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【SF短編小説】確率0.03%のゴーストダイバー ~宇宙で一番迷惑で愛すべき救助屋~  作者: 霧崎薫


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第四部:硝煙と平和の境界線

 辺境の星系は、名前がなかった。銀河地図には座標番号だけが振られていて、そこに人が住み始めたのは三十年前のことだ。資源採掘のための居住地。産業が変わり、採掘会社が撤退して、人々だけが残った。宙域を管轄していた勢力が複数あって、管轄の境界線が重なっている場所で、武力衝突が起きた。


 よくある話だ。

 宇宙はとても広いから、よくある話の総量も比例して大きい。


 二つの救難信号がほぼ同時に入ってきた。


 一つは難民船「ソレイユ」。交戦区域の中心付近に取り残された中型船。乗員と乗客を合わせて二千百名。エンジンは生きているが、交戦が激化していて脱出経路がない。


 もう一つは、交戦区域の端。民間の小型船。乗員三名。機関室に火が出たという。


 ユウは計算した。


「ソレイユを優先した場合、小型船への到達は時間的に不可能です。小型船を優先した場合、ソレイユの脱出経路が閉じます」


 アオイは黙っていた。


 コクピットの窓の向こうに、遠く交戦域の閃光が見えた。船と船がぶつかり合う光。人間が作った火。その光は綺麗で、だからこそ見ていられない。


 十秒。二十秒。


「……難民船に行く」


 ユウは何も言わなかった。


「小型船の三人は……」


 アオイは言葉を止めた。


「《《行く》》」


 それだけ言って、操縦桿を握った。一度だけ、難民船とは逆の方向を見た。小型船がある方向。その視線は一秒も続かなかった。次の瞬間には前を向いて飛んでいた。


 ユウはその一秒を見ていた。見ていたが、何も言わなかった。


 交戦区域に入るには通過許可が必要だ。《《双方の軍から》》。アオイは双方に通信を入れた。返答は同じだった。


「通過を許可できない。民間船は退避せよ」


「分かった」


 アオイは通信を切った。


「どうするんですか」


「交渉する」


「今の通信は——」


「違う方法で」


 敵旗艦に接近した。通信を入れた。


「降伏する」


 ユウは固まった。


「降伏する、って言いましたか?」


「言った」


「どういう意図で——」


「静かにしてて」


 旗艦の司令官が通信に出た。五十代の男。肩に勲章が並んでいる。歴戦の顔をしている。


「賢明だ。停船して——」


 次の瞬間、アオイは宇宙服のヘルメットを被って操縦席を立った。


「ちょっと待て! 何をしている!?」


 アオイは船外に飛び出していた。ユウは叫んだ。


「何やってるんですか!!」


「外壁に張り付く。ハッチを切り開く。中に入る」


「それは降伏じゃない! ただの侵入です!」


「降伏するとは言ったが、《《停船するとは言っていない》》」


「詭弁です!!」


 旗艦の外壁にマグネット固定。工具のカッターでハッチを切り開く音がスーツのマイク越しに届いた。金属が軋む音。加圧の気流が吹き出す音。薄い金属を力で剥がす、低い破裂音。


「お邪魔しまーす」


 艦内での乱闘の音がマイクを通じて断続的に届いた。ユウは外から旗艦の状態をモニターしながら、同時にソレイユの状態も確認して、同時にアオイの生体情報も確認していた。三つのウインドウ。全部同時に見る。


「……心拍数が高い」


「当たり前だろ。今、走ってる」


「怪我は——」


「気にすんな」


 司令官を探し当てるまで七分。個室の前で護衛を三人倒して、ドアを壊して入った音がした。説得に三分。アオイの声がスーツのマイク越しに届いた。怒鳴り声ではなく、静かな声だった。


「あの船には民間人が二千人いる。子どもも三十人以上。道を開けるか、あるいはこの部屋であなたが私と一緒にいるかを選んでほしい。その場合は私とちょっとだけ楽しいダンスを踊ってもらうことになるけどね」


