第二十二話 カラフル×ドロップ(中編)Side 加瀬葵 and more...
視点が途中で変わります。本文に注意書きさせて頂きました。読みづらくてすみません。
フォーコンチネンタルホテルグループの新社長、加瀬進による記者会見が行われると決まって以来、とある重大発表を控えていた俺は、シェリルが玲菜を連れて来る――という報せを受けて覚悟を決めた。己の全てを懸けて築いたものをお披露目するにはまたとない機会だと胸が躍る。
玲菜と別れたあの日、学校へ戻る間もなく空港へ向かわされた俺は、まるで初めから決まっていたように淡々と留学手続きを終え、良家の子息が集まる名門校の一員となった。義母の目を盗んで玲菜に連絡をするのはとても危険なことだったし、彼女の安全を第一に考えるなら、縁が切れたものだと信じさせる他なかったけれど、それは辛い決断で、一度決めたこととはいえ身を切る思いだった。
この五年間――フォーチネンタルグループ加瀬の呪縛から解き放たれるために、新たな事業を画策し、強力な後ろ盾を探し続けて、また、彼らに出資する価値があると認められるだけの功績を示すのは並大抵のことではなかった。誰かと真摯に向き合うのは想像以上に骨が折れたし、信頼を得るということがいかに困難で、かつ尊いことなのかを心に刻むこととなった。
だからこそ、今、晴れやかな気持ちで日本へ帰ることができる。兄である進の記者会見を控え、空港に到着した俺は、意外な顔を目の前にして息を呑んだ。
「やあ、いい笑顔だね。君のプリンセスのことを想っていたのかな?」
「クロード! 見送りに来てくれたのか?」
「当然だろう。葵はこれまで出会った人の中で最も理解しがたい変人だよ。君が帰国したら退屈すぎて死にそうだ」
「変人とはずいぶんな言い様だな」
「次々と舞い込む縁談を頑なに拒絶し、あのアントワープ家のご令嬢まで見向きもしないなんてどう考えても正気の沙汰じゃないだろう。葵の目的のためにも、出資者としてまたとない優良物件だったのに、一体何者なんだい、芦田玲菜という子は」
「君にはきっと一生分からないだろうから、ここで議論するつもりはないよ。分かってもらっても困る」
ニヤリと口角をあげて不敵な笑みを浮かべたのは、留学中に知り合った得難い仲間だ。正直、お互いの第一印象は良くなかったのだが、俺の将来の展望を聞いた彼は目を丸くして、ひとしきり笑った後で「面白い!」と協力を申し出てくれた。資産家の息子でありながら、独立して複数の事業を展開する若き天才で、起業にあたっては様々な方面で厳しくも手厚く支援してくれた恩人でもある。
「いよいよだな。決戦の準備は抜かりないだろうね」
「もちろん根回しは済ませてある。ここで倒れるような策を練っていたんじゃ、玲菜に合わせる顔がない」
「五年か……。一度も連絡をしていないとなると、彼女に他に恋人が居ても文句はいえないな」
「分かってる。その時は潔く、もう一度振り向いてもらう」
「全然潔くないじゃないか! まったく、いつかちゃんと会わせろよ。幻の姫に」
約束――、口に出さないまま、拳を合わせて応えた。そして、いざ、日本へ――
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(※以下、進視点です)
「私はそんなの聞いてないわ! 絶対認めない!」
同じ頃、怒号と共に椅子を蹴り飛ばしたフォーコンチネンタルホテル加瀬グループの副社長は、真っ赤な瞳を見開き抗議した。たった今、寝耳に水というに相応しい――副社長解任という不愉快極まりないニュースが届いたのだ。
「残念ですが母上、貴女に止める権利はありません」
「なんですって!?」
「本日をもって私――加瀬進は正式に、フォーコンチネンタルグループの後継者となりました。それはつまり、たとえ貴女であっても私の決定を覆すことはできない」
「……っ、いつからなの。いつから私を謀って――」
「人聞きの悪いことを。私はただ、未来あるホテルグループのトップとして、最初に必要だと思っていたことを実行に移したまで。貴女はもはや我が社に害をなす危険な人物だ」
目の前に差し出された、数々の越権行為の痕跡――横領をはじめとする負の代償が証拠として明るみに出され、不正を暴かれた女は忌々しげに顔を歪めた。しかし、次の瞬間にはほの暗い笑みを浮かべる。
「こんなことが通ると本気で思っているの?」
「父上の意向でもある、と言っても同じことが言えますか」
「な……っ」
