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想造世界  作者: 篤
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偽りの聖域と復讐の女神

 フヨウが示したその言動、その一切の澱みのなさ。そこにいたフィローレ一族の者たちは、そのあまりの神聖さと奇妙な現実感のなさに、すっかり毒気を抜かれたような顔をして立ち尽くしていた。

 だが、クレイグだけは違った。彼はこの一連の、まるで芝居のようなやり取りの最中も、フヨウという存在の芯にある、絶対的な違和感と底知れぬ深淵を鋭く見つめ、一つの「確信」をその胸の内に固めていた。

 そんなことなど気にも留めぬ様子で、改めてフヨウの澄み渡った、神々しい碧眼がクレイグを射抜く。


「フィローレ一族の者達。我が名はフヨウ――私があなた達の庇護者となる者であり、この聖域の管理人です」


「……拝謁できたこと恐悦至極です。ただ、お会いしてすぐで不躾ながら、一つ質問をよろしいでしょうか?」


 クレイグはかつてイフィラの宿将として培った、極めて洗練された、しかし同時にどこか不穏な緊張感を孕んだ拝礼を以て、仰々しくお辞儀をした。


「はい、許します。質問とはなんでしょう?」


「あなたは『再厄(リザスター)』の黒幕ですか?」


「「「!!!?」」」


「大じじ様!?」


 その直截すぎる問いに、後ろに控えていた現当主のクロリフィルをはじめ、フィローレ一族の者たちが一斉に驚愕し、呼吸を止めた。

 この絶対的な権能を持つ神の前で、死の引き金を引くような愚行。一族に張り詰めた恐怖の沈黙が走る。


「へぇ……」


 そんな中、タシュア一人は歓喜に震えるようにニヤリと嗤った。

 フヨウはそんなタシュアを「余計なことをするな」と言わんばかりに軽く睨んでから、静かに、しかし真っ直ぐにクレイグへと答えた。


「はい……と言ったら、あなたはどうするつもりですか?」


 クレイグは答える代わりに、黙って自身の右手の先に、フィローレ一族の象徴たる「空間の歪み」を発生させた。微かな空間の摩擦音が響き、殺意の火花が散る。

 その瞬間、全身の産毛が逆立つほどの、凄まじい殺気の奔流がクレイグを襲った。


 ――ガギィィィンッ!!!


 大気を引き裂くような、硬質な金属音が耳朶を叩く。

 気がついた時には、クレイグの目の前で、タシュアともう一人の「影」が互いの獲物を激しくぶつけ合い、火花を散らしながら鍔迫り合いを演じていた。

 それまで、その影が動いた気配すら、クレイグの感覚は一切捉えることができなかった。その事実こそが、何よりも恐ろしかった。


「タシュア、邪魔をするな」


「……そうもいかないよ。彼は僕の『親友』だ。フヨウ様に無礼を働いたとはいえ、ここで殺させるわけにはいかないね」


 二人は低く言葉を交わすと、噛み合っていた刃を同時に引きはがした。

 タシュアはクレイグを庇うようにその隣に立ち、襲撃者はフヨウを護るように素早くその背後へと下がった。

 そこでクレイグは初めて、自分を今一瞬で両断しようとしたその襲撃者を直視した。

 現れたのは、磨き上げられた、重厚な白銀の鎧を纏った大柄な男だ。

 身長は悠に二メートルを超え、全身を覆う鎧の上からでも、その骨格と筋肉が超人的な域にまで鍛え抜かれていることが一目で理解できた。


「その男は、フヨウ様に危害を加えようとした。それだけで万死に値する。そこをどけ、タシュア」


「いやいや、それは本当にごめんって。ちゃんと彼には僕から言い聞かせておくからさ。一回だけ、一回だけ見逃してくれないかな? もしもう一回同じことをやったら、その時は僕もしょうがないと諦めるから」


「…………」


 おどけた様子で場を取りなそうとするタシュアを、白銀の騎士は仮面の奥の冷徹な眼差しで、苛立たしげに睨みつける。

 タシュアはそれを涼しい顔で受け流し、自身の手に持っていた、創力で生み出した仮初の剣が粒子となってサラサラと崩れていくのを見て、「結構強度強めに作ったんだけどなぁ、一合で消えるか。相変わらず厄介な剣だよなぁ、君のそれは」と、困ったように呟いていた。


