バシレオン4
「あのバシレオンという魔獣、知能が高すぎる。五助君、一度体勢を立て直すぞ。みんなに退くように伝えてくれ」
大谷吉継の指示に従い、湯浅五助がブランデン語と日ノ本語の両方で南門全体に呼び掛ける。
盾を持ったガーダーたちが2匹のバシレオンを囲み、ムサシをはじめとした弓兵たちが牽制をする――
その隙に、侍や残りのガーダーたちが暗闇の中を広場から撤退していく。
しかしその目論見を嘲笑うかのように魔獣は風の刃を飛ばしながら盾の列を容赦なく蹴散らしていく。
暗闇での猛禽魔獣との接敵は、もはや戦いとは呼べず……文字通りの蹂躙であった。
バシレオンは襲い掛かる戦士たちにすら興味を示さない。
邪魔な草を振り払うかのように爪を振るい、ガーダーも一般人も関係なくその度に人が死んだ。
その一撃は、身体のどこかに触れただけで人族たちを行動不能にいたらしめると、まるで道端の虫を踏み潰すように
後ろ脚で頭部を砕き、次の獲物へと襲い掛かる。
溢れ出た血が石畳の溝を伝い、広場全体に網の目を描き出す……
それは、人族の僅かな希望が、抗う術のない絶対的な暴力の前に、完全な絶望へと塗り潰されていくあまりにも
残酷な時間であった。
「伊織!この矢ではあの魔獣に傷一つつけられない!!誰かに魔法を込めてもらえないか!?……伊織!?」
振り返り伊織を見ると、両手で口を覆い見開かれた眼で広場を凝視しながら今にも崩れ落ちそうに肩を震わせている。
「伊織っ!!どうした大丈夫か!?」
すぐさま腕を伸ばし伊織を支えるムサシ。
「……ムサシ……息が……っ」
目の前で大勢の侍が蹂躙され、失われた命が伊織の中の御左口神へと保管されていく……
その惨すぎる光景と自分の中へ入ってくる侍の魂の奔流に伊織の意識が掻き毟られる。
血の気の引いていく伊織の顔を見たムサシは、背後から聞こえる悲鳴や苦痛の叫びもその一切が遮断され……
気がつくと伊織を抱きしめていた。
ムサシの頭には他のすべてを失っても伊織だけは守らねばならない、まるで呪いのようなそんな使命感が無意識の
うちに自分と伊織がこの場から逃げる道筋を探していた。
「……ありがとう、もう大丈夫……」
そう言いながら、おそるおそる自分のまぶたの裏に気を集中させる。
『4873……』
わずか数日で、この世界で失われた侍の魂の数……
補完したその魂の多さに目眩を覚え両膝の力が抜けそうになるのを必死に堪え、ムサシの両腕を掴む。
「ムサシ!一人でも多くの人を助けるのよ、あなたならできるわ!」
[誰かーー!矢に魔法を込めてもらえませんかーー!?]
伊織が周囲の弓兵に向けて叫ぶと、目の前の青い髪のガーダーが矢筒ごと差し出してくる。
[これを使ってくれ、風の魔法を込めてある……悔しいけれど俺ではあの魔獣に傷一つつけることができない]
[ありがとうございます!大事に使わせていただきます]
渡された矢筒を受け取ると、すぐさま3本を抜き取るとムサシへと渡す。
それを流れるような動作で一本づつを弓に番えると、刹那の迷いもなく明かり一つない広場へと放つ“ギャッ!”
短い悲鳴がたしかに聞こえた。
風魔法が付与された矢は通常の矢よりも遥かに速く、そして海獣の弦により強く鋭くバシレオンの身体を抉り
気の流れまでも狂わせる。
伊織から次々と渡される矢を放つムサシ、指先の皮が破れ血を噴き出しながら……
広場から人々が避難し、ムサシの背後に集ったガーダーたちが火球を作り出し広場を照らす。
そこに照らし出される二体のバシレオンは身体中に何本もの矢が突き刺さり、乱された気により天空を自在に
飛び回った翼も強靭な四肢さえも彼らの意思で動かすことさえできずに、血塗れの石畳に根を張ったように
立ち尽くしている姿を晒していた。
満身創痍でありながら、なお圧倒的な威圧感を放ち続ける二体の魔獣。
それを見据えるムサシの呼吸は荒く、弓を握る左手は小刻みに震えていた。
ボタボタと滴る指先の血が、海獣の弦を真っ赤に染め上げていく……
“ガアアアアアアオオオオオオオオオォォォォッーーーーーッ!!!”
その時、王都を覆ったすべての大気が震え重く人々に圧し掛かった。
ーーー絶対的強者の魂の咆哮ーーーそれを聞いたあらゆる生物の背筋を凍らせる。
広場を低く飛び去っただけで幾人もの命を奪った厄災が傷ついた家族の横に降り立つと、慈愛に満ちた目で
“すぐに終わらせるから休んでいろ”とでも言うように顎で合図をすると、それを見た二体も安堵の色をその目に
浮かべ石畳に身体を下ろす。
ゆっくりとムサシたちに視線を向けるバシレオン……乏しい灯りでもわかるほどに大きく、全身の筋肉が岩でも
貼り付けたかのように盛り上がり、一目でこの家族の主であるという威容を誇っていた。
残り少なくなった矢筒から取り出した矢をムサシへと手渡す伊織。
そのバシレオンから一瞬たりとも目を逸らすことなく矢を受け取るムサシ。
この一本をもしも外したら……殺されるのは俺たちだ。ムサシの本能がそう理解していた。
すべての力と意識を指先に集中させ海獣の弦を引くムサシ。




