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公爵令嬢は辺境伯に愛ではなく忠誠を誓う  作者: 枢氷みをか
序章・出会いと婚約

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婚約発表の夜会・二編

 ──大聖堂。


 広大な教会領の中心に建つ、最も古く、最も格式高い、歴史的巨大建造物である。

 壁一面には荘厳な彫刻が刻まれ、天高く()め込まれたステンドグラスには、無数の燭台の炎が揺らめいている。赤や蒼、黄金の光が淡く溶け合い、広大な聖堂の内壁を幻想的に染め上げていた。


 千人規模の人間を収容してなお余裕を持つその大聖堂は、主に神聖国主催の式典や、他国から賓客を迎える際にのみ使用される。一貴族の婚約発表に使われるなど、異例中の異例だった。


 それだけでも、この婚約が教皇にとってどれほど重要であるかが窺えた。


「緊張しているのか? ラファ様」


 すでに大広間へ隣接する控室で待機していたリュシエリアーナは、隣で落ち着きなく身じろぎを繰り返すラファシアンへ、できるだけ穏やかな声を掛けた。


 問い掛けられたラファシアンは、びくりと小さく肩を震わせる。心配そうに眉尻を下げた彼女を見下ろし、慌てたように首を振った。


「あ……いえ、そういう訳では……!」


 答えたラファシアンの顔色は、悪い。

 元々白い肌は血の気を失って青白く、額にはじっとりと脂汗が滲んでいた。


「……やはり気分が優れないのか? どこかで休んだほうが──」

「いえ……! ご心配には及びません……!」

「だが……」

「本当に、大丈夫ですから」


 心配を掛けまいとするように、ラファシアンはどうにか笑みを作る。


 ────体調が悪い、というわけではない。

 緊張している、というわけでもない。


 無論、心が落ち着かないのは事実だ。愛しい相手との婚約発表という高揚感もあれば、『絶世の美女』の隣へ立つ醜い自分へ向けられる侮蔑や嘲笑への恐れもある。


 だが、それ以上に────。

 大広間の向こうから流れ込んでくる悪意が、あまりにも濃すぎたのだ。


(……これは……いつも以上に(すさ)まじいな……)


 黒く淀んだ悪感情の奔流にラファシアンは吐き気を覚え、思わず口元を押さえた。


 ──社交の場というものは、多かれ少なかれ悪意が渦巻いているものだ。


 悪意を孕んだ魔力を感知する能力が、神寵者(しんちょうしゃ)の一族の中でも抜きんでていることが、災いした。


 醜い自分へ向けられる(あざけ)りや嫌悪が、針のように突き刺さる社交界を、彼は昔から苦手としていた。何かと理由をつけて夜会を避け続けてきたのも、そのためだった。


 だが今日の悪意は、比べ物にならない。


 『絶世の美女』の婚約者に収まった醜い自分への嫉妬。

 『絶世の美女』が醜い男へ嫁ぐことを面白がる悪趣味な愉悦。


 そして、この婚約発表そのものを妨げようとする、禍々しい敵意────。

 

 無数の悪感情が、大広間全体から瘴気のように立ち上っていた。感知能力が鋭敏であるが故に、そのすべてを真正面から浴びてしまう。


 眉間へ深く皺を寄せ、苦しげに俯くラファシアンを心配そうに見つめて、リュシエリアーナは大広間へ繋がる扉を一瞥した。


 扉一枚隔てた向こうからは、華やかな喧騒が響いている。そのざわめきへ紛れるように、微かな嘲笑と言葉の刃が耳へ届いた。


「……醜い者が、己の立場を──」

「───あの化け物の生贄に……」

「公女殿下も憐れな──」


 あまりに身勝手で無責任な言葉の数々に、リュシエリアーナは顔を(しか)めた。


(……皆、勝手な事ばかり)