「ルクセルム、下がりなさい」


「はっ」


 フヨウの静かな一喝に、ルクセルムと呼ばれた騎士はすぐさま剣を腰の鞘へと戻し、その場に片膝をついて深く首を垂れた。

 そしてフヨウは、再びその視線をクレイグへと戻した。


「老骨よ、そなたが勇猛であることは認めましょう。だが、今そなたがやっていることは、勇気ではなく無謀に近い。後先を考えず突っ走り、そなたを信じてついてきた一族の者達を、自らの手で脅かそうとしているのです」


 彼女の声音は穏やかだったが、それが暗に「次に動けば一族を皆殺しにする」という絶対的な脅しであることは、誰の目にも明らかだった。

 しかし――。


「……お前も、こいつと同じ下衆な脅しで、我らを屈させようというのか」


 クレイグは、「酷いなぁ」とわざとらしく肩をすくめるタシュアを指し示しながら、フヨウの神威すら感じさせるその碧眼を、真っ向から睨み返して言い放った。


「フヨウ様になんという言葉の利き方を……!」


「下がっていなさい、ルクセルム」


「……ッッ……はっ」


 再び激昂しかけたルクセルムを、フヨウは視線だけで制し、薄く微笑んだ。


「私も、そこの悪魔のような品のない脅しなど、したくはありません。だが、そなたが私に切りかかってくれば、そのルクセルムが黙っておらず、聖域の統治者である私もまた、そなたを害悪として排除する対応をせざるを得ない。なれば、この場を穏便に収め、言うことを聞かせるには、こうして脅す他ないでしょう? ……私に、そのような野蛮な真似をさせないでくださいね?」


 途中までは神威を孕んだ格調高い神の言葉に聞こえたが、最後の一言でフヨウは片目を瞑り、いたずらっぽく笑ってみせた。

 あまりにも人間じみた、少女のような仕草。

 先程までの神がかった容姿や、身震いするほどの圧倒的な佇まいに反して、その所作があまりにも軽やかで愛嬌に満ちている。

 その強烈なアンバランスさに、クレイグは警戒することすら忘れ、思わず呆然と肩の力を抜いてしまった。


「大じじ様、もうやめましょう!」


 後ろから、クロリフィルが必死の声を上げる。


「たとえ、このフヨウ様という御方が『再厄』の黒幕であったとしても……私達が、フィローレの一族がこの地で生き延びるには、従う他に道はないのです。それに、私には肌で分かります。例え私達が束になってこの方や、後ろに控える白銀の騎士様に襲いかかったとしても、おそらくは、一瞬で塵にされるだけだと……!」


「あなたは、実に冷静な判断が下せるようですね」


 フヨウはクロリフィルに視線を移し、満足そうに頷いた。


「例えあなた達が全てを投げ打って向かってきても、私達に傷一つ負わせることは叶いません。なれば、これ以上の制裁のリスクを冒してまで向かってくるのは、愚か者のすることです」


 クレイグは目の前のフヨウを、そして先ほど、自身の全感覚を以てしても「刃が交わる音」が聞こえるまでその初動にすら気づけなかった、後ろに控えるルクセルムという名の男を見やった。

 クレイグは一瞬、深く瞑目し、やがて敗北と現実を受け入れるように息を吐き出した。


「……確かに、その通りですな。タシュアのような、理を外れた化け物達を束ねるあなた達が、ただの存在であるわけがない。だが、一つだけ、言わせていただきたい」


「ほう、まだ啖呵を切りますか。面白い、何ですか?」


 フヨウは興味深げにその美しい瞳を細め、クレイグを促した。


「全てあなた達『再厄』の思い通りになると思ったら、大間違いだ。あなた達の野望など、決して達成し得ない」


「ふふ、それは何故ですか?」


 もはや自分が『再厄』の黒幕であることを否定すらしようとせず、フヨウは楽しそうに首を傾げて笑う。


「ウィスレ七国を舐めるな。お前達の野望は、必ずや彼が――」


「――サキルという者が、打ち砕く……と?」


「!!?」


 完全に先を読まれ、クレイグは息を詰まらせて言葉を失った。


「彼のことについては、既に把握していますよ。それに、私達とてウィスレ七国を舐めているわけではありません。そのために、こうして二百年以上もの雌伏の時を過ごしてきたのですから」