 長い沈黙の後、司令官が通過許可を出した。もう一方の軍にも通知が届くまで十五分。


 合計二十五分で、アオイは旗艦から飛び出してきた。宇宙服の右肩に裂け目が入っていた。護衛の一人が持っていたカッターで切られた跡。縫合テープで仮止めしてある。


「本当にやったんですか!?」


「やった。行くよ」


 ハウンドドッグ号がソレイユに向けて加速した。


 難民船の誘導は三時間かかった。交戦区域を縫うように飛ぶ。ユウが経路を計算して、アオイが飛ぶ。脱出ポッドの分離タイミングを誘導して、回収して、また飛ぶ。


 途中、ソレイユの乗客の子どもたちが通信室から声を上げてきた。怖い、という声。アオイは誘導指示を出しながら、子どもたちに向けて別の周波数で喋った。


「もうすぐ出られる。怖くない。安心して待て」


 声のトーンが変わった。ユウはそれに気づいた。普段の、投げやりな低い声ではない。穏やかで、少しだけ遅い。怖くない、と言うとき、アオイは本当に怖くないと思っているような声をしていた。


「待つのって、すごく長く感じるんだよな」


 子どもたちに向けて言ったが、ユウにも届いた。ユウは手許の計算を続けながら、その言葉の音を聞いていた。


 それは《《待った経験がある人間の言い方》》だった。


 問題が起きたのは最後の段階だった。


 脱出ポッドの一基が、最後の交戦波に巻き込まれた。近くで爆発が起きた。ポッドの位置と爆発の距離を計算した瞬間、ユウは知った。


「……間に合いません」


 アオイには聞こえていた。だが加速した。加速しながら経路計算をユウに叫んだ。ユウも叫んで返した。アオイが飛んだ。


 《《間に合わなかった》》。


 ポッドの残骸が回収されたとき、中に二人いた。老夫婦だった。七十代か、あるいはもう少し上。手が繋がれたままだった。その姿のまま固まっていた。


 アオイは残骸の確認作業を無言でやった。ユウは隣にいた。何も言えなかった。何を言えばいいか、ユウには分からなかった。


 小型船の三人は、後から確認した。助けられなかった。


 失われたのは五人。


 その夜、ユウが通路を歩くと、コクピットのドアが少し開いていた。


 アオイが一人で座っていた。明かりを全部落として、窓からの星明かりだけがある空間で。


 写真の壁を見ていた。


 手に何かを持っていた。小さく、焦げた紙の切れ端。老夫婦の脱出ポッドの中にあったものだろう。なにかの写真の端。二センチほどの、すすで汚れた紙。


 ユウは通路で立ち止まった。アオイは気づいていない。あるいは気づいていて、気づかないふりをしているだけかもしれない。


 アオイは何も言わなかった。

 ユウも何も言わなかった。


 通路の明かりだけが、ドアの隙間からコクピットに細長い光を引いていた。アオイの横顔がそこに少しだけ見えた。眉間に力が入っている。唇が少しだけ開いていた。


 翌朝、ユウが台所を整理していたとき、冷蔵庫の奥の陶器製の調味料の瓶を手に取った。賞味期限のラベルが以前より少し読めるようになっていた。惑星名が書いてある。ソレイユ号の乗客名簿に目を通したユウには分かった。老夫婦の出身地だ。


 陶器の質感が手のひらに伝わった。地球産ではない粘土の重さ。遠い星の土から作られた器。


 捨てようとした。


「《《触んな》》」


 アオイの声が来た。台所の入口に立っていた。昨日の夜着ていた服のまま。眠っていない可能性がある。目に充血はないが、焦点がどこか遠い。


 声のトーンが違った。いつもの低い投げやりな声ではなく、もっと底の方から来る声だった。


 ユウは瓶を棚に戻した。


 その日の夜、アオイが珍しくコクピットを出て、船室のソファに座っていた。ユウが通路を通ると、アオイが声をかけた。


「ユウ」


「何ですか」


 アオイはしばらく窓の外を見ていた。星の光。今日もいつも通りの星だ。昨日と変わらない。人間が何人死んでも、星はそのままだ。


 二人の間に沈黙が流れた。


 やがてユウが口をひらく。


「あなたは一人で行って一人で死ぬつもりですか」


 普段のユウのトーンではなかった。


「死ぬとは思ってないけど」


「私はどうすればいいんですか」


「……」


「あなたが死んだら私はどうすればいいんですか」


 アオイは返事をしなかった。ユウは続けた。声を整えながら続けた。


「あなたが引き受けているものを私は全部は分からない。分からないから余計に——分からないまま、あなたが消えたら私はどうすればいいんですか。答えてください」


 沈黙。


 ユウ自身も気づいていなかったことが、言葉になった瞬間だった。依存ではない。これは依存ではなく、責任だ。この人間と一緒にいることを選んだ以上、この人間が死ぬことはユウの問題でもある。


