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【SF短編小説】確率0.03%のゴーストダイバー ~宇宙で一番迷惑で愛すべき救助屋~  作者: 霧崎薫


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第五部:ゼロの深淵、気合の特異点

 実験的な超空間航路というのは、光より速く移動するための「近道」だ。通常の亜光速航行より遥かに短時間で長距離を移動できる。ただし「実験的」というのは重要な言葉で、それは「まだ誰も全部分かっていない」という意味だ。


 その航路が崩壊した。


 移民船団「アーク・グループ」八隻が超空間内に閉じ込められた。乗員と乗客の合計は約一万人。農業機材、建設機材、生活物資を積んだ本格的な植民移民団だ。辺境惑星に新しい居住地を作るための人々。


 超空間内は物理法則が不安定だ。電磁波が正確に伝わらない。重力が局所的に変動する。AIの計算が成立しない。


 銀河全体のAIネットワークが同じ判定を出した。


 救助成功率、0()()()()()()


 政府も軍も銀河救助局もゴーストダイバーも、全員が同じ顔をした。諦めた顔だ。人間が何かを諦めるとき、悲しむより先に「仕方ない」という顔になる。その方が楽だから。


 アオイとユウが信号を受信したのは、諦めが広がった後だった。


0()()()()()()()()


 ユウが言った。タブレットに表示された数字を見ながら。


「これは今までと違う。私の計算も正確には機能しません。超空間内の物理定数が安定していない以上、どんなルート計算も理論値にしかなりません」


()()


「何が違うんですか」


()()()()()()()()。0パーセントと前例がないは()()


「……」


「前例がないことを、0パーセントと呼ぶAIは間違っている」


 ユウはタブレットを閉じた。開いた。また閉じた。


「……行くんですか」


()()()


「超空間内では私の計算の精度が落ちます。正確なサポートができない可能性があります」


「お前が計算できる範囲で計算して。私は感覚で飛ぶ」


「感覚で飛ぶのは——」


「感覚で飛んで間違ったことが今まであったか?」


「……ありました」


「でも死んでねーじゃん」


 ユウは答えなかった。


「行くよ」


 出発前夜、ユウはなかなか眠れなかった。0パーセントという数字は統計的には意味があるが、「前例がない」と「不可能」は確かに違う。ユウはそれを頭では理解できた。


 しかし体が理解を拒んでいた。心拍数が上がっている。手のひらが乾いている。これは恐怖の生理反応だ。


 通路に出た。台所に水を飲みに行こうとして、コクピットのドアが少し開いているのに気づいた。アオイがいた。写真の壁を見ていた。


 ユウが声をかけようとした。アオイが先に言った。振り返らずに。


「……怖いんだよ」


「え?」


「毎回怖いよ。当たり前だろ」


「……じゃあ、なぜ行くんですか」


「行かなかったと思ったらそのほうが()()()()()


 アオイはそれきり黙ってしまった。説明しない。補足しない。ただそれだけの言葉が、暗いコクピットの中にあった。


 ユウは通路に戻った。水を飲んだ。ベッドに戻って目を閉じた。


 行かなかったほうがもっと怖い。


 ユウには分からなかった。

 でも、分からないまま、それを信じることはできた。

 説明できないけど。


 出発前にもう一つことが起きた。


 ユウが言い出した。自分から。


「私が作ったシステムが、ゴーストダイバーを阻んだことがあります」


 アオイがコクピットで計器の確認作業をしていた手を止めた。振り返らなかった。


「三年前、私は十二歳で研究機関の救助判定システムを作りました。精度の高いシステムでした。実運用で、ゴーストダイバーが救助に向かっているときに、私のシステムが中止勧告を出しました。軍が救助艇の通過を阻止しようとして、ゴーストダイバーと衝突して……一人が重傷を負いました」


 アオイはまだ振り返らなかった。


「……知ってる」


「え?」


「そのとき重傷負ったのがマクシムの兄貴だろ。知り合いから聞いた」


 ユウは何も言えなかった。


「それでも一緒にいてくれるんですか」


「お前は止めようとしたんだろ」


「でも結果的に——」


「止めようとした。それだけで十分だ」


 ユウの目の奥で何かが変わった。涙が出た。眼鏡が曇る。拭いても、また曇る。


 アオイは振り向かなかった。作業を続けた。それがアオイの優しさの形だとユウは分かっていた。



 超空間への侵入は、通常の航行とは全く違った。


 まず、空間そのものの色が変わった。光の波長が曲がっているせいで、窓の外の景色が緑色に染まる。次に、船体の振動パターンが変わった。通常の宙域では感じない微細な震えが、骨の奥まで届く周波数で来る。


