第82話 信頼
事件で落ちた華月会の評判を上げるためには、文化芸術大会で『講堂』での大規模な催し物をする必要がある。
湖白会もそれを狙っており、彼女たちは風紀会に協力を申し入れた。
そんな湖白会を出し抜くため、クロエ達風紀会と再び組むことが最善であるという結論にエリーヌは達したのだった。
しかし風紀会は、貴族派閥であるエリーヌに相対する平民派閥の筆頭。
彼女たちと争うことは前提であり、華月会の中で反対意見が出るのは間違いない。
意見の擦り合わせ。そうして、華月会の者たち皆を納得させなければならない。
前回の事件。脅されたとはいえ、オリオール姉妹はエリーヌを頼る前に事件を発生させてしまった。
これに関しては、周囲の信頼を掴み切れていなかったエリーヌの責任でもある。
そんなことを二度も起こさないためには、明確な論理でもって、周囲の信頼をより強固なものにしなければならない。
寧ろ、間違えれば周囲の信頼すら失いかねない。
こういう時真っ先に相談すべきは、エリーヌの事をよく知り、物事の決定についてエリーヌに一任しつつも、俯瞰的な意見をくれるベネディクトである。
「おはようございます、エリーヌ様」
「おはよう、ベネディクト」
いつものように挨拶を交わし、一限目の授業の準備をしつつ、エリーヌはベネディクトの様子を窺った。
あの一件以降、彼女は常にエリーヌ以外の人間に目を光らせている。エリーヌに心酔しているアンリエットやマリアンヌにもだ。
もう二度とあんなことは起こすまいと思っているのだろう。
そんな彼女に再び心労を負わせるような提案をしようとしていることに、若干の罪悪感が募る。
思えばベネディクトはずっとエリーヌの事を信頼し、この学校で誰よりも長く側に居る。
彼女とは、このリリウムに入る前からの付き合いだ。彼女は、エリーヌの家柄や地位などではなく、エリーヌの実力という点で敬ってくれている。
そんな彼女にエリーヌは、隠し事をしている。
こんなにも真剣に己の事を考えてくれている彼女に対し、あまりに不誠実だ。
いっそ彼女には、全てを明かしてもいいのかもしれない。
そんな気持ちが、最近になって胸の中で顔をもたげるようになった。
(……いいや)
そこまで考えたところで、エリーヌは心の中で首を振った。
ベネディクトにも、クロエとの秘密は明かさない。
勝利の為なら手段を択ばない。つい最近宣言したばかりだ。
勝負をするなら、クロエとが良い。そうして行われている水面下の協力は、半ばエリーヌの我欲によるものだ。
明かせば心は楽になるだろう。だが、その罪悪感の為に必要な努力を削るべきではない。たとえ批判されたとしても、己が始めてしまったことは最後まで真っ直ぐ突き通すのが、エリーヌの思う正義である。
エリーヌは意を決して、口を開く。
「ねえ、ベネディクト。相談があるのだけれど」
「なんでしょうか、エリーヌ様」
真剣さを帯びたエリーヌの言葉に、ベネディクトは真面目くさった表情をして聞く。
エリーヌは口元に人差し指を立て、彼女を誰も居ない図書館へと誘った。授業まで、もう少し時間がある。
「風の噂で聞いたことなのだけれどね。どうも今回のサロン交流会で、湖白会が風紀会と組みたがっているらしいの」
「なっ……」
深刻そうな面持ちでそう言ったエリーヌの言葉に、ベネディクトは小さく声を上げる。
そうして、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……華月会への批判が目立つ中で、差し置いて思想の近い風紀会と組み、講堂の使用権を得ようというわけですか」
「それしか考えられないわね。あくまで噂だけれど」
「ですがそれならば、今に至るまで湖白会から交流申請の返事がないのにも合点が行きます。湖白会なら、取りかねない策です」
エリーヌの出処の曖昧な言葉を、やはり彼女は信じてくれるようだ。
「講堂であの二つのサロンが大々的に催し物をすれば、一気に注目が集まるでしょう」
「ええ。彼女たちの狙いは鳥蝶会と同じ、貴族派閥の首のすげ替え。対処する必要があるわ」
その言葉に、ベネディクトは歯噛みする。
対処となると、妙案は思い浮かばないだろう。
エリーヌも思い浮かばなかった。
「それでね、ベネディクト。わたくしは、彼女たちを出し抜く方法は、もう一つしか残されていないと思うの」
「出し抜く方法、ですか?」
ベネディクトの目をしっかりと見据え、エリーヌは宣う。
「……わたくし達が、風紀会と組むの」
至極真面目な表情でそう宣ったエリーヌの言葉に、ベネディクトは息を飲んだ。
エリーヌも、彼女の反応に内心息を飲む。
彼女は暫し顎に手を当て何かを考えていたが、次第にふるふると首を振った。
