【小さな命の、大きな重さ】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう——そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けない。心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜子犬が大好きな小さな客様〜
僕はずっと犬が飼いたかったんだ。前はマンションだから飼えないってお母さんが言っていた。一戸建てに引っ越したから「もう飼えるよね」と言っても、お母さんは「新築なんだからダメ」と話をはぐらかす。約束が違うじゃないかと思っても、お母さんは全然聞いてくれなかった。
だから僕は、友達の家で生まれた子犬を1匹もらうことにしたんだ。目があったとき、この子だって決めた。
それなのに、家に連れて帰ったらお母さんは「返してきなさい!」と怒った。「許可もなく勝手に連れてくるなんて」と叱られて、僕は子犬を抱きながら、とぼとぼと家の門を出た。
気がつくと、知らない古民家の前にいた。腕の中には子犬がいる。ちょっと心細いけど、子犬が一緒だから怖くない。縁側でおばあちゃんがニコニコと手招きをしている。
「いらっしゃい。珍しいお客様が1人と1匹でやってきたわね」
僕はこの子犬を友達の家に返さなきゃいけないんだと言ったけれど、おばあちゃんは「ここでお茶を飲んでいるうちに道が現れるわよ」と優しく言った。子犬には湯冷ましを、僕には緑茶を淹れてくれた。
「おばあちゃん、お母さんは嘘つきだよ。マンションのときはダメって言ったのに、一戸建てになってもダメなんて、コロコロ理由が変わるんだ」
おばあちゃんは、ゆっくりと子犬の頭を撫でながら言った。
「お母さんはね、あなたのことが嫌いなんじゃないんだよ。ただ、怖いんだねぇ」
「怖い? 犬が?」と僕が聞くと、おばあちゃんは笑った。
「生き物を飼うってことはね、その命の全部を預かるってことなんだよ。風邪をひいたら看病して、年をとって動けなくなっても、最期までそばにいる。あなたよりもずっと早く、この子は空へ帰ってしまう。その時、あなたが泣いて悲しむ姿を見るのが、お母さんは何よりも怖いんだよ」
おばあちゃんは、庭に咲く桜を指差した。
「あそこに咲く花を見てごらん。綺麗だけど、すぐに散ってしまう。だからこそ、今こうして咲いている時間を大切にする。犬を飼うということは、あの桜の花のように、咲いているときから散ってしまうまでずっと見守るということなんだよ」
僕は腕の中の子犬を見た。この小さな胸の鼓動が、ずっと続くわけじゃないんだ。
「あなたは強いねぇ。ひとりでこの子を連れてくる勇気があるんだから」とおばあちゃんは言ってくれた。
「お母さん、僕がちゃんと面倒みるから、悲しくさせないから……そう伝えたら、分かってくれるかな」
「自分の言葉で、今の気持ちをお母さんに言っておいで。嘘をついてごまかすんじゃなくて、あなたが『この命の全部を背負う』って覚悟を見せれば、お母さんもきっと信じてくれるよ」
子犬が僕の鼻をペロリと舐めた。その温かさに、勇気が湧いてきた。
「うん、言ってみる!」
おばあちゃんが指をさすと、家の門へと続く道が見えた。僕は子犬を抱きしめて言った。
「おばあちゃん、ありがとう! 今度、お母さんとこの子犬と遊びに来るね」
おばあちゃんは寂しい顔でつぶやいた。
「ここは一期一会の場所。もう二度とここには来られないし、おばあちゃんとも会えないのよ」
そう言って、自分の着物と同じ模様の折り鶴を渡してくれた。子犬の首には、その折り鶴をつけたリボンを結んでくれた。
「おばあちゃん、会えなくなるのは寂しいけれど、僕、行くね!」
僕は駆け出した。今度こそ、お母さんとちゃんと話をするために。