 ユウの計算精度が落ちた。五パーセントの誤差が二十パーセントになった。


「精度が落ちています。ルート計算の信頼性が下がっています」


「分かってる。数値だけくれ。判断は私がする」


 アオイは目を細めて操縦していた。計器を見ていない。窓の外も見ていない。船体そのものを感じている。


 超空間内を飛ぶということは、安定した物理法則を持たない場所を感覚で読むということだ。理論が成立しない。前例がない。それでも飛べる理由は一つしかない。


 船が教えてくれる。


 一時間が過ぎた。

 三時間。

 五時間。


 ユウはアオイの操縦を横で見ながら、計算できない状況の中で別のことを始めた。パターンの観測だ。アオイが操縦桿をどのタイミングでどの方向に動かすか。エンジン出力をどの値に調整するか。それを記録して、船体の振動パターンと照合する。


 十時間後、ユウは気づいた。


 アオイの操縦はランダムではない。確かに理論的な根拠がないが、パターンがある。船体の振動の特定の周波数帯に反応して、特定の操縦をしている。


「……分かってきました」


「何が」


「あなたの操縦のパターンが。船体の振動を聞いて、物理限界の手前を維持している。理論ではなく、船の声を聞いて飛んでいる」


「そうか」


「これは理論化できます。このパターンを数式で表現できます」


()()()()()()


「なぜですか」


「お前が数式にしたら、それはもう私の操縦じゃない。()()()()()()()


 ユウは少し考えた。


「……理解しました。でも観察は続けます」


「好きにすればいい」


 アーク・グループの八隻は、超空間の奥に固まって漂っていた。エンジンが停止していた。電力が弱まっている。生命維持はギリギリ維持されている。


「ハウンドドッグ号、聞こえますか」


 通信が繋がった。移民船団の旗艦船長の声。ノイズだらけだった。超空間の電磁環境が邪魔をしている。


「聞こえます。八隻全員の状態を確認してください。脱出順序を決めます」


「……八隻全員、助けてくれるんですか」


「全員でなければ意味がありません。確認を急いでください」


 牽引は不可能だった。超空間内の重力変動が激しすぎる。一隻ずつ誘導する。ハウンドドッグ号が先頭を飛んで、後を追わせる。


 問題は、超空間から正常空間への「出口」が一定ではないことだ。出口は動いている。アオイが感覚で出口の位置を読みながら、八隻を順番に通過させる。


「出口が動いています」


「知ってる」


「三分後に四十メートル北方に移動します。推定ですが」


「今の推定の信頼性は?」


「七十二パーセントです」


「十分」


 一隻目の誘導に二時間かかった。二隻目は一時間半。慣れてきた。出口の動きのパターンをユウが計算し、アオイが読んで、二人の情報が融合していく。


 七隻目まで完了したとき、ハウンドドッグ号のエンジンに警告が出た。


「メインエンジンに過負荷。出力低下します」


 ドッグのアナウンスが流れた。


「推進力が落ちます。八隻目の誘導に必要な出力を確保できない計算です」


()()


「……では()()()()()()を使います。原理は把握していませんが、使用します」


 船体が今まで聞いたことのない音を出した。金属の悲鳴と、エンジンの咆哮が混ざった音。ユウは思わずアームレストを握った。


 アオイは操縦桿を微調整しながら、エンジンの音を聞いていた。


 目を閉じた。


 ユウはその瞬間、分かった。目を閉じることで、より多くの情報を船体から受け取っている。視覚を切ることで、触覚と聴覚の感度が上がる。船の軋みを皮膚で読み、エンジンの音を耳で読み、その二つを合わせて物理限界の位置を特定する。


「原理が分かりました……!」


 アオイが目を開けた。


「船全体の軋みとエンジンの悲鳴を耳で聴いて、物理限界の一パーセント手前を感覚で維持し続けているんだ……!」


「そう」


「これを『気合』と呼ぶ以外、僕の言語では不可能です!」


 アオイが不敵に笑った。


 八隻目が超空間の出口に向かった。ハウンドドッグ号がその前を飛ぶ。エンジンが限界を超えた悲鳴を上げている。アオイは出口の位置をユウの計算と自分の感覚で同時に読んで、ギリギリの軌道を引いた。


 八隻目が出口を抜けた。


 ハウンドドッグ号も、続いて出た。


 正常空間に戻った瞬間、エンジンが全部止まった。


 静寂。


 漂流。


「……全員出ましたか」


 ユウが確認した。


「八隻全員、正常空間に帰還しました」


 アオイは操縦席に座ったまま、しばらく動かなかった。


 ユウはアオイの状態を確認した。生体モニターに目を向けた。心拍数が上がっている。呼吸が荒い。右肩に三週間前の裂け目の縫合跡があって、また開いている。血が服に滲んでいる。


「怪我をしています」


「あとで」


「今です」


 ユウは処置キットを出した。アオイは抵抗しなかった。処置をされながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。


「ユウ」


「何ですか」


()()()()()()()()()


 ユウは消毒液を塗りながら止まった。


 手が止まった。


 眼鏡の奥で目が歪んだ。


「……なぜそういうことを急に言うんですか」


「急じゃない。ずっと思ってた」


「処置が、終わるまで待ってください」


「うん」


 処置が終わった後、ユウは何も言わなかった。返事が出てこなかった。


 こういうとき、言葉が一番頼りにならない。


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