第五話 夜のシフト ①
田原が来なくなったのは、ある朝のことだった。
シフトに入っているのに、連絡がない。
私は水産の作業場を確認し、喫煙所を見に行き、駐車場を一周した。どこにもいなかった。
ロッカーを開けると、私服が残っていた。財布も、スマホも。
名札だけがなかった。
田口チーフが横で小さく息を呑んだ。私は何も言えなかった。
その日の夕方、神社の前を通ると、フェンスの外の供え物が新しくなっていた。
荒塩、白い皿、おすすめの惣菜のパック。
そして今日から、もう一膳分が増えていた。
誰が置いたのか。
いつ置いたのか。
フェンスの鍵は今日も閉まったままだった。
三人の常連客が来なくなったのは、田原が失踪した翌日からだった。
おっさんも、おばさんも、若い男も。
閉店間際になっても来なかった。
チェッカーの女性が、閉店後に事務所に来た。
「あの三人、今日来なかったですね」
「うん」
「最後に来た夜、おっさんが帰り際に何か言ってたんです」
「何て言ってた?」
「今夜で、揃うな、って」
私は返事ができなかった。
「揃うって、何が揃ったんですかね」
「……分からない」
彼女はしばらく黙っていた。それから、思い出したように言った。
「あの夢、まだ見るんです。前にお話ししたやつ」
「うん」
「前は、たまにだったんです。今は、毎晩」
私は何も言えなかった。
「それに、声がだんだんはっきりしてきて。最初は遠くから聞こえる感じだったのに、最近は、すぐそこにいるみたいで」
「田原さんも、夢を見るって言ってましたよね」
彼女は続けた。
「品出しの音がする夢、って。私の夢とは違うけど、なんか」
「なんか?」
「繋がってる気がして」
◇
その夜は私が閉店処理をする夜だった。
チェッカーの女性も、伝票の整理が残っているといって事務所に残っていた。
十二日だった。
店長は夕方、私に声をかけてきた。
「今夜はご苦労さん。早く帰りなさい」
「はい」
しかし私は帰らなかった。
いつも通り、残業があった。
店長はそれを知っているはずだっ た。それでも毎回、同じことを言った。
◇
午後九時を過ぎた頃、妻からLINEが来た。
「あなたのしょく場いってもいい?」
いつもと文体が違った。
句読点がない。平仮名が多い。
返信しようとした瞬間、事務所の奥から音がした。
ガチャン。
タイムカードの打刻音だった。
私とチェッカーの女性は顔を見合わせた。
事務所には私たち二人しかいない。
タイムカードのラックは廊下の突き当たりにある。
もう一度、音がした。
ガチャン。
二人でラックに向かった。
カードが二枚、新しく打刻されていた。
一枚は園原さんのカードだった。
もう一枚は、田原のカードだった。
打刻時刻は、今の時刻だった。
私は二枚のカードを手に持ったまま、動けなかった。
チェッカーの女性が私の隣で、小さく呼吸をしていた。
「副店長」
「うん」
「給与システム、確認しますか」
「……いい」
確認したくなかった。確認すれば、また数字が増えている。
まるで二人がどこかで働き続けているように。
カードをラックに戻した。
◇
バックヤードに戻ろうとしたとき、精肉の冷凍庫の前を通った。
扉の隙間から、白い霧が漏れていた。
いつもと違うのは、霧の中に混じった、かすかな臭いだった。
一度だけ嗅いだことがある臭いだった。
「おすすめの惣菜」を口にしたとき、奥に感じた、あの独特の臭みと、同じだった。
私は立ち止まらなかった。
冷凍庫の奥で、何かが動く気配がした。
大きな、人の形をした影が、霧の中に見えた気がした。
見なかったことにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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