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想造世界  作者: 篤
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タシュアの過去③ あり得べからざる悪魔の力



「さて、それじゃあさっさと始めようか」


 悪魔の唇から零れ落ちたその言葉は、開戦の合図というよりは、これから始まる「解体作業」の冷酷な宣告であった。歪んだ三日月のように吊り上がった笑みがタシュアの顔に刻まれた、その刹那——対峙していた母、タミラが弾かれたように動いた。


 タミラはタシュアに対して無防備に背を向け、大広間の奥へと脱兎の如く走り出す。

 実戦において、これほど致命的な隙はない。逃走か、あるいは奥の手を準備するための距離確保か。いずれにせよ、タシュアがこの瞬間に、彼の持つ規格外の創術で遠距離からの追撃を放てば、タミラの技量では回避も防御も叶わず、その背を無残に貫かれるのは火を見るよりも明らかであった。


 だが、その無防備な後ろ姿を遮るように、鋼の意志を宿した「壁」が立ちはだかる。

 父、シュデル・フィン・イーライグ。一族の長としての矜持と、狂い果てた息子への剥き出しの殺意を滾らせる男が、タシュアの射線を完全に封殺した。


 ——ピシッ、ピシッ。


 不気味な、しかし鋭い亀裂の音が、月光に照らされた静寂を切り裂く。

 窓からの淡い光を跳ね返し、仄白く輝いていた最高級の大理石。その美しい鏡面に、蜘蛛の巣のような無数の亀裂が、タシュアの足元を目指して猛烈な速さではしった。


 ドゴオオオオオッ!!


 直後、地響きと共に大理石の床が内側から爆ぜた。

 無数の亀裂から、磨き抜かれた刃の如き形状をした「土の槍」が、その凶悪な穂先を次々と突き出す。


 ズオオオオオ——ッ!!


 それはもはや、単一の術式の範疇を超えていた。

 地中から噴出した土の槍の群れは、あるものは互いに絡み合い、あるものは獲物の肉を求めて先を争う大蛇の如く蠢く。あるいは、すべてを呑み込み、圧殺せんとする「大地の津波」そのもの。

 圧倒的な質量と物量を伴った殺意の潮流が、タシュアという小さな存在を包囲し、蹂躙せんと迫りくる。


 これこそが、イーライグ家の当主として幾多の戦場を血で染めてきた、シュデルの真骨頂たる創術であった。

 舞踏会すら開催可能なほどに広大な大広間。その半分を瞬時に埋め尽くすほどの広範囲に展開された、死の槍の森。逃げ場など、この空間のどこにも残されてはいない。


 一見すれば、それはただの土塊の集積に過ぎない。

 しかし、タシュアの青紫色の瞳——《死眼》は、その術式の深淵を一瞬で看破していた。

 槍の一本一本を構成する粒子の結合密度、その規則正しい結晶構造。それは鋼を容易く凌駕し、ダイヤモンドにすら匹敵する極限の硬度へと練り上げられている。デタラメな物量に、この異常な硬度が相乗されることで、その威力は巨大な攻城兵器の一撃にも等しい「不可避の絶望」と化していた。


 あと数秒。

 いや、瞬き一つする間に、タシュアの華奢な肉体は無数の穂先に貫かれ、大地の重圧に呑み込まれ、原形を留めぬ肉塊へと成り果てるだろう。


 死が、圧倒的な破壊の奔流が、すぐ眼前にまで迫っている。

 だというのに。


 タシュアは、瞳に迫りくる無数の槍を映しながらも、不敵な、そして狂気に満ちた笑みを崩すことはなかった。

 生命が風前の灯火にあるというこの極限の状況。その「死の予感」さえもが彼にとっては至高の娯楽であるかのように、少年の口元はますます愉悦に歪んでいく。


 押し寄せる大地の絶望を前にして、悪魔はただ、その時が来るのを静かに、そして狂おしく待ち望んでいた。

 その余裕は、一体どこから湧いてくるのか。


 眼前に迫る数千の「死の穂先」を前にして、眉一つ動かさぬ不気味な少年の静寂。シュデル・フィン・イーライグが、かつての息子であったはずの怪物の真意を測りかね、訝しげにその眉を深くひそめた、次の瞬間だった。


