの、嫌な予感しかしないのですが……お聞きしてもよろしいでしょうか? なにをされるのです?」
「ライル様がお慕いされている方を探し出して、両思いになっていただきます!」
「やめてくださいぃぃぃぃい!」
アッザの悲痛な叫びが廊下に響き渡る。そこにバクルが歩いてきた。
「あら、あら。アッザが廊下で大声を出すなんて珍しいわねぇ。どうしたの?」
バクルなら料理長という役職柄、さまざまな方と交流があり顔も広い。もしかしたら、ライル様がお慕いされている方のことについて何か知っているかも。
私はこれ幸いとバクルに声をかけた。
「ちょうど良かったです! 少しお聞きしたいことがあるのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「いいわよ。長くなるなら、応接室にお茶と私のとっておきの茶菓子を準備するけど」
「あ、いえ。そこまでお時間はお取りしません。実はライル様がお慕いし「ノォォォォオオ!!!!!」
突如叫んだアッザが私を抱き上げる。
「失礼いたします!!!!」
「は?」
ポカンとしたバクルを置いてアッザが走り出した。
「えっ!?」
城の廊下を爆走するアッザ。そのスピードは目を回す寸前。しかも、廊下を歩く方とぶつかりそうになること数回。
「キャッ!?」
「ふぁっ!?」
「ひやぁ!」
そのたびにアッザが直角に曲がり衝突を回避。どうすれば、このスピードでこの動きができるのですか!?
いつもの庭の木陰に到着。私の目はぐわんぐわん。世界がまわるという状況を実体験している。
異変に気づいたアッザが慌てて私をおろした。
「申し訳ございません! 大丈夫ですか!?」
「は、はいぃぃ」
地面に足がついているはずなのに、グラグラと体が揺れる。
いつもの長椅子に腰をおろした私にアッザが頭をさげた。
「本当に申し訳ございません!」
「い、いえ。大丈夫ですから」
「あの、少々お待ちください!」
アッザが再び走り出す。その速さは私を抱いていた時より早い。
「体力をつければ私もあれぐらい走れるようになるのでしょうか……頑張って運動しましょう!」
ふんっ! と握りこぶしを作って決意していると、アッザがガラスのピッチャーとコップを持って戻ってきた。ピッチャーの中には水と輪切りのレモン。
「冷えたレモン水です。お飲みください」
「ありがとうごさいます」
レモン水が入ったガラスのコップを受け取り、一口飲んだ。冷えた水が体に染み渡り、酸っぱい後味が口をさっぱりさせる。
「美味しいです」
「気分は悪くないですか? 吐き気などありませんか?」
「大丈夫です」
微笑んでみせるとアッザが胸をなで下ろした。
「本当に申し訳ございませんでした。ですが、使用人にライル様がお慕いされている方の情報を聞かれるのはやめてください」
「え? ですが、アッザが知らないのであれば、他の方に聞くしか……」
「私が探しますから、セシリア様はなにもなさらないでください」
「ですが……」
「ですがも、カルガモ、もありません! それに、セシリア様はライル様に嫁がれるのですよ? それなのに、浮気を推奨するような行為はお止めください」
私は目を丸くして固まった。
「浮気……浮気とは、心が浮つくこと。配偶者や恋人がいるにも関わらず他人に恋愛感情をもつ、または愛情が移ること、でしょうか?」
「その通りです」
「この場合、ライル様は私に恋愛感情を持っておりませんので、浮気にはならないと思うのですが」
「その前に、セシリア様はライル様の妻になられます! つまり配偶者です!」
アッザが拳に力を込めて私に説く。しかし、私はポカンとしてしまった。
「……そうでした」
頭で理解はしているけれど、意識が抜けてしまう。
「セシリア様は自覚が薄すぎます」
「失礼いたしました。ですが、私はお飾りの妻。ライル様にはお慕いされている方と幸せになっていただきたいと思います。ですので、私は頑張ります!」
「やる気を出す方向を間違えていますぅぅぅ」
アッザが頭を抱えて嘆く。
私は握りこぶしを作って訴えた。
「私はここに来させていただいてから、夢のような生活をさせていただいております。それはライル様のおかげでもあります。私はそのご恩を少しでもお返ししたいのです!」
「……わかりました。獣人でも一夫多妻の種族はおります。ですが、王族は後継者争いの問題から一夫一妻が基本です。一夫多妻が認められるのは、後継者である子ができない時のみ」
「つまり、ライル様と私の間に子ができなければよろしいのですね!」
意気込む私にアッザがますます頭を抱える。
「その通りなのですが、嬉しそうに言わないでください」
「必要以上に近づかないようにしつつ、ライル様がお慕いされている方を探します!」
「ですから、そこは私に任せてください! セシリア様は動かないでくださいぃぃぃい!」
苦悩するアッザを眺めながら私はふと両手を見た。
「……そういえば、クッキーが入った袋をどこかに落としてしまいました。あとで探さないといけませんね」
アッザに抱えられて、あれだけ激しく移動したため、どこで落としたのか分からない。
私はレモン水を飲みながら、クッキーの行方を気にした。




