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追放された魔獣調教師、最強美少女魔獣を限界突破させてレースで無双する  作者: 綾瀬 灯


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第17話「試練の鏡と過去を燃やす炎」

天空の滝を登り切り、エルフの森のさらなる深部──第二ステージへと足を踏み入れたノアたちを待っていたのは、鬱蒼《うっそう》とした大自然ではなく、静寂に包まれた巨大な石造りの古代遺跡だった。


苔むした巨大な石柱が立ち並び、天井からは淡く発光する魔力結晶がシャンデリアのようにぶら下がっている。滝の轟音も、森のざわめきも、鳥のさえずりすらもここには届かない。まるで世界から切り離されたかのような、鼓膜が痛くなるほどの無音が空間を支配していた。


「……なんだか薄気味悪いところだな。さっきまでの森とは空気が全然違う」


イグニスが身を震わせながら、警戒するように周囲を見回す。彼女の背中の黒焔の翼はすでに収められており、代わりに小さな火球を手のひらに浮かべて暗い通路を照らしていた。


「気をつけて進もう。特使のアルベルトは、この先には物理的な障害じゃない『何か』があると言っていた。シロ、ルン、足元に気をつけてくれ」


ノアの声にシロが小さく鼻を鳴らし、ルンがピンと耳を立てて頷く。


第一ステージの過酷なサバイバルレースを勝ち抜いた彼らの絆は、天空の滝を越えたことでさらに強固なものになっていた。だがこの遺跡に足を踏み入れた瞬間から、ノアの胸の奥で得体の知れないざわつきが止まらなかった。


長い回廊を抜けると、不意に視界が開けた。そこはドーム状に作られた巨大な広間だった。だがただの広間ではない。壁、床、天井、その全方位が、滑らかに磨き上げられた『水晶の鏡』で覆い尽くされていたのだ。


「うわっ……! なんだこれ、見渡す限り鏡だらけだぞ」


イグニスが驚きの声を上げ、水晶の床に映る自分の姿を不思議そうに覗き込む。ノアもまた周囲を見渡した。無数に存在する鏡には、ノア、イグニス、シロ、ルンの姿が幾重にも反射し、無限に続いているかのような錯覚を覚えさせる。


その時だった。


「心に淀みある者よ。己の過去と向き合い、魂の真贋を証明せよ」


どこからともなく、性別も年齢もわからない無機質な声が広間に響き渡った。同時に、ノアたちの退路であった入り口の巨大な石の扉が、地響きを立てて完全に閉ざされてしまう。


「閉じ込められた……!? おい、鏡の様子がおかしいぞ!」


イグニスが叫ぶ。


全方位を覆っていた水晶の鏡が、突如としてどす黒い紫色の光を放ち始めたのだ。鏡に映っていたノアたちの姿が歪み、波打ち、やがて全く別の景色へと変貌していく。


それは、鏡の前に立つ者の心の奥底にある、決して他人に触れられたくないトラウマを暴き出し、幻影として現実に投影する古代エルフの精神魔法『試練の鏡』だった。


ノアの目の前の鏡にも、かつてブラックギルドで無能と蔑《さげす》まれ、使い潰されていった魔獣たちの悲惨な光景が映し出された。胸が締め付けられるような罪悪感がフラッシュバックする。


だがノアは、すぐさま首を振ってその幻影を振り払った。


「くっ……精神干渉の魔法か! 過去の嫌な記憶を見せているだけだ、惑わされるな! イグニス、シロ、ルン!」


シロとルンは戸惑いながらも、ノアの力強い声にハッとして意識を保っていた。


しかしただ一人……イグニスの様子だけが決定的に異なっていた。


「……あ……、ああ……っ」


イグニスは、自分の正面にある巨大な鏡を前にして、両手で頭を抱えながらガタガタと激しく震えていた。その瞳孔は極限まで見開き、呼吸は浅く乱れ、口からは掠《かす》れた悲鳴のような音が漏れている。


「イグニス!? どうした、何が見えるんだ!?」


ノアが駆け寄ろうとした瞬間、イグニスの鏡からドロリとした黒い影が這い出してきた。それは、白衣を着た人間たちの幻影だった。彼らの顔はのっぺらぼうのようにぼやけているが、その手には冷たい輝きを放つ拘束具や、魔力を強制的に抽出するための禍々しい注射器が握られていた。