 アオイが静かに言った。


「……悪かった」


 でも付け加えた。


「でも次も行くからな」


 ユウは何も言わなかった。知っていた。次も行く。それはもう変えられない事実だ。


 アオイが立ち上がって、ユウの頭を一度だけ、乱暴に撫でた。


「子供扱いしないでください!」


「……うるさいな」


 アオイはそのまま台所に行った。缶ビールを開ける音がした。次に水を注ぐ音がした。戻ってきたとき、ビールとコップを両方持っていた。テーブルにどちらも置いた。


 ユウは水を飲んだ。


 アオイはビールを飲んだ。半分ほど飲んで、缶を置いた。


 翌日、ヴォルコフの呼び出しがあった。直接ではなく、宇宙港の管理室でのビデオ通話。


「あなたはいつか、誰かを死なせる。自分が助けに行ったせいで……。私はそれを経験した。あなたはまだしていない」


「……したよ」


「なに?」


「今日した」


 沈黙があった。ヴォルコフの顔が少しだけ動いた。眉の間の皺が一瞬深くなって、戻った。


「……ならわかっただろう?」


「また行くよ」


「なぜだ」


「それしかできないから」


 ヴォルコフは何も言わなかった。


 椅子から立ち上がる音がした。引き出しを開ける音。何かをテーブルに置く音。


「……手許にあったものです」


 カメラの前に差し出されたのは、胃薬のシートだった。物質転送装置にそれをかける。


 アオイはそれを受け取った。何も言わなかった。


 ユウはそのやりとりを横で見ていた。二人の間に、ユウには名前のつけられない何かがあった。互いに認めたくないが認めているもの。怒りでも共感でもなく、もっと古いものだ。傷跡が同じ場所にある二人間だけに流通する言語みたいなもの。


 通信が終わった後、アオイは胃薬を見た。しばらく見た。ポケットに入れた。


「ヴォルコフさんも、昔ゴーストダイバーだったんですか」


「知らん」


 アオイは少し間を置いた。


「まあ、たぶん」


 それだけ言って、コクピットに戻った。



 ユウはヴォルコフの経歴を調べた。公開されている記録だけで三十ページ以上あった。銀河救助局への入局は二十四歳。その前の三年間の記録はほとんどない。アクセス制限がかかっていた。


 制限をかけているのが誰かは分からなかった。ただ、二十四歳以前の記録が存在することは確かだった。存在するが、見えない。それはつまり、消したのではなく、隠したということだ。


 アオイに聞いた。


「ヴォルコフさんの若いころのことを知っていますか」


「少しな」


「どこで知ったんですか」


「酒場で聞いた。古いゴーストダイバーたちから」


「どういう人だったんですか」


 アオイはしばらく窓の外を見た。今日の宙域は明るい。連星系の近傍で、二つの恒星が互いに引き合いながら軌道を描いている。片方が大きくて、もう片方が小さい。引力が釣り合っているように見えるが、長い時間軸で見ると大きい方が小さい方を食う。


「無茶苦茶だったって。止まらなかったって」


「……そうですか」


「あの人が今みたいになったのは、自分の判断で人が死んだからだ。古いダイバーはそう言ってた」


「もしかして、救助チームの、件ですか」


「知ってたのか」


「調べました」


 アオイは視線を窓から戻した。


「あの人は止まったわけじゃないと思う。止まり方を変えたんだと思う」


「……どういう意味ですか」


「飛ぶのをやめたんじゃなくて、飛ぶものを変えた。あの人は今もルールを飛ばしながら動いてる。ルールの内側で、ギリギリまで」


 ユウはその言葉を長い間考えた。


 ヴォルコフがアオイに胃薬を渡す。あれはルールの内側で、ギリギリまで動いた人間の動作だ。救助中止を命令しながら、止まらない人間には胃薬を置いていく。


 それは矛盾だ。しかし矛盾しているから成立しているものが、宇宙にはある。連星系の引力均衡みたいに。


 アオイがコクピットから戻ってきた。手に缶ビールを持っているかと思ったが、今日は水だった。


 ユウは気づいたが、言わなかった。



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