【仮面を脱いで、本当の『俺』と会う】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲んでいる間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう——そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けない。心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜板挟みのお客様〜
くたびれた。スーツを着て、革靴を履いて、とぼとぼと夜道を歩く。最終電車には間に合いそうだ。
俺はいわゆる中間管理職だ。上司からは詰められ、部下たちからは馬鹿にされる。働き方改革で「残業はするな」と命じられるが、仕事量は減らない。規定外の残業代など出るはずもなく、押し付けられた会議書類と部下の仕事、自分の業務をこなすため、毎日が限界だった。
「なんで俺ばっかり……」
そんな思いがぐるぐると渦巻いたときだった。夜の暗闇が、急に眩しい光に塗り替えられた。
気づけばそこは里山の風景。耳を澄ますと、羽ばたく音とともにミツバチが忙しなく花を渡り歩いている。目の前の古民家の縁側に、おばあちゃんがニコニコと座っていた。
「ここ、どこだ……。駅に向かっていたはずなのに」
「あらあらいらっしゃい」
おばあちゃんは不思議なほど穏やかだ。スマホは圏外。電話を借りたいと頼むと、「ここには置いていないのよ」と笑われた。
「でもね、喉が渇いているでしょう。お茶を一杯飲んでいきなさい。そうすれば道が現れるわよ」
残業でクタクタだった俺は、抗う気力もなく、その横に腰を下ろした。
吹き抜ける風が心地よく、ぼんやりと山を眺めていると、堪えていた本音が喉からせり上がってきた。
「……会社じゃ、下には馬鹿にされ、上からはただ働きの駒として扱われている。家に帰っても、誰からも必要とされていないんだ。俺は、何のために働いているんだろうな」
俺の言葉に、おばあちゃんは静かに耳を傾ける。
「あなたは根気のある人なのね。人一倍我慢強いから、何もかもを一人で背負ってしまえるのよ」
「全部、俺に押し付けるなと叫びたいんだ。でも、そんなこと口に出せるわけがない」
おばあちゃんは、花咲く場所を指さした。
「ほら、見て。あの蜂は、一つひとつの花を巡って、一生懸命に花粉を集めているわ」
その姿をじっと見つめていたら、ふつふつと湧いていた怒りが、どこか遠くへ消えていくような気がした。
お茶を飲み干すと、おばあちゃんは森へ続く道を指さした。
「あそこに、あなたの道が現れたわよ」
「おばあちゃん、ありがとう。また、お茶を飲みに来ていいか?」
おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。
「ここは一期一会の場所。私とあなたも、これで最後よ。……これを持っていきなさい」
手渡されたのは、おばあちゃんの着物と同じ模様で折られた鶴の折り紙だった。
俺は頭を下げ、もう振り向かなかった。
駅の明かりを目指し、俺は自分の足でまっすぐ道を歩き出した。