 ――ポタ、ポタポタ……。


 大広間に充満する殺伐とした空気の中に、場違いなまでに柔らかな「滴り」の音が混じった。シュデルの放った土の槍が砕いた大理石の破片の間から、透き通った水が静かに溢れ出す。


 ――ポタ、ポタポタポタポタポタポタ……。


 漏れ出る水の範囲は、シュデルの思考を置き去りにするほどの凄まじい速度で、タシュアを中心に放射状へと広がっていく。それはまるで、イーライグ家本邸そのものがこれから始まる惨劇を予見し、冷や汗を流しているかのようでもあった。


 ザアアアアアアアアアアアアッ!!!


 直後、床下の配管や創力の集積回路から強引に引きずり出された膨大な質量の水が、奔流となって床を蹴立てた。溢れ出た水は、タシュアの意志に呼応して瞬時に意志を持ち、空中で複雑な幾何学模様を描きながら凝集していく。

 それは、無数の鋭利な「水の槍」へと変貌し、迫りくる土の槍の波へと真っ向から牙を剥いた。


 水とは、本来ならば液状であり、特定の形を持たぬ不定形の物質である。タシュアはその「形なき物質」に対して、高度な「形化術けいかじゅつ」を驚異的な多重行使マルチキャストで適用し、一時的な物理実体として槍の形状を維持させていたのだ。


 しかし、ことわりを知る創術師であれば、この光景に冷笑を禁じ得ないだろう。

 どれほど術式で一時的な形を与えようと、水の根源的な性質は液体だ。対する土は、元より有形の物質。多少の変容を加えていようとも、物質としての密度、強度、結合力においては、有形の土が圧倒的に優る。 強引に形を模倣した水と、本質的に硬質な土。どちらが衝突の果てに砕け散るかは、戦うまでもない道理である。


 確かに、四大元素の相性において、水は土に浸透し、それを脆くさせる優位性を持つ。その相性差を以てすれば、多少の物質的な強度の壁は埋められるかもしれない。だが、シュデルは単なる土を放ったのではない。彼は土の槍の一本一本に、極限の「硬化術」を同時行使していた。鉄をも容易く断ち切るその強度の差は、もはや属性の相性程度で埋められるような溝ではなかった。


ーー愚かな……。水の槍だと? 物質的真理すら忘れたか、タシュア!


 シュデルの土の槍がタシュアの水の槍を粉砕し、そのまま青年の細い肉体を貫き、圧殺する。それがこの世を統べる創造物の、そして物理の真理であるはずだった。


 タシュアがどれほどの創術そうじゅつを隠し持っていたのか、その技量を冷静に測っていたシュデルは、最初こそ、この短期間でこれほどの規模の術を展開したタシュアの成長に一抹の驚きを隠せなかった。 だが、瞬時に結論は出た。予想外の規模であろうと、所詮は「水の槍」。己の鋼の如き土の槍を破ることは不可能である、と。


 シュデルは勝利を確信した。

 その口元に笑みが浮かぶことはない。家督を継ぐはずだった息子を、この手で、それもこれほど凄惨な手段で処刑せねばならぬ現実に、その厳しい表情は崩さなかった。彼はただ、当主としての責務を果たすべく、鋭い眼光で悪魔の最期を見届けようと、前方を凝視した。


 しかし、その鋭い眼光が、次に起きた「物理の破壊」を目撃した瞬間、驚愕によって剥き出しに見開かれる。


「なっ!? 何だと……!?」


 ドゴォ、という衝突音は響かなかった。代わりに響いたのは、硬質な物質が強引に締め上げられるような、ミシリ、という異様な軋み音。


 猛烈な勢いで迫っていた土の槍の波が、タシュアの鼻先数センチという位置で、突如としてその勢いを殺されたのだ。まるで、目に見えない巨大な万力に固定されたかのように、土の槍はタシュアを目前にして完全に動きを止めた。