「なっ……!? あなた達は、二百年も前から……!?」


 ――パン、パン。


 不意に、乾いた柏手の音が響き渡り、対話を遮った。


「さぁさぁ、お話はそこまでだ。彼らがもう外の世界に出ることはないとは言え、それ以上、僕たちの可愛い秘密をペラペラ話してはいけないよ。フヨウ様、挨拶はこの辺りで十分でしょう。後は僕たちが案内します。その堅物男(ルクセルム)を連れて、どうぞ私室にお戻りください」


 タシュアが場をとりなす。

 堅物呼ばわりされたルクセルムが、兜の奥からタシュアを軽く睨みつけるのを横目に、フヨウは「そうですね」と頷いた。


「そこの老骨――クレイグ・レイ・フィローレの手綱は、お前がしっかり握っていなさい。彼を本当に守りたいと言うのなら、尚更ですよ、タシュア」


「はい、よく分かっております」


「ではフィローレ一族の皆様。私の箱庭で、くれぐれも無駄な争いはなさらないようお願いしますね」


 フヨウはそう優雅に言い残すと、ルクセルムを従え、モヤの向こうの城へと静かに姿を消していった。

 彼女が去った後、タシュアはクレイグに向き直り、その耳元に冷酷な言葉を忍び込ませた。


「さて、クレイグ。分かっていると思うけれど、ここから逃げ出そうなんて馬鹿な真似は考えないことだ。君が大人しくここで『不老』として僕の隣にいてくれる限り、君の一族は誰も傷つかない。でも、もし約束を破ったら……その時は、分かっているよね?」


「……クッ……」


 クレイグは、握りしめた拳をぶるぶると震わせる。


 しかしまだクレイグにはできることがある。


「タシュア、最後に一つ聞かせてくれ。何故お前はあのフヨウという女性に従うんだ?お前ほどの力があればその必要はないだろう?」


「ああ、そのことね。そんなの決まってるじゃないか。彼女には私が探し求めてやまないものを司る力がある……ただそれだけさ。まぁどのみち君には理解できないことだろうけどね、これ以上詳しく言ってしまうと怒られてしまうから勘弁してよ」


 肩をすくめるタシュアは口元に人差し指を添えて片目を瞑る。


「さぁ、話は終わりだ。この箱庭を案内してあげるよ」


 言葉の通り、話を終わらせてタシュアは先を歩いてゆく。

 これ以上話を聞くのは難しいだろう。

 タシュアの最後の言葉は抽象的だが、おそらくはフヨウの能力を解き明かす鍵にはなるに違いない。


 ルクセルムとタシュアが剣を交えた後にタシュアが持っていた剣が粒子となって消え、それがルクセルムの能力と関係すると呟いていたことも捨ておけない。


 二百年以上も雌伏の時を過ごし、暗躍し続けてきたこととそれらの情報は値千金であり、ウィスレ広しといえどここまでに『再厄』に迫っているのはクレイグ以外にいないだろう。

 少なくとも息をしている者の中では。

 ただーー


「ここから出るのは不可能だろうな……」


 周りを見回し呟く。

 そして目を閉じる。


 ーーサキル。あの黒幕の存在を、決して、決して見落とすな。彼らの本当の目的を突き止め、この悪夢を終わらせてくれ……!


