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公爵令嬢は辺境伯に愛ではなく忠誠を誓う  作者: 枢氷みをか
第一章・漆黒の公女と白銀の辺境伯

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婚約発表の夜会・四編

「こちらですわ、公女殿下」


 メリッサに連れられて向かった先は、大聖堂の大広間からテラスへと続く扉だった。

 他の貴族たちが近づけないようにするためだろうか。まるで封鎖、あるいは監視でもしているかのように、扉の両脇には二人の男が控えている。


(……彼女の従者か?)


 リュシエリアーナは訝しげに彼らに視線を流したあと、メリッサが開いた扉の先へと目を向けた。


 そこに広がる、美しい意匠を凝らした柱が並び立つ回廊の、荘厳な空間に設けられた広いテラス──ロッジア。

 テーブルやソファが整然と配置され、夜風を招き入れる開放的な空間にいたのは────十六名の令嬢たちだった。


(メリッサを含めると、十七名……)


 十七──。

 覚えのある数字だ。


「ご紹介いたしますわね、公女殿下。左から──」

「エルスベス=オトラント侯爵令嬢、クラリッサ=ブルゴス伯爵令嬢、コリンナ=ボロメオ子爵令嬢、イソルディーナ=モンモランシー伯爵令嬢────」


 メリッサの紹介を遮るように、リュシエリアーナは淀みなく名を連ねていく。


 一人、また一人と。

 そこに集う十六名全員の名前と爵位を、一言一句違えることなく正確に口にする公女を、皆、唖然と目を見張りながら、驚愕と戸惑いを乗せた視線で見守っていた。


「そして、メリッサ=ヴォーテン侯爵令嬢────で、お間違えはございませんか?」


 聖母のような穏やかな微笑みを浮かべる公女に、メリッサはわずかにたじろいだ。


「え……ええ、その通りですわ」


 思わずそう答えてから、メリッサは内心で舌打ちをする。


 社交界に滅多に顔を出さない、公女殿下────なのに、顔を合わせたこともない貴族の名を、すべて把握しているというのだろうか。


(……さすがは、元王太子妃候補──ということね)


 面白くなさそうに胸中で吐き捨てながらも、メリッサは負けじと笑みを取り繕った。


「さすがですわ、公女殿下。よくご存じで」

わたくしの婚約者と、一時でも婚約関係にあった方々ですもの。覚えていて当然ですわ」


 さらりと返されたその言葉に、令嬢たちは一様に動揺を滲ませる。


 互いに顔を見合わせる者。

 居心地悪そうに視線を逸らす者。

 反応は様々だったが、その場に小さなざわめきが走ったのは確かだった。


(やはり、な……)


 リュシエリアーナは内心で一つ得心する。


 実際のところ、彼女たちの顔を知っていたわけではない。ただ、メリッサを含めた十七名という数字に、引っ掛かりを覚えたのだ。


 過去十七回の婚約破棄を繰り返した、ラファシアン。

 その八番目の元婚約者が連れて行った先に、十六人の令嬢がいる──となれば導き出される推測など一つしかない。


 だから彼女は、歴代婚約者の名前を順番に並べただけだった。


「それで?」


 十七人に囲まれたロッジアで、リュシエリアーナは少しの動揺も見せることなく悠然と、だが静かに口火を切った。


 彼女たちには、何らかの意図があるのだろう。

 ロッジアの扉は閉じられ、邪魔が入らぬよう扉の前に見張りが立てられている。


 退路はない。だが、この場にいるのは、たかが十七人の令嬢だ。

 恐れる理由など何一つない。


「ラファ様の元婚約者の方々が、わたくしにどのようなご用件でしょう?」


 穏やかな微笑みを崩さぬまま問う公女に、メリッサは一度周囲の令嬢たちへ視線を送った。

 互いに頷き合い、やがて意を決したように、公女へ向き直る。


「……お話は他でもありませんわ、公女殿下」


 一拍置いてから、メリッサは真剣な面持ちで告げた。


「私たち、ぜひとも公女殿下をお救いしたいと思っておりますの」

「………………はい?」


 あまりにも予想外な言葉に、リュシエリアーナは思わず目を丸くした。


 そんな彼女の困惑など意にも介さず、その言葉を合図にしたかのように令嬢たちが一斉に集まってくる。


「お可哀想に……! あのような方に嫁ぐなど、死ぬよりもお辛いことでしょう……!」

「そうですわ……! 教皇猊下も、何と無慈悲なことを……!」

「この辛さを判って差し上げられるのは、同じ境遇に身を置いたことのある、わたくしたち以外おりませんわ!」


(まてまてまてまて……!)