 それは本来、あり得ない現象だった。真っ向から激突すれば、水の槍は弾け飛び、土の槍が突き抜けるはず。だが、現実は違った。


「馬鹿な……形を持った水が、俺の岩の槍を……『縛り上げて』いるだと!?」


 シュデルは、目の前で起きている事象の異常なカラクリに気づき、裏返った声を上げた。


 タシュアの水の槍は、衝突の瞬間に「砕ける」のではなく、蛇のように、あるいは鋼の鎖のように変幻自在にしなり、シュデルの槍の穂先から根元までを瞬時に巻き取っていたのだ。形化術によって与えられた一時的な「剛性」と、水本来の「流動性」。その相反する二つの性質をタシュアは《死眼》による極限の演算で完璧に制御し、土の槍に生じている創力の力点、構造上の弱点を正確に狙い撃って、物理的にその駆動を封じ込めたのである。


 圧倒的な質量差を、「拘束」という一点に特化させることで無効化する。

 シュデルの勝利の確信は、音を立てて崩れ去った。タシュアの口元に刻まれた狂った笑みが、今は世界の理さえも嘲笑っているかのように見えた。


 タシュアが放った水の槍は、シュデルの土の——いや、極限の硬化術によって鋼をも凌駕する硬度へと変貌した「岩」の槍と、正面から衝突するという物理的真理を鮮やかに裏切ってみせた。水の奔流は岩の穂先を真正面から受け止めるのではなく、迫り来る岩の槍を倍する凄まじい速度で、大蛇が獲物を捕らえるが如きしなやかさで縛り上げたのである。


 津波の如く空間を埋め尽くす岩の槍、その一本一本に対し、水の糸が完璧な螺旋を描きながら、まるで意志を持つ鎖のように絡め取っていく。確かに、流体である水に一時的な剛性を与え、対象を拘束すること自体は理論上可能だ。しかし、問題はその「精密さ」が、およそ人間の域を絶望的なまでに逸脱している点にあった。


 数千、数万という単位の術式を同時並列で処理し、対象の運動エネルギーを殺すために最適な力点を見極め、寸分の狂いもなく締め上げる。膨大な水を無から創造し、そのすべてに形を与え、波濤の如く打ち出す。それだけで尋常でない緻密さの術式だというのに、その上でシュデルの岩の槍を一本残らず「封殺」するなど、もはや魔法というよりは、悪魔が描いた残酷なまでの「芸術」と呼ぶべき美しさであった。


ーー……あり得ん。これほどの制御、これほどの多重行使を、あの日、役立たずと捨てた「廃棄物」が成し遂げるなど……!?


 驚愕するなという方が無理な話だろう。ましてやシュデルは、かつて神童と呼ばれたタシュアの技量を、そして病に冒された後の彼の「限界」を、誰よりも把握しているという傲慢な自負があった。その思い込みが、今や彼にとっては猛毒となり、足元を掬う致命的な隙となっていた。


 だが、この一瞬の空白を、今のタシュアが見逃すはずがなかった。水の槍で岩を縛め、戦場を「静止」させた直後。タシュアから放たれる創力の波質が、一気に不穏な色を帯びて変質した。


 次なる別の創術を、間髪入れずに行使しようとしている——。その不穏な気配を肌で感じ取り、シュデルは尋常ならざる精神力で、喉元まで迫っていた驚愕を強引に喉奥へと押し込んだ。


 ここで立ち止まれば、死ぬ。シュデルは精密な感知術の技術スキルこそ持たないが、長年、血で血を洗う戦場の最前線で磨き抜かれた「創術への嗅覚」があった。

 それは理屈を超えた本能であり、魔力の微かな揺らぎを獣のような直感で嗅ぎ取る才能だ。驚愕という名の鎖を、時に任せるでもなく自らの意志で粉々に打ち砕いたシュデルは、隙を突こうとするタシュアの先手を打つべく、全身の神経を逆立てて身構えた。


………………。


 しかし、シュデルの予想に反し、大広間には不気味な静寂が居座り続けた。目に見える事象としては、何も起きていない。だが、シュデルの嗅覚は確かに捉えていた。タシュアが、間違いなく「何か」を、何らかの創術を発動させたという、確固たる事実を。


ーー……何だ? 何が起こった!?