「ゲームは終わった。貴女は幕引きと共に退場するべきだ。醜態を晒すのはやめて頂きたい。これ以上、貴女に失望したくない」
「くく、あはははっはは!!」
ゲームは終わった――そう聞いた瞬間、白けた声で笑い、机に寄りかかる女は、やつれ果てた雰囲気で俯き、肩の力を抜いた。遠い昔の記憶を辿るように、静かに目を瞑って。
「結局、あの人は最後まで、あの女――葵の母の味方なのね。あの時殺し損ねたばかりに、全てが変わってしまった。私に汚点があるとすれば、それだけよ」
「福社長――いや、母上をお連れしろ」
ガードマン数人に囲まれた女は、しかし決して触れることを許さず、執務室を後にした。残された進は、中に誰もいなくなったことを見届け、深く息を吐く。これまでどういう形であれ組織の繁栄に貢献してきた実の母親を、経営者としての判断で退陣に追い込むというのは、相当に堪える。
葵が留学して以降、監視役を任されていた俺は、葵が複数のスポンサーを得て起業したという話を聞きつけた後、一度はそれを潰そうかとも考えた。出来の悪いフリをして、その実、恐ろしいポテンシャルを秘めた義理の弟の存在が将来脅威になるのではないかと危惧したのだ。
他方で、葵に責任のないところで、妄執に囚われた女に虐待され続けた事実を黙認してきた後ろめたさが疼き、副社長に報告するのを躊躇っていた。ちょうどその時だ。葵の協力者と名乗る男から、不祥事の証拠を突き付けられ、葵の邪魔をすればマスコミに情報を流す、と脅迫されたのは。
母親が限りなく黒に近いグレーゾーンで取引をしているということは分かっていた。ただ、尻尾を掴ませない狡猾なやり口に手を焼いていたからこそ、どこから情報を拾ったのかも分からず、内部に手引きしている者の存在の可能性から不安を煽られたのだ。社長交代の大事な時期に、社名に泥を塗るのは不本意だった。
「葵、これで借りは返したからな。後はお前次第だ」
*
(※以下、玲菜視点です)
明日を記者会見に控え、会場の下見に訪れていた玲菜は、フォーコンチネンタルホテル加瀬の創業店の重厚な佇まいに圧倒されていた。各国の大統領や首相、有名モデルや俳優が宿泊するという超高級ホテルともなれば、外観の造りだけでなく、醸し出す雰囲気からして格が違うものだ。
「シェリルさん、遅いな……」
当日緊張しないでいいように、と下見を提案したのはシェリルだったが、約束の時間を30分過ぎても現れない。仕事が押しているのかも、とも思ったが、彼女の性格からして連絡もなしに待ち合わせに遅れるのは珍しいことだ。心配になって携帯を手に取ると、来られなくなったという謝罪のメールが入っていた。それから――
「シェリルさんから、ささやかなプレゼント? 詳しくは、ドアマンに声を掛ければ分かる……?」
チラ、と視線をあげると、わたしの視線に気付いたドアマンが恭しく礼をした。そして、「芦田玲菜様ですね。お待ちしておりました」と、来訪を心待ちにしていたような笑顔で迎えてくれる。戸惑いつつ回転式のドアを過ぎて中に入ると、フロントマンが何やら目配せをして、間もなく奥から初老の紳士が現れる。
「ようこそ、芦田玲菜様。私は当ホテルの支配人でございます。シェリル・ガートランド様からお話は伺っております。是非ともご案内させて頂きたい場所がございますので、ご同行願えますでしょうか」
「は、はい。よろしくお願いします」
まさかこんな豪華なホテルに前泊するの? 不安を抱えながら後をついていく。だけどわたしの考えは全く外れていた。案内されたのは――
「特別なお客様にだけ、本当に特別な機会にのみ公開しております、秘密の花園《シークレットガーデン》です」
建物の真ん中に、吹き抜けの中庭がある。そこには水晶を割ったようなドーム型の温室があり、日本では珍しいと思われる種類の薔薇が咲き誇っていた。足元を仄かに照らす光と、天から注がれる月光が神秘的にそれを浮かび上がらせてる。
「お気に召して頂けたようで何よりです。それではごゆっくりお寛ぎ下さい」
わたしの反応を見て、誇らしそうに胸を張り、礼をして去っていく。あまりの素晴らしさに心奪われ、案内してくれた支配人にお礼を伝え損ねてしまったのは失敗だった。外は賑やかなはずなのに、ここは静寂に包まれていて、風のない空間の花々から芳しい香りが漂う。まるで、異世界に迷い込んだ錯覚を起こさせた。
「素敵なプレゼント。ありがとう、シェリルさん……」