 薄黒いモヤの広がる空を見上げながら、クレイグは最期の希望が、どうかその届かぬ手に届くことをただ祈り続けていた。






***










 フヨウが下したクレイグたちへの「庇護」という名の幽閉を終え、タシュアは聖域の最深部に構えられたフヨウの私室へと足を運んでいた。

 重厚な扉を開くと、そこは外界の薄黒いモヤとは対照的に、不気味なほど洗練された静寂が支配する空間だった。

 部屋の奥、神々しい装束を纏ったフヨウが佇み、その背後には寸分の隙もなく白銀の鎧を纏ったルクセルムが、まるで彫像のように静かに控えている。


「フヨウ様」


 タシュアが慇懃無礼に声をかけると、フヨウは静かにその碧眼を向けた。


「計画の首尾はどうですか?」


「いやぁ、そんなことは聞かなくてもわかるんじゃないですか? そのために私達に刻印を刻んでいるわけですよね?」


 タシュアは軽く肩をすくめ、戯れるように青紫の瞳を輝かせる。だが、フヨウの眼差しは冷ややかだった。


「その刻印は確かに私と繋がっていますが、それであなた達の行動の全てを知ることはできません。そのことはあなたなら十分理解しているでしょうに……わざとらしく話を逸らすのはあなたの悪癖です。だからあなたを人の心を弄ぶ悪魔だと呼ばれるのですよ? 理解していますか?」


「いやー、しっかり機能しているか気になっただけですって。私の刻印はこの眼で視えていますが、他のメンバーの刻印は視界にないので分かりようがないですし」


 白々しく笑いながら言い訳を口にするタシュアに対し、フヨウは小さく息を吐き捨てた。


「異常があったら私が放置しているわけないでしょう。そして私が異常を感じているか否かはその眼で見通すことは可能でしょう……やはりあなたの相手はとても疲れますね」


「心外ですね……まぁ取り敢えず報告だけしちゃいます!」


 タシュアはわざとらしく落ち込む素振りを見せた後、すぐさま口元を歪めて本題へと切り替えた。


「北方民族は私達の計画通りシザクをリーダーとして擁立し、百の部族を一つにまとめています。まだ十の部族が抵抗を続けていますが、彼らが統合されるのも時間の問題でしょう。気候変動も着実に進んでいますよ。この分なら一年後には侵略に来ると思います」


「そうですか……」


 フヨウは静かに返事をすると、数秒間、瞑目した。

 200年以上もの時を秘めて刻んできた、重厚な沈黙。やがて彼女がゆっくりと目を開けると、その瞳の奥には静かな熱量が宿っていた。


「二百五十年の雌伏の時は終わりを告げ、遂に私達『再厄』が表舞台に立つ時が来ました。各々準備を怠ることのないようメンバーには伝えなさい」


「おお……遂にその時が来るのですね……」


 背後に控えていたルクセルムの口から、抑えきれない感嘆の言葉が漏れ出でた。長きにわたる屈辱と待ち望んだ時への歓喜が、その重厚な声に滲んでいる。

 フヨウはそれを一瞥すると、一瞬前までの神々しい佇まいを綺麗に塗り替えるかのように――ゾッとするほど酷薄で、残酷なほどに美しい笑みをその口元に浮かべた。


「我らに苦痛と憎悪を与えたこのウィスレを、私は許さない」


 その言葉に応じるように、タシュアは底意地悪く嗤い、紫の瞳を愉しげに細める。ルクセルムは湧き上がる感情を抑え込むように右胸へ手を当て、その拳を力強く、ぎゅっと握りしめた。

 そして、かつて聖域の統治者と呼ばれた粛清の女神は、その瞳にドス黒い憎悪と神威を宿し――


「私達がウィスレの全てを滅ぼし、支配いたします」


 神という存在とは程遠い、禍々しい狂気と情念に染まった表情で、そう静かに宣言した。









タシュアとルクセルム、そしてフヨウの間を支配していたドス黒い昂揚感が、ふと静まった。

フヨウは一息つくと、思い出したようにその美しい碧眼をタシュアへと向け、静かな問いを投げかけた。


「……そういえば、一つ忘れていました。サキルという存在について、あなたがバルアに教えなかった理由はわかります。彼の内に渦巻く憎悪は誰よりも強く、格別なものですからね。その点で、あなたがバルアに情報を隠していたことは不問にしましょう。……ただ、既にバルアの耳にもその存在は届いたはずです。もしあなたがサキルを守るためにバルアを止めようと戦うというのならば、私はあなたを止めなくてはいけません。……どうしますか、タシュア?」


フヨウの声音は、最初は世界を統治する神のような絶大な威厳と神威を漂わせていた。しかし、最後に「どうしますか?」と問いかけたその瞬間、彼女の口元は人間味を感じさせるように意地悪く、そしてチャーミングに歪んでいた。

