【自分の足で立つ、誇らしい日々】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう——そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けない。心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜免許返納を迫られた、誇り高きお客様〜
私はまだまだやれるんだよ。誰が勝手に決めつけるんだい。なぜ自分のことを、自分で決めちゃいけないんだ……!
言いたいことだけ言って、私の気持ちなんかお構いなし。私の体を心配しているっていうより、自分が安心したいだけなんじゃないのかい?
私は、かなり山奥の田舎に住んでいる高齢の女性だ。ここはどこに行くにも、病院、買い物、役場へと山道を車で30分以上走らせなければならない。若い人もほとんどいないし、自治体が乗り合いタクシーなんて用意してくれたりはしない地域だ。だから、仕方がなくて軽トラを運転している。これまで一度も事故を起こしたことなんてない。周りの迷惑にならないよう、法定速度でゆっくりゆっくり、慎重に運転しているんだ。
それなのに、離れて暮らす息子が「危ないからそろそろ免許を返納しろ」と言ってきた。自分は一緒に住んでもいないし、私を呼び寄せて同居しようともしないくせに、一体なにを勝手なことを……!
「こっちの心配する気持ちもわかってくれよ」なんて言ってきたけれど、本当に心配なら、ここに帰ってきて一緒に住むか、自分の家の近くに呼び寄せるかしろってんだよ。私は自分の年金でちゃんと自立して暮らしているんだ。息子は嫁の顔色ばかり伺って、同居すら言い出せないくせに、大きな口を叩くんじゃないよ……!
私は怒りに任せ居間の戸を開け、台所に行こうとした。
その時だった。一瞬だけ視界がまぶしくなり、気がつくと家の外に出ていた。
目の前に広がっていたのは、私が住んでいるところと似ているけれど、どこか風情のある美しい里山だった。しかも、この地区にはないような立派な古民家が建っていて、縁側にはニコニコと私と同じくらいの年齢のおばあちゃんが座って手招きをしていた。
「あらまぁ、いらっしゃい。よかったら、ここでお茶を一杯飲んでいかないかい?」
「……私、あまりに頭にきすぎて、ついに三途の川でも渡ってきたのかい?」
私がそう聞くと、おばあちゃんはケラケラと笑った。
「まだまだ元気じゃないか。三途の川なんか、そう簡単には現れやしないさね」
私は、漂ってきた上質な緑茶のいい香りに誘われて、ついつい縁側に腰掛けてしまった。そして緑茶をひと口飲むと、さっきまでのカッカと燃えていた怒りが、スーッと静かにおさまっていくのを感じた。
「このお茶、私なんかにはもったいないくらい美味しいねぇ。ありがとう。ねぇ、ちょっと聞いてよ、うちの息子がね……」
私は、縁側のおばあちゃんになぜかとても親近感を覚え、今日あったことや息子への愚痴を堰を切ったように話し続けてしまった。
私の話をじっと聞いてくれたおばあちゃんは、「本当に大変だねぇ。若い人ってのは、自分たちができるからって、何でも当たり前だと思っちゃうからねぇ」と優しく相槌を打ってくれた。
「そうそう! この年になってみれば、昔自分が親にどんな不躾なことを言ったか分かるけれど、若い頃は自分が正しいって思って偉そうな顔をしているもんだわ……」
「ほんとだねぇ。親の気持ちを本当に心配しているんじゃなくて、『自分が安心したいから』『自分が乗ってほしくないから』って、結局は自分の気持ちが優先なんだよねぇ。まったく、若い人ってやつは……」
「そうなのよ! わかってくれる人がいて本当に良かったわ……」
なんだか、この縁側のおばあちゃんと話していたら、さっきまであんなに腹立たしかった息子のことなんてどうでもよくなってきた。
そうだ。私は私のしたいように生きればいいんだ。息子に面倒を見てもらっているわけじゃない。生活費だって自分の年金でちゃんとやりくりして、完全自立して暮らしているんだから。息子は自分の罪悪感をごまかして、私をコントロールしたいだけなんじゃないか――そう思ったら、あんなに怒っていた自分が馬鹿らしくなってきた。
すると、おばあちゃんが庭の端を指差した。
「あそこをごらん。庭の端に、のんびり歩いている鶏がいるだろう?」
「あぁ、よく昔から『卵が先か親が先か』って言い争うけれど、本当はどっちなんだろうねぇ。それに、鶏は3歩歩いたらすぐ物を忘れちゃうって言うしねぇ、ハハハ!」
おばあちゃんと一緒に笑っているうちに、心のつかえがすっかり取れていった。
おばあちゃんが、森の方をそっと指差した。
「ほら、うちへ帰る道が現れたよ」
「あら、不思議だねぇ。ほんとだわ。また今度、お茶を飲みに来てもいいかい?」
私が聞くと、縁側のおばあちゃんは少しだけ寂しそうな、けれど温かい笑顔を浮かべた。
「ここは一期一会の場所だからね。一度しか来られないんだよ。その代わり、これあたしとの思い出に持っておきなさい」
おばあちゃんは、自分の着物と同じ模様の小さな折り鶴をそっと手渡してくれた。
「これを見たら、『私は自分で自立していて、誰の助けも借りずにきちんと暮らしているんだ』って、いつでも思い出しておくれ」
私は鶴を受け取り、深くうなずいた。
「ありがとう。もう誰に何を言われても、自分のしたいように生きるさね。人のことなんて気にしないよ。それじゃあね!」
私は晴れ晴れとした気持ちで、自分の家へと続く道を踏み出した。




