【火鉢の鉄瓶と、消えない矜持】
ここは、心がちょっと迷子になった人がひょっこりと訪れてしまう場所。
1杯のお茶をゆっくり飲み干す間に、ついつい心を開いて、溜め込んでいた本音を吐き出してしまう——そんな不思議な縁側です。
悪い心を持つ人は決して辿り着けない。心がほんの少し弱くなった人だけが、何かの拍子に見つけることができる場所。
さあ、今日はどんなお客様が、この暖簾をくぐってくるのかしら?
〜矜持の高いお客様〜
「いい加減にしてくれ!」
私は思わず叫んでいた。美味しい料理を作り、それを笑顔で食べてもらうこと。それが私の人生のすべてだった。どんなに忙しくても、食材の品質が日によって違っても、常に同じ最高の味を提供するために、血の滲むような努力を重ねてきた。
それなのに、一部の評論家は、私の料理を「平凡だ」「面白みがない」と切り捨てる。彼らは私の料理を味わうのではなく、自分の知識をひけらかす道具にしているだけだ。
限界だった。キッチンの熱気から逃げようと、裏口から外へ出た——そのはずだった。
だが、扉の向こうに広がっていたのは、路地裏の風景ではなく、青葉が薫る静かな森だった。
「……どこだ、ここは」
目の前には古民家が建ち、縁側でおばあちゃんがニコニコとこちらを手招きしている。私は戸惑いながらも、その柔らかな空気に吸い寄せられるように近づいた。
「おばあちゃん、ここは……? 今しがたまで店にいたはずなのに」
「あらあら、いい匂いをさせているわね。お仕事の最中だったのでしょう? まあ、お茶を一杯飲んでいきなさいな」
「お客様が待っているんです。一刻も早く戻らなければ……」
「そう焦らなくても、お茶を飲んでいるうちに道は現れるわよ」
穏やかな声に抗えず、私は縁側に腰を下ろした。お茶を一口すすると、張り詰めていた神経がふっと緩む。
「……おばあちゃん。私はただ、美味しい料理を食べてもらいたいだけなんです。評価されるために作っているんじゃない。なのに、まともに味もわからぬ連中に、やりがいを汚されるのが……我慢できないんです」
おばあちゃんは、部屋の中にある火鉢と、その上でシュシュと湯気を上げる鉄瓶を指差した。
「いつもね、あの鉄瓶のお湯は、こうしてシュシュシュシュと、おいしいお茶を淹れる準備をしてくれているのよ」
「聞いていますか、おばあちゃん。私は非難されるために料理をしているんじゃない!」
つい声を荒げてしまった。おばあちゃんは静かに私を見つめ、優しく言った。
「あなたは人のために、人が喜ぶために一生懸命なのね。なかなかできることではないわよ。少数の言葉に傷つくことはあっても、あなたの料理を食べた多くの人たちには、その温かい気持ちがちゃんと届いているはずだよ」
シュシュと鳴る鉄瓶の音を聞いているうちに、激しかった怒りが少しずつ静かな情熱へと変わっていくのがわかった。
「……おばあちゃん、お客様が待っています。戻ります」
私はお茶を一気に飲み干した。おばあちゃんが指差す先を見ると、確かに店の裏口の扉が浮かんでいた。
「今度、作った料理を持ってきます。ぜひ食べてください」
そう言うと、おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。
「残念だけど、ここは一期一会。もう二度と来られない場所なのよ」
食事を楽しんでほしかったという願いは叶わなかったが、おばあちゃんは着物とお揃いの模様の折り鶴をそっと渡してくれた。
「ありがとうございました」
頭を下げて前を見ると、扉がはっきりと見えた。私は迷わず、自分の店へと続く道を進んでいった。心には、もう揺らぐことのない矜持が灯っていた。