 ラファシアンの様子がおかしいのも、この心無い悪意の所為だろうか。


「……ラファ様」

「!」

「貴方は胸を張って堂々としていろ。聞きたくないものを聞く必要はない。耳を(ふさ)いでしまえ」

「…………え?」


 呆然と振り返った彼の手を、リュシエリアーナはそっと取った。


「私が、ラファ様の隣にいる。私の声だけを聞いて、私だけを見ていればいい」

「────……!」


 真っ直ぐに自分を見つめ返す、彼女の紫電の瞳に、ラファシアンは目を見開いた。


 彼女の柔らかな手の温もりと、揺るぎなく向けられる強い眼差し──たったそれだけのことで、先ほどまで胸中を覆っていた重苦しい嫌悪感が、嘘のように薄れていく。


(……不思議だ。あれほど苦しかったはずなのに……)


 ラファシアンは戸惑うように、自らの胸へ手を当てた。

 悪意を感知する能力は相変わらず鋭敏なのに、それに対する苦痛はもはやない。


 右手を握り締め、自分を安心させようとしてくれるリュシエリアーナを、ラファシアンは改めて見つめた。


 その、あまりに美しく着飾った彼女の姿に、思わず顔が熱を帯びる。


「………………この姿を、他の男たちにも見せることになるのか」

「? 何と言った? すまぬ、聞き取れなかった」

「いえ、独り言です」


 彼女の魅力を最大限に引き出すこのドレスの意匠を考えたのは他ならぬ自分だが、その姿を大勢の男へ晒す事になるのは大きな誤算だろう。


 どこか不機嫌そうに視線を逸らしたラファシアンへ、リュシエリアーナは不思議そうに首を傾げる。それでも、先ほどより顔色が戻っていることに気づき、彼女は小さく安堵の息を吐いた。


「……まあ、それほど案ずる必要はない。私とラファ様ならば、上手く立ち回れる」


 その言葉が何を指しているのか察したのか、ラファシアンはおもむろに胸元から猊下の認証印を取り出した。


「……やはり、これは貴女が持っていてください」

「またその話か。これはラファ様が持つことで決着がついたはずだろう」

「ですが──」

「それに、もうすでに結界の内側だ。魔法が使えない私が今さら認証印を持ったところで、何の意味もない」

「それは……そう、ですが」


 不承不承(ふしょうぶしょう)と同意を示す彼に、リュシエリアーナは明朗な声を返す。


「案ずるな、ラファ様。私にはこれがある」


 そう言って、右足を軽く持ち上げた。

 はらはらとレースが滑り落ち、その隙間から白く艶やかな太腿が露わになる。


「──っ!?」


 ラファシアンは咄嗟に耳朶まで真っ赤に染め、慌てて視線を逸らした。そのまま肩から外したペリースを彼女の足へ掛け、隠すように覆う。


「い、いけません……! 男の前で、そのように足を晒すなど……!」

「? 問題ない、タイツを履いているだろう?」

「そういう問題ではありません!」

「それに、今は私とラファ様だけではないか。何か不都合があるのか?」


 きょとんとした様子で返された言葉に、ラファシアンは呆然と目を瞬かせた。


(………………ま、まさか……私は、男として見られていない……?)


 だとすれば、これは由々しき問題ではないだろうか。


 見る間に消沈し、青()めていく彼の様子を怪訝に思いながらも、リュシエリアーナは構わず続ける。


「──ほら。ここに、ラファ様が作ってくれた立派な武器がある」


 露わになった太腿──そこへ巻かれたガーターリングのホルダーから、リュシエリアーナは『それ』を抜き取った。

 輪になった柄へ中指を引っ掛け、滑らせるように抜き放つ。


 少し前までは空だったはずのホルダーに収まっていたのは、短い柄を持つ三角形の両刃の小刀だった。


 (てのひら)へ収まるほど小さく、見慣れない形状の武器に、ラファシアンは頬へ赤みを残したまま首を傾げる。


「……貴女のご要望通りに作りましたが、初めて見る武器ですね」

「────『苦無(くない)』という」

「クナイ……ですか?」

投擲(とうてき)武器の一種だな。本来はもう少し大型のものが主流だが、これは懐に忍ばせる用に小さくした小苦無(こくない)というものだ」


(……まあ、実際には武器というより、穴掘りや壁を登る際の足掛かりとして使われる事が多いが)


