【針を降ろしたヤマアラシ】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう——そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けない。心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜二面の顔を持つお客様〜
「あぁ、今日もあの子を攻撃してしまった」
私は自分の部屋で苦悩していた。親は毎晩のように喧嘩ばかりしていて、私のことなど目に入っていない。学校に行き、仲間と笑い合っていても、視界の隅にはいつもオドオドしたあの子がいる。何をしたわけでもない。なんなら、こちらから隠れるように小さくなっているあの子の姿が、妙に気に入らない。
あの子を攻撃すると、あの子は悲しそうな顔をする。私はその顔を見て罪悪感に押しつぶされそうになるのに、また同じことを繰り返してしまう。
喉が渇いて一階に降りると、また両親の声が響いていた。
「あんたとは、とっとと別れたいのに! なんであんな子を産んだのかしら!!」
母の怒鳴り声に耐えられなくなり、私は家を飛び出した。走っているうちに、夜の闇はいつの間にか、長閑な鳥の鳴き声が聞こえる場所に変わっていた。
力尽きて崩れ落ちると、縁側から穏やかな顔のおばあちゃんが駆け寄ってくれた。ちいさな体なのに、温かく力強い手で私を助け起こし、縁側へと案内してくれた。
「これを食べなさい。力が出るよ」
おばあちゃんは、飴と羊羹、そして温かいお茶を差し出してくれた。飴を口の中で転がしながら、私は震える声で言った。
「私……本当は、あの子をいじめたくないんです」
おばあちゃんは静かに森を指差した。そこには一匹のハリネズミがいる。
「あなたは、本当は丸まって温まりたいだけなのに、針を逆立てて相手を突き刺すハリネズミだねぇ。針を立てれば立てるほど、誰もあなたを抱きしめてくれなくなる。傷つくのが怖くて、先に相手を攻撃することで自分を守っているんだ。その針、もう降ろしてもいいんだよ」
「……あの子を傷つけているのが、自分の意志なのか、どうなのかさえ、もう分からない!」
私は叫んだ。おばあちゃんは優しく頷き、私を見つめた。
「あなた、本当はそんなことしたくないんだろう? 誰かを傷つけていないと、自分が消えてしまいそうで怖くてたまらないんだねぇ。あなたが誰かをいじめることで生まれるのは、一時的な『自分がここにいる』という錯覚だけだよ。攻撃するたびに、あなたは自分で自分の価値を削り取っているのと同じなんだ。家の中の嵐は、あなたのせいじゃないよ。あなたはただ、誰かに『見てるよ』って言ってほしかっただけなんだから」
風に吹かれながら飴を飲み込み、羊羹を味わう。心の中のぐちゃぐちゃが、少しずつほどけていくのを感じた。
おばあちゃんが「ほら、道が現れたわよ」と指をさした。その先には、飛び出してきた自分の家の玄関が見える。暗いドアの向こうには、また嵐が待っているかもしれない。
「帰らなきゃいけないの? 怖い……」
私が呟くと、おばあちゃんは着物と同じ模様の折り鶴を渡してくれた。
「ここは一期一会の場所。一度来たら、もう二度と会えないの。でもね、この折り鶴を見て、辛い時に逃げ出したくなったら思い出してごらん。針を引っ込めれば、あなたはみんなに抱きしめてもらえるんだよ」
おばあちゃんの手は、魔法のように温かかった。私はもう一度深く頭を下げ、光の見えない玄関へと、自分の足で一歩を踏み出した。