この毎度のことながら強烈なアンバランスさに、タシュアは苦笑いを浮かべつつ肩をすくめた。


「ご安心ください。私が奴を直接止めるつもりはありませんよ。……少なくとも『直接』は、ですね」


「あなたは、他のメンバーを使って間接的に止めさせるようなことも同義と心得ているでしょう……。つまり、どこかしらに情報を流して第三者を動かし、止めさせる。と、そう言った思惑ですかね?」


「さぁ、どうでしょう? ……と、とぼけたところで貴女に通じないのは重々わかっていますが、それならば問題ないでしょう? なんなら、それによって生じる『茶番』は、私たちの目的に少しでも近づくための糧となりますから」


タシュアの青紫の瞳が妖しく光る。フヨウはその回答に満足したように、くすくすと声を漏らした。


「ふふっ、そうですね。そっちの方がより好ましいでしょう。……できれば、サキル・セルフェウスがバルアを退ける結末の方が私としても好ましいのですが、あなたはサキルが勝てると思いますか?」


フヨウの問いに、タシュアは少しだけ顎に指を当て、思考を巡らせる仕草を見せた。


「そうですね……勝率は半々より、少し分が悪いといったところでしょうか。あの『破滅者』……あの追い剥ぎ野郎の存在の在り方には吐き気を催しますが、その力だけは本物で、あまりに強大です。今のサキル君一人なら、間違いなくバルアが勝つでしょうね。……いえ、彼に他の協力者を合わせたとしても尚、奴の方が強いでしょう」


「では、もう少し秘密裏に根回しをお願いします。せめて、彼らが対等の条件で命を削り合える程度にはしておくべきでしょう」


「わかりました。そのように手配いたします」


タシュアは慇懃に一礼すると、フヨウの私室から去るべく、滑らかな足取りで空間の暗がりへと消えていった。


タシュアの気配が空間の闇へと完全に溶けて消え、部屋に再び不気味な静寂が戻ってきた。

タシュアが去った方向を、鋭い殺意を込めて睨み続けていたルクセルムが、重厚な甲冑を軋ませながら一歩前へと踏み出した。


「……フヨウ様。やはり、あの男は危険すぎます」


ルクセルムの声は低く、地を這うような強い警戒に満ちていた。右手に握られた剣の柄が、彼の激しい感情を映すようにギュッと固く握り締められる。


「タシュア・イーライグ……奴の企みはあまりに底が知れず、腹の底で何を考えているのか分かったものではありません。一歩間違えれば、我らの悲願すらも奴の身勝手な道楽で歪められかねない。何卒、奴の動向には一層の警戒を――」


忠臣の切痛な言に、フヨウはゆっくりと振り向いた。その碧眼には、ルクセルムの懸念をすべて包み込むような、深く静かな光が宿っている。


「ルクセルム。あなたの言いたいこと、そしてあの悪魔の危険性は、私が誰よりも重々承知しています」


フヨウは優しく、しかし一切の揺らぎを感じさせない確固たる声音で言葉を継いだ。


「ですが……今はまだ、彼の力が必要なのです。あの男の歪んだ知恵と『眼』、そして狂気すらも、ウィスレを完全に滅ぼすためのピースとして使い潰さねばなりません。だからこそ、今は彼をそのまま躍らせておきなさい」


「……はっ。フヨウ様がお決めになったことであるならば、私はどこまでもお供いたします」


ルクセルムは深く首を垂れ、再びフヨウの背後で静かな彫像へと戻った。

一人佇むフヨウは、タシュアが消えた空間の残滓を冷ややかな瞳で見つめ直す。そして、その透き通った唇から、誰にも聞こえないほどの微かな独白が漏れ出た。


ーー……タシュア。あなたは『バルアにサキル・セルフェウスの情報が届いた』と言ったけれど……。


フヨウの口元に、冷徹な一筋の笑みが浮かぶ。


ーーその情報をわざわざバルアの耳に流し、あの狂犬を解き放った張本人こそ……他ならぬ、あなた自身なのではないですか?


悪魔が仕掛けた次なる惨劇の舞台を思い描きながら、粛清の女神はただ静かに、深遠なる暗闇の向こうを見つめていた。



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