「欠陥品め。竜の真核を移植したというのに、この程度の出力しか出せないのか」


「所詮はまがい物の人外。痛みを与えなければ炎も吐けないのか」


「お前はただの兵器だ。心など必要ない。ただ燃えればいい」


無機質で冷酷な声が、鏡の幻影からイグニスへと浴びせられる。それは、イグニスがノアに出会う前──地下の実験施設で『兵器』として生み出され、非道な実験を繰り返されていた忌まわしい日々の記憶だった。


「やめろ……こっちに来るな……! わたしは、わたしはもう……!」


イグニスが後ずさるが、背後の鏡からも同じように白衣の幻影たちが這い出し、彼女を取り囲んでいく。幻影たちはイグニスの四肢を掴み、見えない鎖で彼女を縛り付けようとする。


物理的な攻撃ではない。だが、精神に直接刻み込まれた『恐怖』という名の鎖が、イグニスの心を完全に支配しつつあった。


「来るなァァァァッ!!」


イグニスの絶叫と共に、彼女の全身から黒い炎が爆発的に噴き出した。しかし、それはいつもの温かく力強い炎ではなかった。制御を失い、恐怖と混乱に染まった呪いのような冷たい炎。黒焔は主の意思を無視して暴走し、周囲の鏡を、石柱を、そしてイグニス自身をも焼き尽くそうと荒れ狂う。


「イグニス!! 正気に戻れ、それはただの幻だ!!」


「ノ、ア……? 違う、来ないで! わたしに近づくな!!」


イグニスは両手から無差別に黒焔を放ち始めた。その一撃がシロの足元を掠め、ルンが悲鳴を上げて風の障壁を展開する。暴走したイグニスの魔力は、味方であるはずのノアたちすらも敵として認識し始めていた。


「見ろ、欠陥品よ。お前のその炎は誰も守れない。すべてを傷つけ、破壊するだけの呪いだ」


幻影の冷ややかな嘲笑が響く。


イグニスの目からポロポロと涙がこぼれ落ち、その涙すらも黒い炎となって蒸発していく。彼女の心は完全に過去の檻に閉じ込められ、このままでは強大すぎる自身の魔力に耐えきれず、自壊してしまうのは明白だった。


「キュイィィッ!」


ルンが風で炎を逸らそうとするが、暴走した黒焔は風の魔力すらも喰らい尽くし、勢いを増していく。


「……ダメだ。言葉じゃ届かない」


ノアは歯を食いしばり、一切の躊躇なく、荒れ狂う黒焔の渦へと歩みを進めた。


「ノア!? ダメだ、来るな! 近づいたら焼かれちまうぞ!!」


イグニスが叫び、シロが嘶《いなな》いて、ノアの服の裾を咥えて止めようとする。だがノアは、優しくシロの鼻先を撫でて微笑んだ。


「大丈夫、あいつは俺のパートナーだ。俺が迎えに行かなくちゃならないんだよ」


ノアはシロをその場に残し、イグニスを取り巻く黒炎の結界へと足を踏み入れた。


「ガハッ……!!」


一歩踏み出した瞬間、強烈な熱と痛みがノアの全身を襲った。服が焦げ、肌が焼け爛《ただ》れる。暴走したイグニスの炎は、容赦なくノアの肉体を削り取っていく。息を吸い込むだけで肺が焼け焦げそうになるほどの極限の空間。


だが、ノアの歩みは決して止まらなかった。


「イグニス……!」


彼が見据えているのは、炎の中心で膝を抱え、まるで小さな子どものように震えて泣いている一人の少女の姿だけだった。どれほどの力を持っていようと、どれほど気丈に振る舞っていようと、彼女の心にはずっと深い傷が残っていたのだ。それに気づいてやれなかった自分自身への怒りが、ノアを前に進ませた。