 新たに生じた疑念に、シュデルは深く眉根を寄せる。いや、それは疑問というよりも、生理的な嫌悪感を伴う「違和感」だった。確かに発動の気配はあった。

 大気が震え、創力の密度が跳ね上がった。だというのに、それが現実に何一つ反映されていない。

 想定される解としては、タシュアが多重行使の負荷に耐えきれず、術式の構築に失敗したということ——つまり、創術の不発。

 しかし、


「そんな短絡的な、初歩のミスを奴がするか……?」


 シュデルは震える声で自問する。先程まで自分の想定を遥かに超越する芸術的な術を見せつけてきた相手だ。そんな相手が、今更術式の暴発や不全などという不始末を犯すとは、到底信じ難かった。


ーー……そうだ。術の失敗と見るのは、俺にとって都合が良すぎる希望的観測だ。


ーータシュア、お前は確かに「何か」をした。だが、その正体がえない……感知術を持たぬ俺では、奴が何を仕掛けたのか察知することすら叶わないのか!


 ならば、立ち止まることは死と同義だ。シュデルはタシュアが引き起こした奇妙な沈黙を、逆に利用することに決めた。一瞬の隙に全創力を叩き込み、複雑な術式を強引に編み上げる。


 彼が放ったのは、紫電の煌めき——雷撃らいげき。だが、その苛烈な一撃の標的はタシュア本人ではなく、水の槍に縛り上げられ、屈辱的に動きを止められていた己の「岩の槍」であった。


 タシュアが「何をしたか」が不明な今、直接彼へ攻撃を仕掛けるのは得策ではない。故に、まずは己の武器を取り戻すのが先決。

 雷には水の流動性を強制的に制限し、術式による「形」の維持を剥奪する性質がある。同様に、形を持った水の性質を元に戻すことができるのだ。


バチバチバチバチバチバチッ!!


 苛烈な雷光が、岩を縛めていた水の鎖を包み込む。それによって、水の槍が保っていた虚構の「形」は失われ、本来の無機質な液体へと戻っていく。重力に従い、崩れ落ちる水。そして、その瞬間に岩の槍は永い拘束から解放された。


 タシュアは、その解放をいち早く察知していた。岩が動くよりも早く、背後へと大きく跳躍する。だが、それを許すまいと、縛めから解放された岩の槍は彼に追いすがるように、以前を倍する凄まじい速度で襲いかかった。


 タシュアは空中だ。踏ん張りも効かず、新たな創術を発動させる時間もない。


——った!!


 今度こそ、シュデルは確信した。この傲慢で狂い果てた、かつての愛息の最期を——。


ドゴオオオオオオオオオオオオンッ!!!


「な、……なっ!?」


 確信は、本日三度目の驚愕によって粉々に砕け散った。大広間を揺るがすほどの衝撃波と、耳を劈くような激撃音。シュデルは、眼前に広がる光景に、唇を激しく震わせる。


「何故だ……何故……お前が……」


 受けた衝撃に思考を麻痺させながら、信じられないものを見た。


「何故、お前が……それを、そのわざを使えるッ!!!」


 今度こそシュデルは、驚愕が一定の域を超えたことによって、やり場のない怒りに声を荒げた。それはシュデルが得意な術であり、対照的にタシュアは苦手だったはずだ。

それを何故使えるのか。


「あはははは! 顔を沸騰するやかんみたいに真っ赤にして……らしくないですよ? 哀れな、哀れなイーライグ家の当主さん?」


 タシュアは、命のやり取りをしている最中だというのに、楽しげに目を細めて嗤った。


ドゴオオオ、バギ、ガンッッッ、ガガガ、ズガガガッ!!


