第三話 静かに増えるもの ①
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翌朝、バックヤードに入ると、大きな音が聞こえる。
確認すると、青果作業場で岸谷が廃棄ボックスに商品を投げ入れていた。
「岸谷さん、どうしたんですか?」
彼は振り返らずに答えた。
「歯形がついてた」
「歯形?」
「野菜に。かじった跡がある。ネズミじゃないと思う」
それだけ言って、また作業に戻った。
私もそれ以上は、聞かなかった。
廃棄ボックスの中を見ると、きゅうりが数本、大根一本、人参が二本入っていた。
確かに、何かにかじられたような跡があった。
ネズミではない。人間の歯形?
きゅうりに人間の前歯のような跡が並んでいる。
だが、私はネズミだと思うことにした。
◇
午前10時すぎより、客足が増えてくる。
売り場を見回っていると、常連客の若い男が来ていた。
今日も焦点の合わない目で、一定のルートを歩いている。
青果、水産、精肉、日配、ドライ。何も手に取らない。何もカゴに入れない。
田口チーフが横に並んできた。
「今日も来てますよ。万引きじゃないんですか、やっぱり」
「声かけてみます」
私は売り場を横切り、男の前に立った。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」
男は足を止めた。ゆっくりこちらを向いた。
目が合った。
焦点が合っているのか合っていないのか、よく分からない目だった。
何かを見ているのか、何も見ていないのか判断できなかった。
「……大丈夫です」
それだけ言って、また歩き始めた。
私はしばらくその背中を見ていた。
男はいつも通りバックヤードへの扉の前で三秒だけ足を止め、わずかに首を傾けてから、
「まだいる」
聞き取れないくらい小さなつぶやきを落とし、また歩き始めた。
「まだいる?」
田口チーフが戻ってきた。
「声かけても、ああいう感じですか」
「そういう方なんだと思います」
田口チーフは納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。
一週間も経つ頃には、従業員の誰もが男のことを気にしなくなっていた。
「今日もあの人来てるね」
「ああ、来てる来てる」
それだけで会話が終わるようになった。
◇
ある夜、例の男が売り場を一周してレジに来た。
チェッカーの女性のレジに、空のカゴを置いた。
「お買い上げの商品はありますか」
男は初めて正面を向いた。チェッカーの女性はその顔を見た。
何も言えなくなった。
スキャンすべき商品はない。
レシートも出ない。男は財布を出さずに、カゴだけ持って帰った。
閉店後、チェッカーの女性が事務所に来た。
「副店長、少しいいですか」
「どうぞ」
「あの男の人の顔、さっき見たんですけど」
「うん」
「何度見ても、思い出せないんです。レジを打ち終わった瞬間に、全部消えちゃって」
私は返事をしなかった。
「それと……」
彼女は続けた。
「あの三人が毎回、私のレジにだけ並ぶようになってるの、気づいてますか」
「……気のせいじゃないの」
「毎晩です。おっさんも、おばさんも、あの男の人も、必ず私のレジに来るんです」
私はしばらく黙っていた。
「気をつけて、と言っても何に気をつけていいか分からないけど。何かあったらすぐ言って」
それしか言えなかった。




