【子の心親知らず】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう――そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けず、心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜本心を隠してる小さなお客様〜
「痛い……ほんとに痛い。ただ転んだだけなのに、なんでこんなに膝が痛いんだよ……」
ちょっとすりむいただけなのに、涙が止まらない。ねぇ、お願いだから誰か助けて。
僕の両親は、いつも忙しく働いている。学校から帰っても、鍵を開けて入る部屋には誰もいない。部屋に向かって「ただいま」と言っても、返してくれる人は誰もいない。お母さんが帰ってきたときは玄関まで飛び出していくけれど、お母さんは疲れた顔で「ただいま。疲れたから、夕飯作るまでちょっと待っててね」と言うのが毎日だ。お父さんは、僕が寝てから帰ってきて、僕が起きる前に会社へ行ってしまう。土曜日じゃないと、顔を見ることさえできない。
両親はいつも言う。「良い生活をさせてあげたいし、良い学校にも行ってほしい。そのためにはお父さんもお母さんも働かなくちゃいけないんだよ」と。だから僕は、寂しくても「一緒にいてほしい」なんて言わないように、ずっと我慢してきた。
今度の運動会、お父さんとお母さんが来てくれるのをすごく楽しみにしていた。それなのに、二人とも「仕事で行けなくなった。ごめんね」と言った。
悲しくて、たまらなくて、家を飛び出した。走っている途中でつまずいて、膝をすりむいた。血も出ていない。本当はそんなに痛くないはずなのに、なんだかとても痛くて、泣きたくて仕方がない。
その時だった。
マンションの廊下にいたはずなのに、足元が土の感触に変わった。
目の前に古民家があり、縁側でおばあちゃんがニコニコと笑っている。僕はあまりの驚きに言葉を失ったけれど、膝の痛みと寂しさで大泣きしてしまった。
おばあちゃんは近づいてきて、「大丈夫かい? あら、少しすりむいているね。消毒するほどでもないよ。こっちに来て、お茶を飲んで少し休みなさい」と優しく言った。
「おばあちゃん、足が痛いんだ。もう歩けないよ」と言うと、おばあちゃんは「あら、おばあちゃんは小さくて抱っこして連れていけないよ」と困ったように笑った。
僕は「赤ちゃんじゃないんだから、自分で歩けるよ」と言って、足を引きずりながら縁側まで歩いていった。
おばあちゃんが入れてくれたぬるめのお茶をひと口飲むと、不思議と足の痛みが引いていった。
「おばあちゃん……僕、ほんとうは寂しいんだ。良い生活なんかしなくていいから、お父さんとお母さんにいつも一緒にいてほしいんだ」
「そうだねぇ。お金も大切だけど、あなたと過ごす時間の方がもっと大切だよね」
「なんでお父さんとお母さんは、僕の気持ちがわからないんだろう」
おばあちゃんは庭を指差した。
「あれ、あそこに猫の親子がいるよ。子猫の首のところをくわえて、どこかへ移動しているね。子猫は自分で行きたいのか行きたくないのかもわからないのに、勝手に連れて行かれてしまうねぇ」
僕はその姿を見つめた。
「あの子猫だって、勝手に連れて行かれたくないはずだよね。親が勝手に決めてるんだ。子猫の気持ちなんかどうでもいいんだ」
僕の言葉に、おばあちゃんは優しく背中をポンポンと叩いてくれた。
「そうだね。親は『こうした方がいい』と思い込んで、子どもの気持ちが見えなくなってしまうことがあるんだね」
僕は不思議と、心が軽くなるのを感じた。
「おばあちゃん、イライラしてたのがなくなって、足の痛みも消えたよ」
「きっと足の痛みは、心の痛みだったんだね。でも、もう痛くないんだね。ほら、帰る道が現れたよ」
「……本当だ。不思議だな。おばあちゃん、また遊びに来ていい?」
僕が聞くと、おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。
「ここは一期一会の場所でね、二度と来られないところなんだ。でも、おばあちゃんが心を込めて作ったこの折り鶴を持って帰りなさい。そうすればいつでもここのことを思い出して、おばあちゃんがあなたを見守っているのを思い出せるからね」
おばあちゃんは、着物と同じ模様の折り鶴を渡してくれた。
「おばあちゃん、バイバイ!」
僕は手を振って、自分の家に帰っていった。
ちゃんとわかってもらえるまで、何回でも、お父さんとお母さんと話し合おう。そう心に決めて。