 思わずそう叫びたくなる衝動を、リュシエリアーナは辛うじて理性で抑え込む。完璧な淑女の微笑みを保ったまま、頬が僅かに引きった。


 皆が皆、自分の思い込みだけで人の心情を決めつけていることにも腹が立つが、何より厄介なのは、彼女たちが心から善意を向けてきていることだろう。


 悪感情を向けられる方が遠慮なく彼女たちを論破できるのに、これでは一層やりにくい。


 リュシエリアーナは、彼女たちに押されるようにわずかに後退しながら、苦笑にも似た笑みを何とか顔に浮かべた。


「ま、まあ……! 心強いお言葉で、とても有り難いとは存じますが、皆さま、どうやら勘違いをなさっておいでのようですわ……!」

「え……?」

「勘違い、ですの……?」

「ええ……! わたくしはこの婚約を、心から歓迎しております。ですから、ご心配には及びませんわ」

「……ですが……」


 戸惑いとざわめきが空気に広がり、令嬢たちは顔を見合わせながら言葉尻を濁す。

 その反応に、リュシエリアーナは訝しげに眉根を寄せた。


 微妙な戸惑いを孕んだ空気が漂う両者の間へ、メリッサがするりと身を滑り込ませる。


「まあ、公女殿下……! ここでは強がる必要などございませんことよ? そのために、ここは他の貴族たちが足を運べないようにしておりますから」

「? それは、どういう──?」


 メリッサの真意が掴めず、リュシエリアーナはなおさら深く眉間にしわを寄せる。


 そんな公女に、メリッサはゆっくりと歩み寄った。

 その顔には、わずかな優越感と、それ以上の愉悦が滲んでいる。


「……お隠しになる必要はございませんわ、公女殿下」


 そう言って勝ち誇るように目を細めると、彼女はそっと耳元へ顔を寄せた。


「公女殿下には、秘密の恋人がいらっしゃるではございませんか。──あの『絶世の美男子』が」

「!」


 リュシエリアーナは思わず目を見開く。

 脳裏をよぎったのは、数日前の貴族新聞の見出し────。


(あれが、ここで出てくるのか!!?)


 内心で叫び声を上げながらも、それが表に出るのを辛うじて押し留める。

 だが、あまりにも予想外の方向から飛んできた話題に平静を保ちきれず、たまらず額へ手を当てた。


(……いや。落ち着け、リュシー。私は何一つ後ろめたいことはしていない)


 ────そう、何もやましいことなどないのだ。

 何せ『絶世の美男子』は、婚約者であるラファシアン本人なのだから。倫理的にも道義的にも、何一つ問題は存在しない。


 問題があるとすれば────。


(『絶世の美男子』がラファ様であると、誰一人理解していないことだろうな……)


 これには嘆息を落とすしかない。

 当のラファシアン本人でさえ、自分を『絶世の美男子』だとは認識していないのだ。どれほど言葉を尽くしたところで、それを周囲に理解させるのは至難の業だろう。


 うんざりとしたようにため息を落とす公女の姿を、令嬢たちは望まぬ婚約に憂いを帯びたため息を落としたと思ったのだろう。

 たちまち、同情に満ちた視線が彼女へと向けられる。


「まあ……! やはり貴族新聞に書かれていたことは真実だったのですね……!」

「教皇猊下といえど、あまりにも無慈悲ですわ……!」

「恋人から無理やり引き離されるなんて、まるで悲恋物語ではありませんか……!」

「ご安心くださいませ! わたくしたちは公女殿下の味方ですわ!」


(……まてまて。話が勝手に大きくなっているぞ)


 彼女たちの中では、いつの間にか恋人同士が教皇によって引き裂かれた悲恋の物語へと変貌しているらしい。いつの時代でも、女の想像力はどこまでもたくましいものだ。


 半ば呆れながら、半ばどう収拾をつけるべきか考えあぐねつつ、リュシエリアーナは彼女たちの話に耳を傾けていた。


 そんな公女の手を、メリッサが唐突に、両手で包み込むように握りしめた。


「ご安心ください、公女殿下。私の父は教皇猊下の腹心。父が進言すれば、きっとあの化け物との婚約を破棄まで持っていけることでしょう」


 その言葉に、リュシエリアーナの眉がぴくりと動く。


「そうですわ! 諦めてはいけません、公女殿下! あのように醜悪な男など、公女殿下に相応しくはございません!」

「『絶世の美女』と『絶世の美男子』──きっと誰もが羨むお似合いの恋人同士になりますわ!」

「ええ……! あのような醜い辺境伯などとは違って……!」


 メリッサの言葉を皮切りに、令嬢たちは次々とラファシアンへの侮蔑を口にし始める。


(なるほど……)


 リュシエリアーナは胸中で静かに得心した。


 彼女たちを誘導しているのは、十中八九メリッサだ。おそらくこの集まり自体も、彼女が言葉巧みに令嬢たちを集めたのだろう。


(『憐れな公女殿下をお救いいたしましょう』──とでも言ったか……)


 同情と憐憫を本気で滲ませている令嬢たちの中で、メリッサだけが明らかに異質だった。

 薄っぺらな笑顔と形ばかりの同情を装いながら、その胸中には憎悪にも似た粘つくような感情が隠しきれずに滲み出ている。


 彼女の目的は、おそらく一つ。


(この婚約を破棄させて、ラファ様に恥をかかせること──)