「おっしゃることは解ります。それが最も効果的……ですが、風紀会です。対抗すべき相手です」
聡い彼女は、ただエリーヌの言葉を肯定はせず、懸念点を上げてきた。
「以前の件もあります。イヴェット様の御指摘について、わたくしも賛同する部分があるのです」
「ええ、そうね。でもわたくしは言ったはずよ。手段を択ばない、と」
「組むための大義名分を、我々は持ち合わせておりません。我欲の為の提案に、彼女たちが乗るとも思えません」
「未だわたくし達には、例の事件への批判があるわ。それも含めて、『借りを返す』という名目はどうかしら」
「あまり下手に出ては……それに、周囲の者達への説得が必要になります」
「わたくしが、わたくしの言葉で説明するわ。その文言もすでに用意しているの」
ベネディクトの指摘に、エリーヌが答える。
譲らない様子のエリーヌに、彼女は少し悔しそうに唇を噛んだ。
そんなベネディクトに対し、エリーヌは思わず申し訳なくなり、眉根を下げる。
「ごめんなさい。貴女の言うことはもっともよ。わたくしも理解しているわ」
そう言ってエリーヌは、彼女の手を握った。
そんなエリーヌの行動に、ベネディクトは安心したような、困ったような笑みを浮かべた。
否定や拒絶が二人の間にあるわけではない。そう分からせるためのエリーヌの行動に、戸惑った表情だ。
「貴女の意見を蔑ろにするつもりはないの。でも、今のわたくしには、これ以上の策が思い浮かばなかったから」
エリーヌもまた、悔しそうにそういった。
まるで媚びているようだ、と自分でも思いつつ、口では事実を吐こうと言葉を選ぶ。
「たとえ風紀会が湖白会と組まなかったとしても、わたくし達が講堂を取れるかは怪しい……でもそれは、風紀会も同じく思っているはず」
ベネディクトの手を離し、エリーヌは肘を抱えながらそう語る。
「だからこそ、湖白会の狙いは何が何でも止める必要があるわ。文化芸術大会は派閥争いに大きな影響はないとはいえ、今のわたくし達には必要ですから」
「……おっしゃる通りでございます」
エリーヌの論理的な言葉に、ベネディクトは首肯する。
だが、彼女はまだどこか小骨が引っ掛かっているような、すっきりとしない表情をしている。
「……」
きっと彼女が疑問に思っているのは、エリーヌが風紀会にこだわる理由。
クロエとの関係、そのすべてを話すことはできない。
だが、意志は話すべきだ。
「ベネディクト」
エリーヌは口を開く。
「わたくし達の相手は、風紀会よ。そして、わたくしの相手は――」
「リリウムの狼、クロエ」
言うまでもなく言葉を続けられ、エリーヌは目を見開く。
「分かっております。エリーヌ様は、彼女と戦いたいのですよね」
「ベネディクト……」
また、困ったような笑顔を浮かべるベネディクトに、エリーヌも一瞬同じような表情を浮かべる。
しかしすぐに直って、真剣な眼差しでベネディクトを見た。
「……ええ、そうよ。わたくしは彼女と真っ向勝負をしたい。彼女こそが、わたくしの好敵手。その勝負に必要のない障害は、全て薙ぎ払う覚悟なの」
「だからこそ、今回の文化芸術大会では、風紀会と組みたい。湖白会に、その座を奪われないために」
「その通りよ、ベネディクト」
エリーヌの言葉に、ベネディクトは意を決したように頷いた。
「……分かりました。それがエリーヌ様の望みであるのなら、わたくしは従います」
きっとそう返してくれるだろうと思っていた言葉が彼女の口から発せられ、エリーヌははにかんだ。
ベネディクトはいつだって、エリーヌの味方だ。
これだけは、たとえクロエがどれだけ介入しようとも覆せない事実である。
そこに妄信のようなものが無いかと言われれば、否定はできない。
出会って仲良くなってから、彼女はずっとエリーヌを慕ってくれている。
だが彼女は、たとえエリーヌが欠けようとも、真っ直ぐ一人で歩いて行けるだけの強さを持ち合わせている。長らく共に歩いてきたエリーヌには分かる。
だからこそ、エリーヌはその信頼を信頼している。
「ですが、エリーヌ様。相手は"狼"でございます。努々、食われてしまわれぬよう。背後は、わたくしにお任せください」
茶目っ気を帯びたベネディクトの言葉に、エリーヌはクスリと笑う。
「あらあら、ベネディクト。彼女が狼なら、わたくしは"魔女"よ」
魔女と狼。
恐ろしいものに例えられた彼女たちは、水面下で協力している。
だが皆の前では、魔女と狼でなくてはならない。
その努力を惜しまない。
「魔女ならば、契約して、取引をして、相手を謀らなくてはね」
「その意気でございます、エリーヌ様」
ベネディクトの承諾は得られた。