 そんなことを内心で思いながら、リュシエリアーナは改めて、その武器を視界へ映した。


 小苦無を握る手から、じわじわと熱が奪われていく。

 指先が冷気に晒され、かじかむように赤く染まった。


 ──そう。

 これは鋼で作られた武器ではない。


 光を受けるたび、金剛石のような煌めきを放つそれは、紛れもなく『氷塊』から削り出された刃だった。


「それにしても、ラファ様の魔法は何度見ても見事だな。こうして手にしていても、一向に溶けぬ氷とは」


 本当に氷で出来ているのか疑いたくなるほど、その刃は微塵も形を損なわない。まるで硝子細工のように透き通り、光の角度によっては向こう側が綺麗に透けて見えた。手にしているはずなのに、まるで何も持っていないかのようですらある。


 隠し持つには、これ以上ない代物だろう。


 感嘆を滲ませる彼女へ、ラファシアンもまた小さく息を吐いた。


「……それはこちらの台詞です。よくこのようなことを思いつきますね」


 その声音には純粋な敬服の中に、ひっそりと紛れ込んだ若干の呆れが混じっている。


「まさか、猊下の絶対結界の中で武器を作ろうなどとは────」


 その言葉に、リュシエリアーナは悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべた。


「絶対結界の特性を聞いた時、少し引っ掛かりを覚えてな。『結界が張られた瞬間、元から存在していた武器はどうなるのだろう?』──とな」


 この大聖堂にも、武器は存在している。


 名刀と謳われた剣や、歴史的価値を持つ魔杖などが、賓客をもてなす装飾として至る所へ飾られていた。今では儀礼的な意味合いが強いとはいえ、それらがかつて『武器』であった事実に変わりはない。


 では、絶対結界が展開された瞬間、それらは結界の外へ弾き出されるのだろうか──?


「まあ、その可能性は低いだろう。それでは絶対結界を張るたびに、武器の移動を余儀なくされる。それではあまりに非効率的だ。……かと言って、任意の武器だけ持ち込みを許可できるのであれば、そもそも猊下の認証印など必要ない。──そうなると、答えは一つだ」

「絶対結界はあくまで、外から内へ武器を持ち込む事を禁じたもの──という事ですね」

「その通り」


 感心したように頷くラファシアンへ、リュシエリアーナもまた満足げに頷き返す。


「だから、その認証印はラファ様が持っている方が有用なのだ」


 結界の内側であれば、ラファシアンはいくらでも氷の苦無を生成できる。


 敵が何人潜んでいるかも判らない以上、数に限りのある実物の武器よりも、必要に応じて即座に武器を生み出せる彼が認証印を持つ方が、遥かに理に適っていた。


(……理屈は判る。だが)


 ラファシアンは小さく息を吐き、掌の中にある認証印へ視線を落とした。


 彼女の言葉は、概ね正しい。もちろんラファシアン自身も納得していた。


 だが、彼女の知らない事実が、一つだけある。


(──そもそも私には、猊下の認証印は必要ない)


 それは自分が、神寵者の一族だからだ。


 絶対結界の中で自由に魔法を行使できるのは、認証印保持者を除けば教皇ただ一人──とされているが、実際はそうではない。


 絶対結界は、『教皇の魔力のみ』を除外するよう構築されている。


 そして魔力の質とは、一人一人が完全に異なるものではない。血筋によって、その根源的な性質は受け継がれる。多少の差異こそあれど、同じ血統に連なる者の魔力は、本質的には酷似していた。

 

