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カラフル×ドロップ  作者: 水嶋陸


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第二十二話 カラフル×ドロップ(後編)


運命の日。


シェリルさんと二人、早めに会場入りしたわたしは既に集まっている報道陣の数に圧倒された。

世界中に名を馳せる最高級ホテルグループの社長交代というのは、それだけで話題を呼ぶ。


会見直前にもなれば物凄い人混みになり、わたしはウェルカムドリンクを片手に壁の花を演じつつ、改めて煌びやかな内装をぐるりと見渡した。それはあまりにも日常とかけ離れた光景で、昨日加瀬と再会したことが夢だったんじゃないかとぼんやり思う。


「皆様、本日は弊社の記者会見にお集まり頂き、誠にありがとうございます。新社長、加瀬進よりご挨拶申し上げます」


割れんばかりの喝采とフラッシュを浴びながら、スーツ姿の進さんが壇上に現れる。若き新社長への期待と羨望が空間を満たし、その中で堂々と顔をあげている姿はとても頼もしい。


「ただいま紹介に預かりました、加瀬進です。本日お越し下さった皆様におかれては、長年弊社と共に歩み、助け合ってきたかけがえのないパートナーであると考えています。設立以来、弊社が築いてきた一流ブランドの信頼は、皆様のご尽力なくしてけして成し得なかったでしょう。先代社長に代わり、心から厚く御礼申し上げます」


進さんが深々と頭を下げ、力強い笑顔を浮かべた。次の瞬間、心臓がギュッと掴まれたような錯覚に陥り、危うく手持ちのグラスを落としそうになる。進さんがエレガントな仕草で壇上に招いたのは――加瀬だった。


「葵様よ! ああ、なんてお美しい! もっと近くでお顔を拝見したいわ」

「表舞台に立たれるのは五年ぶりでは? 兄君の社長就任パーティーなら絶対いらっしゃると思ったけど、いざ目の前にすると感激ね……」


周囲のざわめき、感嘆の声、熱い視線。だけどわたしには、加瀬しか目に入らなかった。以前は笑顔の奥に拭いきれない影があった――それが完全に消えて、未来を、ただひたすらに前を見据える加瀬が眩しい。


たった五年――長かったようで短い時間の中で。鳥肌が立つほどの凛々しさを身に着けた彼が、過ごしたであろう過酷な日々と、支えてくれた沢山の人達の助力を想う。それだけで込み上げるものがあった。


「弊社の節目に合わせて、もうひとつ大切なお知らせがあります。私の弟であり、弊社の広報部門に所属しておりました加瀬葵ですが――本日をもって退職、かのクロード・ジルベルスタイン氏の協力の元、フランス・パリを拠点に12シーズンズ・ホテルグループを設立することを発表します。それではさっそく、本人から皆様に一言」


マイクを手渡された加瀬は、動揺を隠せない会場の招待客に向かって微笑みを浮かべた。これほど大勢を前にして少しも物怖じしないのは、全然変わってない。ただそこにいるだけで、相手を魅了してやまない圧倒的な存在感も健在だ。


「今宵、こうして皆様とまたお会いできたことを光栄に思います。まずは、新社長に就任した兄・進に祝福を送ると共に、今日まで支えて下さった皆様に最大級の感謝を捧げます。12シーズンズ・ホテルグループは、パリ・オペラ地区を拠点に設立しました。週単位でご滞在頂き、本当にパリで生活しているような時間を楽しんで頂けるような工夫を凝らしています。まずは十年以内に、欧州を股にかけたビジネスを展開する予定です。ぜひご期待下さい」


ああ、ほんとうに――加瀬は、『約束』を守ってくれた。過去と向き合って、未来を切り拓く。言葉にするのは容易くて、実現するのは遠い道のりだったに違いない。だけどそんな苦労を微塵も感じさせない、颯爽とした立ち居振る舞いから、彼が人間として一段と成長を遂げたのが分かる。


なんだか、お母さんになった気分? そんなことを考えて、笑みが漏れる。本当に、加瀬のことになると自分のことのように誇らしくなってしまう。ふと、加瀬の視線が自分に向けられたような気がして、背筋が伸びた。目が合って、息が詰まる。


「それから、これは個人的なご報告ですが……五年前からずっと、お付き合いしている女性がいます。彼女と出逢わなければ今の僕は存在しなかった。情けない話ですが、当時は、守りたいと思いながら、いつも守られる立場でした。フォーコンチネンタルホテル加瀬の御曹司としての僕と、何も持たない加瀬葵という無力な人間と真剣に向き合ってくれた」

「……っ!」


まさかの不意打ちに鼓動が高鳴る。加瀬が言っていた『大切な発表』ってこれのこと? 確かに、いつか公式の場でパートナーとして発表するって言ってくれたけど! 