 もっとも、シュデルの怒声とタシュアの笑い声は、凄まじい轟音に遮られていた。今起きている事象——何か硬質でいて並々ならぬ量の物体同士が激突し合う破壊音の正体。


 それは、タシュアが新たに出現させた、シュデルの岩の槍を遥かに凌駕する規模と密度を持った「漆黒の結晶体」が、主を守る防壁となり、岩の槍をことごとく粉砕している音であった。


 それは、耳を劈くような轟音——極めて高い硬度を持つ「岩の槍」の波と、それを迎え撃つ「岩の槍」の波が真正面から衝突し、互いの存在を削り、砕き合う破壊の旋律であった。


「何故だ……何故、お前がそれを……」


 シュデルは二度、同じ言葉を漏らした。それはもはや、敵対する者への問いかけではない。己が信じてきた世界の理、創造物の常識、そして「タシュア」という個体に対して抱いていたすべての認識が音を立てて崩れ去ったことへの、無意識の畏怖であった。


 その呟きは激しい削岩音の中に掻き消されたはずだが、タシュアにはすべてが聞こえていた。彼はシュデルの驚愕を、そしてその奥に潜む絶望の種をしかと耳で、眼で捉え、嘲笑うかのような愉悦の笑みを深く深く口元に刻んだ。


 シュデルを戦慄させた真の衝撃。それは、タシュアが「放ったこと」以上に、タシュアには決して「使えないはずの術」——すなわち、己が得意とする土の属性と、高度な硬化術の組み合わせを完璧に再現し、あまつさえ凌駕して見せたことにあった。


 タシュア・イーライグという青年がかつて神童と呼ばれた所以は、その常人を逸した創術の多彩さにあった。

 彼は水、木、氷、炎などの多彩な属性の術や、形化術や硬化術といった強化系の術まで驚くべき自由度で操る才を持っていた。

単に「使える」だけではない。彼はそれらの属性を同時行使し、特に流体である水に「形化術けいかじゅつ」を施して物理実体を与える技術においては、イフィラの歴史を塗り替えるほどの才覚を誇っていた。


 しかし、その完全無欠に見える天才にも、唯一の「明確な不得手」が存在した。それが土属性である。

 タシュアが病魔に侵される直前、健全な肉体を持っていた最後の時点においてさえ、彼の土属性への適性は見るに耐えないものだった。どれほど創力を注いでも、生み出せるのは崩れやすい薄い土壁が精一杯。岩を削り、槍を成し、それを硬化させるなど、彼にとっては夢のまた夢だったのである。


 対して、父シュデルは違った。彼もまたタシュアほどの多彩な属性適正を有していたが、「土」に関しては、国でも右に出る者のいない練達の域に達していた。

 長年の戦場経験に基づき、創力の無駄を削ぎ落とした高効率な創造。そして、有形の物質にさらに形化術を重ねることで、分子結合を強制的に固定しダイヤモンドに匹敵する強度を与える難関技術「硬化術こうかじゅつ」。

 硬化術とは、いわば有形の物体に対する「形化術」の呼び名を変えたものだ。流体に形を与えるよりも、既に形あるものの性質を術式で固定・強化する方が、創力の反発が大きく難易度は跳ね上がる。

 加えてシュデルの操る硬化術はそこらの戦場の将が操る硬化術とは格が違う。

圧倒的な硬度を誇っていた。


 土属性を苦手としていたタシュアが、もし奇跡的にその苦手を克服したとしても、これほどの「硬化術」を同時行使するなど不可能だ。

 彼の年齢と経験を考えれば、数学的に算出しても「百パーセント不可能」であるはずだった。

 シュデルは、幼き頃からタシュアの成長を最も近くで見守り、その限界を見定めてきた。だからこそ、それについては断言できたのだ。


 しかして、その「完全なる不可能」を、目の前の悪魔は事も無げにやってのけた。

 と思考を加速させたシュデルの脳裏に、ある一日が過った。あの日。シュデルがタシュアを見放した、あの日だ。

 タシュアが病魔に侵されてから、彼が病床に臥す日々が続いた後の、あの日。


 シュデルの目には、タシュアはもう二度と立ち上がれぬ敗北者として映っていた。

 だが、事実は違ったのだ。シュデルが背を向けたその瞬間から、タシュアの脳内では——死眼がもたらす無限の情報処理能力と、死の淵で変異した精神が融合し、シュデルが一生をかけて積み上げた「経験値」など一瞬でコピーして追い抜くほどの、地獄のような自己進化が始まっていたのである。