 ──つまり。

 神寵者の一族には教皇の絶対結界が効かない──ということ。


 だからこそ、唯一手元にあったこの認証印は、彼女に持たせたかったのだ。


(……とはいえ、私が神寵者の一族であると伝えることはできない)


 もし彼女が、本当の意味でフォルスタート家へ嫁いでくれるのなら、いずれ打ち明ける日も来るだろう。

 だが、それは今ではない。


 その事実を隠したまま、認証印を彼女に持たせるべき理由が見出せなかったのだ。


(……彼女が言う通り、今さらこれを彼女に渡したところで、もう遅い)


 もっと早くに真実を明かしていれば、きっと彼女は納得して、この認証印を受け取っていただろう。そうしていれば、たとえ不測の事態に陥り、氷の武器を失ったとしても、密かに持ち込んだ武器が、彼女の命綱になったはずだ。


 ──その命綱が、今の彼女にはない。


 危機に瀕した時、彼女は本当の意味で丸腰になる。


(もし、そのような事になれば──)


 きっと、自分は自分を許せない。


 無意識に、認証印を握る手へ力が籠もった────その時。


「公女殿下、フォルスタート辺境伯、お時間でございます」


 静かに戸を叩く音と共に、開始を告げる声が響く。二人は顔を見合わせ、どちらからともなく小さく頷き合った。


「──では、フォルスタート辺境伯さま。エスコートを、お願いできますか?」


 すっと手を差し出し、途端に令嬢の顔になる彼女に、ラファシアンは軽く目を見開く。

 その変化があまりに鮮やかで、思わず喉の奥で小さく笑みが零れた。


 彼は(うやうや)しくその手を取り、端正な所作で深く腰を折る。

 そして白く細い指先へ、触れるか触れないかほど儚い口づけを落とした。


「光栄に存じます、公女殿下」


**


 厳かなファンファーレが、大広間へ高らかに響き渡る。

 華やかな演奏に、人々は歓談の手を止め、これから現れる主役の二人を迎えようと、一斉に視線を扉へ向けた。


 女たちは扇で口元を隠し、男たちはワイングラスを片手に笑みを浮かべている。

 その扇の奥に隠されているのは、醜く歪む唇か。

 あるいは、その笑みへ滲むのは祝福ではなく、嘲笑か──。


 祝賀を装った空気の中、大広間には確かに、(あざけ)りと嫉妬、そして悪意が渦巻いていた。


 そんな中。

 ゆっくりと開かれた扉の向こうから、主役の二人が姿を現す。その光景に、皆が息を呑んだ。


 ───醜い辺境伯の隣に立っていたのは、威風堂々と咲き誇る、一輪のリンドウのような『絶世の美女』だった。


 『漆黒の至宝』──リュシエリアーナ=マレグレン公爵令嬢。

 滅多に社交界へ姿を現さない彼女の登場に、大広間の空気が揺れる。


 濃紺のドレスに包まれたその姿。

 歩みに合わせて艶やかに揺れる漆黒の髪。

 夜空を思わせる装いの中で際立つ、白磁の肌。


 あまりの美しさに、あちこちから感嘆の吐息が漏れた。


 ──だが、それ以上に人々を驚愕させたのは、その『絶世の美女』が、嫌悪一つ見せることなく、親愛の情を滲ませながら、辺境伯の腕へそっと手を添えている事実だった。


 感嘆の声に紛れて、静かな喧騒が起こる。


「──よくもまあ……あの醜い化け物に触れることができるものだ」

(わたくし)なら耐えられませんわ……さすがは公女殿下」

「視界に映るだけでも不快だからな」

「無理をなさっているのでしょう……お可哀想に」

「それに、ご覧になって? 醜い上に、あの険しい顔──」


 囁き交わされる悪意が、一斉に辺境伯へ向けられる。


 『決して笑うことのない、冷酷無比な氷の辺境伯』──その二つ名を象徴するように、ラファシアンは眉間へ皺を寄せ、祝いの場だというのに微笑さえ浮かべない。


(……笑えるわけが、なかろう)