胸の前で手を組み、感嘆の声を漏らす。ふと視線を感じてそちらへ目を向けると、今度こそ、心臓が止まるほど飛び上がった。温室の中央にある噴水の向こうに、人影が見えたのだ。ちょうど月に雲がかったせいで、相手の姿が曖昧になる。怖くなって、緊張で脈が逸った。
「だ、誰かいるんですか?」
思い切って声を掛けるけれど、返事はない。逃げるべきか迷っていると、再び顔を出した満月が惜しみなく光を注ぐ。そして、眠っているはずの無数の蝶が、どこからでもなく飛び立った。その中にいたのは――
「玲菜」
ここにいるはずのない、愛しい人の姿。少し痩せたかもしれない。だけど逞しく成長した大人の男の人が愛おしげにわたしを見つめていた。ずいぶん落ち着いた空気を纏うようになったと思う。自分の知っている加瀬じゃないみたいで、だけど変わらない、優しげな紺碧の瞳と、美の女神も嫉妬しそうな甘い顔立ち。
名前を呼ばれて体に走った震えは、それが幻ではないことを告げている。側にいるだけで、こんなに心をいっぱいにして、同時に余裕を失わせる相手はひとりしかいない。
「葵……なの、ですか」
「うん。一瞬、玲菜だって分からなかった。ほんとうに、綺麗になったね」
「……っ、あなたは……!」
会ったら言おうと思っていたことが沢山あった。その一つさえ出てこないというのはどういうわけか。散々待たせておいて、何の前触れもなく帰ってきたと思ったら、昨日別れたばかりみたいな気軽さで、心のいちばん柔らかいところに触れてくる。
「会いたかった」
「俺もずっと会いたかったよ」
「嘘。わたしの方がずっとずっと会いたかったです」
「えー」
「抱きしめてもいいですか?」
真面目な顔でお願いすると、加瀬はものすごく困った顔で呻いた。それからしばらくして、ふーっと呼吸を整えたかと思うと、恨めしそうにわたしを射抜く。
「だめ。抱きしめる。ぜったいだめ」
「何ですかその標語みたいな抗議は。あなたが来ないなら、わたしからそっちへ――」
「ストップ! ストーップ!!」
「だからなんなんですかさっきから!!」
いい加減腹が立って叫んだ後、ハッとした。自分に向けられた情熱的な視線は、本能で危険を感じる程に渇望を孕んでいたのだ。それはこれまでに見たこともない妖艶さで、女性であることを否応なく意識させられてしまい、頬が染まる。
「いいの? 玲菜。俺がわざわざ距離とって声掛けた意味、なくなるけど」
「な、にを」
「ふぅん。無意識に自分の腕を抱くくらいには意識してくれてんだ」
「!!」
「本当は今すぐ壊れるほど抱きしめて、その華奢な体に俺の印を刻み付けたい。溺れて息ができないくらいキスをして、誰も近付いたことがないくらい、玲菜に近付きたい。だけどまだその時じゃないから……自重してんの、これでも」
但し玲菜が相手だと理性のリミッター外れ易いから気を付けて――と、窘められれば、何も言えなくなってしまう。加瀬が本気になれば、この距離は簡単に消えてなくなる。そして今はこれ以上、近付いてはいけないのだと警告を受けてしまえば、その境界を破ることはできない。
「ずいぶん自信家ですね」
「んー?」
「もし、ですよ。わたしが心変わりしていたらどうするんです。あなたは五年も行方不明だったのですから、ありえない話じゃないでしょう」
さっそく主導権を握られたことが悔しくて、心にもない言葉で悪態をついてしまう。それほど寂しかったのだから、これくらいの意地悪は許されるだろう。少しは慌てる加瀬が見たい、なんて思ったのが間違いだった。
「別に驚かないよ。玲菜ほど魅力的な女性なら、他に誰かが口説いたって不思議じゃない。でもさ」
「……?」
「例え相手がどっかの王様だって俺は諦めない。何度でも玲菜の心を攫いにいく。愛しい玲菜、君の帰る場所は俺の隣だよ。それだけは誰にも譲らない」
噴水が音を立てて、高く水を噴き上げる。この時間だけの仕掛けなのか、水しぶきが散ってキラキラと、側に植わっている薔薇を潤す。加瀬はいちばん近くにあった薔薇に触れると、その花弁に唇を寄せた。
その仕草があまりに綺麗で、胸が詰まる。自分にされているわけでもないのに唇に熱が走った。
「明日、兄貴の記者会見の後、もうひとつ重要な発表があるんだ。玲菜にも関わる大切なことだから、そのつもりでいてね。それが終わったら――」
言葉の続きはない。それでも、十分にその意味を理解したわたしは、小さく頷くのが精いっぱいで、それを見届けた加瀬が名残惜しそうに中庭を去るまでの間、微動だにできなかった。
残り一話です。