「来るな! わたしはバケモノだ……! わたしに触れたら、ノアまでブッ壊れちまう……!!」


炎の奥で、イグニスが血を吐くような声で叫ぶ。幻影たちがノアの行く手を阻むように立ち塞がり、「無駄だ」「所詮は道具だ」と耳元で囁く。


「うるさい!!」


ノアは幻影の顔面を躊躇なく殴り飛ばした。物理的な手応えはなかったが、ノアの真っ直ぐな意志が、精神の魔法で作られた幻影を一時的に霧散させた。


「俺は、お前たちみたいに魔獣を道具だなんて思っていない。あいつは兵器じゃない……。俺の大切な家族だ!!」


ノアは最後の力を振り絞り、最も炎の勢いが激しい中心点へと飛び込んだ。


「イグニスッ!!」


「ノア……っ!?」


ノアは熱も痛みも厭わず、膝を抱えるイグニスの身体を力強く抱きしめた。


「あ……、ああ……っ! ダメだ、離れろノア! わたしの炎が、ノアを……」


「熱くないさ……。こんなもん、お前が抱えてきた痛みに比べたら何ともない」


ノアの腕の中で、イグニスが信じられないというように目を見開く。


ノアの身体は黒焔に焼かれ、あちこちに火傷を負っていた。だが、イグニスを抱きしめる腕の力は微塵も揺るがず、その瞳はどこまでも優しく、彼女だけを真っ直ぐに見つめていた。


「お前は兵器じゃない。欠陥品でもない。お前は誰よりも温かい炎を持っている。仲間を守り、空を飛ぶことだってできる、俺の最高のパートナーだ」


「ノ、ア……」


「過去がなんだ。誰が何と言おうと、お前の今は俺が保証する。お前の居場所はここにあるんだ」


ノアの静かで力強い声が、イグニスの心の奥底にこびりついていた冷たい氷を溶かしていく。抱きしめられた身体から伝わってくるノアの体温と、嘘偽りのない鼓動。それは、どんな恐ろしい幻影よりも確かな現実だった。


「……わたし、は……」


イグニスの中から恐怖が消えていく。同時に、ノアを焼き焦がしていた暴走状態の黒焔がフッと勢いを弱め、優しく温かい本来の炎へと形を変えていった。


「ごめん、なさい……。わたし、またノアを傷つけた……」


「気にするな。これくらい、かすり傷だ」


ノアが優しくイグニスの頭を撫でると、彼女は堪えきれなくなったようにノアの胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。


その涙はもう、炎となって蒸発することはなかった。イグニスがノアの温もりの中で過去の呪縛から解き放たれたその瞬間、広間を包んでいた紫色の淀んだ魔力が、ガラスが割れるようにピキピキと音を立てて崩壊し始めた。


「己の過去と向き合い、魂の真贋を証明せよ」


再び無機質な声が響く。だが今度は、どこか穏やかな響きを帯びていた。イグニスを取り囲んでいた白衣の幻影たちは、彼女の温かい黒焔に包まれ、静かに灰となって消えていく。


「……もう怖くない。わたしにはノアがいる。シロも、ルンもいるんだ」


イグニスは涙を拭い、しっかりと両足で立ち上がった。彼女の背中から、先ほどまでの暴走とは全く違う、美しく力強い黒焔の翼が顕現する。


「わたしは兵器じゃない。竜の真核を持つノアのパートナー、イグニスだッ!!」


イグニスが両手を大きく広げると、極大の黒焔が広間全体へと放たれた。それは破壊の炎ではなく、浄化の炎。試練の鏡となっていた壁、床、天井の水晶が、イグニスの熱と意志の力に耐えきれず、次々と甲高い音を立てて砕け散っていく。


パキィィィィンッ……!


無数の鏡の破片が星屑のように降り注ぐ中、閉ざされていた前方の巨大な石の扉が、ゆっくりと重い音を立てて開き始めた。試練を乗り越え、魂の証明を果たした者だけが通ることを許される、第三ステージへの道だ。


「やったな、イグニス」


「……うん。ありがとう、ノア。わたし、もう絶対に迷わない!」


イグニスは照れくさそうに笑い、背中の翼を揺らした。シロとルンも駆け寄り、ノアの無事を確認して安堵の声を上げる。火傷を負ったノアの身体に、ルンが治癒の微風を送り込み、痛みを和らげてくれた。


「すごい試練だったな。だがこれでまた一つ、俺たちは強くなれた」


ノアは開かれた扉の先──遺跡のさらに奥へと続く暗闇を見据えた。


過去のトラウマを乗り越え、心身ともに本当の意味で一つになったノアとイグニス。彼らの絆は、もはやどんな罠や魔法でも引き裂くことはできない。


「よし、行こう。ユリウスたちも、きっとこの試練を抜けて先に進んでいるはずだ。追いつくぞ!」


「おうっ! この翼で、一気にトップまでぶっちぎってやる!」


遺跡の冷たい空気が、イグニスの熱を帯びて心地よく揺れる。


過去を燃やし尽くし、未来への翼を手に入れた彼らの歩みは、かつてなく軽く、そして力強かった。

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