第三話 静かに増えるもの ②
午後1時。
昼休憩の時間になると、事務所を出て休憩室へ向かった。
テーブルには先に精肉パートの吉田さんと青果の篠崎が座っていた。
レジパートの市川さんがお湯を沸かしながらコーヒーの用意をしている。
「副店長もコーヒーどうぞ」
「ありがとう、市川さん」
椅子を引いて座ると、吉田さんと篠崎の会話が続いた。
「あの人の名前って読める?精肉の社員さんの」
市川さんがカップを並べながら言った。
「読めないっすよ」
篠崎が即答した。
「タイムカード見たことあるんすけど、文字化けみたいになってて」
「なにそれ」
確かに私も気になっていた。
精肉の社員のタイムカードの名前には
「帙ヌ繧縲ェ繝」
と読めない文字が印字されている。
店長には「気にするな」と一蹴されたことがあった。
「読み方わかんないんで、こっちではひそかに『ヌエさん』って呼んでるっす」
吉田さんが笑った。
「本人に聞いたことあるけど、笑うだけで教えてくれないのよね」
「それより」
市川さんが声を少し落とした。
「あの人、身長どんだけあるの。二メートルは絶対あるよね」
「ありますよ」
篠崎が頷く。
「あの人が作業場の棚の上段に商品置くとき、背伸びしてるの一度も見たことないっす。誰もまともに話したことないのに、なんでここで働いてるんすかね」
「さあ」
吉田さんが首を傾けた。
「私も三年いるけど、ちゃんと会話したことないもん。挨拶も、返ってくるときとこないときがあって」
私は黙ってコーヒーを飲みながら聞いていた。
確かに精肉社員とまともに話したことがなかった。
「でも店長とは話してるよ」
吉田さんが言った。
「先週、バックヤードで二人で話してるの見たよ。店長、すごい楽しそうだった」
「店長が?」
「あんな顔で話してるの、初めて見た。なんか、全然知らない人みたいで」
しばらく沈黙があった。
「そういえば」
篠崎が思い出したように言った。
「精肉の冷凍庫の話、したことあります?あの大きなポリバケツ」
「ああ」
吉田さんが頷いた。
「三つあるやつ。鍵がかかってて誰も開けられないやつ」
「あれ何が入ってるんすか」
「分からない。一回だけ鍵がかかってなかったことがあってさ、蓋が半開きになってたから覗いたんだけど」
「何が入ってたんすか」
「凍ってて、よく分からなかった。液体なのか固体なのか、どっちとも言えないような感じで。色も暗くて」
吉田さんは笑って続けた。
「まあ業務用の何かじゃないの」
市川さんが少し顔をしかめた。
「水産の冷凍庫とつながってるじゃない、あそこ」
「魚屋の田原さん、あの辺だけ絶対入らないっすよ」
篠崎が言った。
「いつも遠回りしてる」
「そういえば、田原くん最近おかしくない?」
市川さんが話題を変える。
「なんか口癖変わったよね。前は帰りたいとか辞めたいとかだったのに、最近ちがうこと言ってる気がして」
「何て言ってるの?」
「なんか……逃げないといけないとか、そんな感じの」
誰も笑わなかった。
私はコーヒーカップを両手で持ったまま、何も言わなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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