 その日から今日に至るまで、彼が人知れず技量を磨き上げたと推測するのが、創術師としての、あるいは親としてのせめてもの「妥当」な解釈だろう。だが、それはあまりにも荒唐無稽な、現実逃避に近い妄想に過ぎなかった。


 なぜなら、言うまでもなくタシュアはこの数ヶ月、数年、死の淵を彷徨う病魔に犯され、暗澹たる病床に伏し続けていたのだ。立ち上がることさえ叶わず、光を視れば脳を焼かれる。

 そんな「死体」同然の青年が、いつ、どこで、どうやって、シュデルですら至れぬ極致の創術を練り上げる時間などあったというのか。


 今さら、あれが全て「演技」であったなどという野暮な仮説を立てる意味など、一欠片も存在しなかった。今、タシュアがシュデルに向けて放っている、肌を灼くような剥き出しの狂気——それこそが、病床で無力に臥していた日々、家族と信じていた者たちから浴びせられた凄惨な仕打ちに対する、どす黒い復讐心の証明なのだから。


 そうすると自然と、答えは一つになる。


「お前の、その……青紫色に光る不気味な両の瞳。その両眼に宿る異常な能力ちからだとでもいうのか……?」


 シュデルは当主としての矜持を保ち、至って平静を装おうと努めた。

 それでも喉の奥から絞り出された声は、本人の意志に反して震え、無意識のうちに惨めに上ずってしまう。


 吐き出した言葉を肯定することは、シュデル自身の創術師としての常識を根底から覆すことと同義だった。彼はすぐに首を軽く左右に振り、己の疑念を打ち消すように言葉を継いだ。


「いや、違うな。その眼の変色は、恐らく《死眼病》末期の極めて稀な症状の一つに過ぎん。そうだ……ならば何故だ。何故、お前は今、包帯もなしに自由に歩き回れる? 答えろ、タシュア!!」


 前言を自ら否定し、シュデルは激昂に近い問いを叩きつける。それは先刻、妻タミラと共に、悪魔へと変容を遂げたタシュアを見た時から抱いていた筈の疑問を、今更ながら思い出し、問うたものだった。


 既にシュデルの放った岩の槍とタシュアの放った岩の槍は、激しい衝撃と轟音を撒き散らした末に、両方共に粉々に砕け散った後だった。

 大気には細かな石塵と創力の残滓が漂い、満月の光を乱反射させている。轟音の余韻はまだ耳の奥に残っているものの、先ほどのように互いの声が聞き取れない訳ではない。


 故にタシュアはシュデルの問いに反応し、愉悦の笑みを浮かべながらも、


「どうだろうね? そのうち、嫌でもわかると思うよ」


 と、はぐらかしたのだった。


 タシュアがはぐらかした理由。

 何もタシュアは情報を開示するつもりがない訳ではない。ただ、虎視眈々と、真実を明かすことでシュデルを絶望させるための「機」を待っている。

 まだこの情報を開示したところで、シュデルを絶望させるまでには届かない。そもそも、タシュアには己が新たに手にした異常な能力について、律儀に解説してやる義理など毛頭ない。

 彼の目的は、情報の開示そのものではなく、シュデルを完膚なきまでに叩き潰すことにあるからだ。


 この情報を開示するとしたら、それは——。


ーー……さっき、僕が術を失敗した風に装った、あの「裏の意味」を知らしめる時だ。


ーーもっとも、その意味だけで多分あんたは絶望すると思うけどね。


 タシュアは愉悦の笑みを狂い歪め、胸の内でそっと呟いた。


 思えばその時点で、親子という絆がねじれて、捻じ切れて、互いを憎み合う怪物と化したシュデルとタシュアの勝敗の行方は、既に決定していたのかもしれない。


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