わたしがあわあわしている姿が見えるのか、加瀬はどこか可笑しそうに、だけどひどく優しい表情で嬉しそうに手を差し伸べてくる。


「芦田玲菜さん――貴女を愛しています。出逢った時からずっと、心は貴女でいっぱいでした。僕と結婚して下さい。yesなら、ここへ来て、僕の手を取ってもらえませんか?」


悲鳴とも歓喜とも判別できない声が招待客――主に女性――から発せられ、思わず耳を塞いだ。人見知りが改善されたとはいえ、この状況でスポットライトの下に出ていく勇気はない。長年日陰者根性で生きてきたわたしには、耐え難いレベルの注目度だ。公開プロポーズなんて心臓に悪すぎる!


「ええ――――!!!! あ、あ、葵様が結婚!?」

「ここへ来て……って、パーティーの招待客なの? 誰!?」


ああああ、やめて下さい……っ。ついに頭痛がしてきて、なんだかお腹も不安定。今すぐ会場を飛び出して、人目のつかない個室に駆け込みたい衝動に駆られる。そんなわたしの背中に、温かな手が添えられた。


「玲菜ちゃん、葵が待ってるわ」

「シェリルさん、わたし――」

「――負けないで」


大丈夫、と。映画のヒロインみたいな完璧なウインクをくれたシェリルさんが、とん、と背中を押してくれた。思わず前のめりになって、慌てて体勢を立て直す。


「芦田玲菜さん、いませんか? 弟は振られたのかな?」


隣で見守っていた進さんの言葉に、どっと笑いが湧く。顔を上げると、進さんと目が合った。口の端をあげただけではあるけど、初めて笑顔を向けられた。加瀬はというと、辛抱強く待ってくれている。暖かい春の、日だまりの中にいるような穏やかさで、わたしを。


「わたしはここにいます!」


精一杯大きな声で叫ぶと同時に視線が集まり、反射的に体が強張る。怖い……! だけど、加瀬は十分すぎるほど勇気を示してくれた。それに応えられる自分でありたいと誓った気持ちに偽りはない。だからもう――迷わない。


壇上へ向かう途中、さざ波のように人が避けて道ができていく。教会のバージンロードもきっとこんな感じなのかなあ、なんて考える程度には余裕がでてきた。待ち構える報道陣のフラッシュも、好奇や嫉妬の嵐も怖くない。あなたがそこにいてくれるなら、わたしはどこへだって行く。


「来てくれたってことは、期待していいのかな?」

「期待しないで下さい」

「え」

「絶対に応えると分かっているのに、期待する意味、ありませんから。わたしも――葵さんを愛しています」


はにかみながら答えると、会場が揺れそうなほど盛大な拍手が起きた。今日の日を、忘れることはないだろう。これから加瀬とふたりで歩いていく未来。そのスタートラインに、ようやく立てた瞬間だった。


「やった!!」

「きゃああ!? な、何するんですかっ。今すぐ降ろして下さい!」

「嫌だね、絶対降ろさない。――二度と離さない」


おもむろにわたしを抱き上げた加瀬は、ギュウっと腕に力を込める。いわゆるお姫様抱っこを公衆の面前ですることになろうとは、一生の不覚である。あまりに周りが騒がしくて、進さんが静めようとしても全然静まらなくて。きっと誰にも聞こえないだろうから、とわたしは加瀬に囁いた。


「あの、ずっと伝えたかったことがあるんです。今言っても?」

「もちろん。なーに?」

「……おかえりなさい!」


無事に帰ってきてくれた。想像以上の幸せを、わたしにくれた。愛しさが胸に溢れて、自然と涙が零れた。そんなわたしを見て、一瞬だけ泣きそうな顔で瞳を細めた加瀬は――


「ただいま!」


今まででいちばんの笑顔をくれた。キラキラ輝く記憶の欠片が、出逢った時と同じ鮮やかさで蘇る。加瀬と過ごした日々は、一粒もとりこぼせない宝物だ。


これからもきっと、色々なことが起きるだろう。だけど二人なら必ず乗り越えていける。確信をもって、わたしはそっと近付く加瀬の唇を受け入れ、幸せな気持ちで瞼を閉じた。



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