 だからこそ、情報の真偽も定かではない貴族新聞の記事を利用したのだろう。


 もし記事が真実であれば、公女に駆け落ちの話を持ちかければいい。

 仮に事実でなかったとしても、醜い辺境伯との婚約を心から望む女などいるはずがない──そう考えれば、公女がこの話に乗る可能性は十分にある。


 そして婚約破棄に至った経緯を知らぬ貴族たちは、当然のようにあの新聞記事と結びつけるだろう。


(そうなれば、ラファ様は社交界で笑い者だな)


 彼の名誉を傷つけるには、これ以上ない好機となる。


 もしメリッサの思惑通り、公女が本当にラファシアンとの婚約を嫌悪していたのであれば──。


 彼女たちの言葉をただ黙って聞いている公女の姿を、メリッサは肯定と受け取ったのだろう。同情を装ったその顔に、わずかに勝ち誇ったような、確信に満ちたいびつな笑みが浮かぶ。


「……もしお望みでしたら、その『絶世の美男子』の方との駆け落ちを、我々が援助いたしますわよ?」


 声を潜めて告げたメリッサに続き、令嬢たちもまた瞳を輝かせながら身を乗り出した。


「そうですわ……! わたくしたち、その『絶世の美男子』との恋を応援しておりますもの……!」

「その代わりと申してはなんですが……一度、その『絶世の美男子』という殿方を拝見させていただきたいものです」

「まあ……! わたくしも全く同じ事を思っておりましたの! 人生に二度とない幸運ですもの……! ぜひともお会いしたいわ」


 黙っていると、話が二転三転する彼女たちの会話に心底うんざりしつつ、リュシエリアーナは聖母のような柔らかい笑みを、彼女たちに放った。


「まあ、とても愉快なお話だこと」

「え……?」

「……いいえ、愉快ではなく、憐れと申し上げるべきかしら」


 そう言って、リュシエリアーナは小さく息を吐く。


「まさか、『絶世の美男子』である彼と、すでに出会っているという『幸運』にすら、未だお気づきではないなんて……。お可哀想に」


 ざわり、と空気が揺れた。


 憐憫を向ける側だったはずの令嬢たちへ、公女の方がむしろ憐れむような視線を向けている。

 その意味が理解できず、令嬢たちは戸惑いながら互いの顔を見合わせた。


わたくし、いつか皆さまにお礼を申し上げなくてはと思っておりましたのよ?」

「お……お礼……?」

「皆さまが婚約を破棄してくださったからこそ、わたくしは貴女方の仰る『幸運』にあやかる事ができたのですもの。────ですが、お礼は必要なさそうですわね」

「え……?」


 訝しげに首を傾げる令嬢たちへ一度視線を流し、リュシエリアーナはふわりと微笑む。


「だって、『幸運』を逃したことにすら、お気づきではないのですもの」

「──!」


 その瞬間。

 令嬢たちの胸中を、得体の知れない喪失感が駆け抜けた。


 まるで、決して手放してはならない何かを、自らの手で捨ててしまったかのような感覚。

 説明のつかない後悔と、自分自身への嫌悪。

 胸の奥を掻き毟られるようなその感情に、皆、目を見開いて立ち尽くす。


 そんな彼女たちの姿を一瞥して、リュシエリアーナは静かに踵を返した。


「……お話が以上でしたら、帰らせていただきますわ。大事な婚約者が待っておりますので」

「待って……! 待ちなさい……つ!」


 戸惑いが支配する空気の中、背を向けた公女の腕をただ一人、メリッサだけが慌てて掴む。


「あんな男の何がいいの……!? 醜悪で、面白味もなくて、女性に気を使うことすら出来ない、ただのクズじゃない……!」


 乱暴に腕を掴みながら吐き捨てられた、侮蔑の言葉。

 リュシエリアーナは、視線だけを細めてメリッサを見た。


「……貴女とラファ様の間でどういう会話がなされたのか、わたくしは存じ上げません。────だが」


 瞬間。

 柔らかかった声音が、唐突に硬質を帯びた低音に変わる。


「貴女を見る限り、よほどいい内容ではなかったようだ」

「──っ!」


 先ほどまで穏やかな笑みを浮かべていた公女が、一瞬にして鋭い眼光を向ける。鈍く光る紫電の瞳に射抜かれ、メリッサは息を呑んだ。


 背筋を冷たいものが這い上がる。

 まるで触れてはならない逆鱗に触れてしまったかのような、本能的な恐怖。


 気づけば彼女は、慌ててリュシエリアーナの腕から手を離していた。


 蒼白な顔で立ち尽くすメリッサへ、リュシエリアーナは静かに歩み寄る。そして耳元へ身を寄せ、小さく囁いた。


「……よく覚えておけ、メリッサ嬢。今後、再びラファ様を傷つけるようであれば、たとえ女であろうと容赦はしない」

「……っ!」


 さらなる戦慄に、メリッサの身体が硬直する。


 そんな彼女を尻目に、公女は次の瞬間には、先ほどまでの鋭さが嘘だったかのように優雅で美しい微笑みを浮かべていた。


「とても有意義な時間でしたわ」


 ドレスの裾を軽く摘まみ、公女は優雅に一礼する。


「では、ごきげんよう」


 そうしてロッジアを後にする公女の背を、令嬢たちはただ呆然と見送ることしかできなかった。


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