【推し活は自分のためのもの、推しのためじゃない】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう――そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けず、心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜納得のいかないお客様〜
「ほんと、信じられない。今まであんなに尽くしてきたのに……どれだけお金を使ったと思ってるのよ!」
ライブに行きたくて、チケットを当てるためにファンクラブには4口も入っていた。売れない頃から支えてきた自負がある。遠征費だってグッズ代だって、惜しんだことはない。少しでも彼に見て欲しくて、自分なりに工夫を凝らしてきたつもりだ。
それなのに、何なのよ。
彼がデビューする直前から応援し続けて、会員番号だって一桁に近い。大人気になってチケットが取れなくなったから、少しでも可能性を広げようと複数名義で入り続けた。私の生活のすべてが、彼を中心に回っていたと言っても過言じゃない。
それなのに、よりによって写真週刊誌なんて。密かに結婚していて、隠し子までいたなんて……。
「私の青春を返してよ! せめて最後まで夢を見させてよ。匂わせるくらいなら、一生隠し通しなさいよ! 何が『プライベートな事はご遠慮ください』よ……!」
頭に血が昇り、怒りで視界がぐらつく。気がつけば、私は見知らぬ古民家の縁側に座り込んでいた。横には、ニコニコと微笑むおばあちゃんがいて、湯気の立つ緑茶を差し出してくれる。
「少し落ち着きなさいな。このお茶を飲めば、少しは気持ちも収まるから」
怒りのあまり判断力も鈍っていた私は、勧められるままに一口飲んだ。驚くほどにすっと胸の塊が溶け、荒ぶっていた心が静まった。
おばあちゃんの穏やかな顔を見ていると、先ほどまでの怒りが、まるで嘘のように馬鹿らしく思えてきた。
「おばあちゃん、ひどいんですよ。私の青春もお金も、全部ドブに捨てたようなもんなんです」
こぼれ落ちるように、私はこれまでの経緯を吐き出した。おばあちゃんは静かに耳を傾け、小さく頷く。
「そうかい。そうかい。ずっと信じていたものが崩れて、綺麗なはずだった景色が急に泥だらけに見えてしまったんだね。それは悲しいことだ」
「そうなんです……。馬鹿だとはわかっていました。彼を推すことで、地味な普通の人間である自分を、輝かしい彼に投影して育てていたんだと思うんです。それなのに……」
おばあちゃんは、庭先の森を指差した。
「あそこの木漏れ日を見てごらん。スポットライトを浴びているようで、とても綺麗じゃないか?」
私が視線を向けると、木々の隙間から光が差し込み、まるで舞台の上のようだった。
「でもね、その地面をよく見てごらん。落ち葉が重なって、土でぐちゃぐちゃで、あんまり綺麗とは言えないだろう。あなたの推しも、そんな場所で生きているのかもしれないね。一見華やかな世界に見えても、実は泥臭くて大変な場所なんだよ。そんな中で、あなたの推しも光を求めてもがいていたのかもね」
「でも……! 私たちがお金を出して支えているんだから、夢を見させてくれてもいいじゃない!」
私が叫ぶと、おばあちゃんは優しく肩をポンポンと叩いてくれた。その温かさに、堰を切ったように涙があふれる。
そうだ。私が推していた彼は、私が見たい夢を映し出す「幻」だったんだ。裏切られたと私は思っていたが、彼は裏切ったつもりではなく、ただ仕事とプライベートを分けていたに過ぎないんだ。彼は偶像ではなく、ただの人間だったのだ。怒りは消えないけれど、推していた時間は、間違いなく私自身が楽しんでいた時間だった。
「……おばあちゃん、わかった。あの時間は幻なんかじゃなかった。私が一生懸命、何かにのめり込めた、大切な時間だったんだ」
「その通りだね。自分の心に正直に、何かを愛せたこと。それはあなたの財産だよ」
「ほら、あそこに帰る道が見えてきたよ」
おばあちゃんが指差す先には、いつの間にか明るい光の道ができていた。
「本当にありがとう。私、帰ったらファンクラブは辞めるし、グッズも処分する。でも、今度はまた違う何かを見つけて、楽しく推し活をするよ」
「それが一番さね。この場所は一期一会だけれど、これを持ち帰りなさい。これを見て、ここのことを思い出しておくれ」
おばあちゃんは、自分の着物と同じ柄の折り鶴をそっと手渡してくれた。
これからも推し活は続ける。けれど、何があっても後悔はしない。
誰かを好きになるという時間と気持ちそのものを大切にして、私は縁側を後にした。