 リュシエリアーナは優雅な微笑みを崩さぬまま、胸中で吐き捨てる。


 彼は、笑わないのではない。

 ──笑えないのだ。


(これほどの嫌悪と侮蔑を向けられて、一体、誰が笑えると思う)


 まして、ラファシアンは己よりも他者を優先する、あまりにも優しい男だ。向けられる悪意を受け流せるほど、器用な性質(たち)ではない。


(……道理で、ラファ様に似つかわしくない二つ名なわけだ)


 彼と言葉を交わせば、その穏やかさも誠実さも、すぐに判る。


 なのに彼らは、その本質を知ろうともしない。ただ髪色だけで人を値踏みし、勝手に人格を決めつけ、侮蔑する。

 その浅ましさが、たまらなく鼻についた。


 リュシエリアーナは、呆れをわずかに、そしてそれ以上の憤りを含んだ吐息をひとつ零し、隣で感情を押し殺したまま静かに歩調を合わせるラファシアンを見上げる。


 その横顔は、あまりにも痛々しいほどに張り詰めていて──苦渋を滲ませながらも、息を呑むほど美しい。


「──あれは『南瓜(かぼちゃ)』だ、ラファ様」

「! え……! か、かぼ……?」


 唐突に飛び出した単語に、ラファシアンは意味を理解できず、呆気に取られたように目を丸くする。


「顔の細長い紳士は『人参』だろうか。隣の丸いご婦人は、よく熟れた『トマト』だな」

「あ……あの……?」

「畑の野菜たちは、水を吸い上げることで、よく育つ。言葉を発せば、振動で空気が震えるだろう? ああして喋ることで振動を起こし、より水分を吸って育つのだ。──そう思って眺めてみれば、少しはこの戯言も、愛着が湧くのではないか?」

「────……!」


 思いも寄らぬ言葉に、ラファシアンは大きく目を見開いた。


 そんな発想をしたことなど、一度もない。

 向けられる嫌悪や侮蔑に対して、『愛着が湧く』などと考えること自体、彼の中には存在しない概念だった。


 呆然としたまま、ラファシアンは視線を周囲の貴族たちへ向ける。先ほどまで胸を刺していた嘲笑が、今はなぜか野菜の群れにしか見えない。


「…………よく、育ってくれるでしょうか?」

「育つだろう、あれだけ喋れば。むしろ育ちすぎて、最後は、はち切れるだろうな」


 真顔で返された言葉に、ラファシアンはとうとう堪え切れず、噴き出すように笑い声を漏らした。厳粛な空気に満ちた大広間だというのに、腹の底から笑いが込み上げてきて止められない。


「──本当に……! 貴女には敵わない……!」


 肩を震わせながら笑うラファシアンに、リュシエリアーナもまた、つられるように破顔する。


 華やかな楽団の音色の合間を縫うように響いた辺境伯の笑い声に、大広間中の空気がざわりと揺れた。


「お、おい……今の……!」

「あの辺境伯が────笑った……!?」


 驚愕を隠せない男たちとは対照的に、女たちの間には、言葉にし難い妙な熱が走っていた。


「あ、あら……? 笑うと、少し……」

「ね、ねえ……? 意外と……その……」


 頬をわずかに染め、取り繕うように扇で口元を隠しながら、彼女たちは落ち着きなく視線を泳がせる。


 白銀の髪を揺らしながら笑う辺境伯は、冷酷無比と恐れられる『氷の辺境伯』の面影とはあまりにも違っていた。誰も見たことのない稀有な光景だからこそ、余計に人の目を奪う。


 そして何より、その彼に笑顔を与えたのが、隣で楽しげに微笑むリュシエリアーナただ一人であるという事実が、否応なく周囲へ突きつけられていた。


 衆人環視の只中だというのに、二人だけが別世界にいるかのように自然に笑い合う。


 その光景に────。

 二人の男女は、静かに嫉妬と怨恨を募らせていた。

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