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【SF短編小説】確率0.03%のゴーストダイバー ~宇宙で一番迷惑で愛すべき救助屋~  作者: 霧崎薫


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第六部 3%の彼方

 ヴォルコフが記録を閲覧しているのを、ユウはハッキングで気づいた。


 正確には、ユウが調べていた別の記録のアクセスログに、ヴォルコフのIDが最近あったことを発見した。調べていたのはアオイの幼少期の記録だ。


 あの事故の記録。

 辺境の小型輸送船の遭難事故。


 アクセス制限がかかっていた。

 ユウは制限を解いて読んだ。


 西暦2429年。アオイが六歳のとき。小型輸送船が機関故障で漂流した。乗員九名。ユウの計算に必要なデータが全部揃っていた。


 AI判定。救助成功率3パーセント未満。コスト対効果の観点から救助中止を推奨。


 誰も来なかった。


 九日間の漂流の後、偶然通りかかった商船に救助された。生存者四名。死亡者五名。


 生存者のリストにアオイの名前があった。当時六歳。


 ユウはしばらく画面を見つめた。


 同じファイルの中に、別のリンクがあった。ヴォルコフが同じ日に参照した記録。古い記録。二十年前のゴーストダイバーの出動記録。個人名がある。ライカ・ヴォルコフ。


 当時二十四歳。

 出動記録には一言のメモがあった。


「成功率3パーセント? ぜんぜん行けるじゃん」


 ユウはその場で固まった。


 二十年前のヴォルコフと、今のアオイが、()()()()()使()()()()()。同じ場所から来た人間が、二十年という時間を隔てて、()()()()()()()()()()


 ヴォルコフが今のアオイになれた可能性があった。

 アオイが今のヴォルコフになる可能性がある。


 ユウはタブレットを閉じた。

 しばらく動けなかった。


 コクピットに行った。アオイに話した。


「あなた自身が、見捨てられたんですか」


 アオイは窓の外を見たまま答えた。


「うんまあね」


「……九日間」


「うん」


「そのとき——」


「計算してた」


 振り向かなかった。


「壊れた計器を見ながら、重力と酸素濃度と軌道を手で計算してた。死にそうな家族の横で。九日間」


 ユウには言葉が出なかった。


「3パーセントでも来てくれる人間が一人いれば、あのとき5人死ななくて済んだかもしれない。だから私がその一人になればいい。それだけさ」


 それだけ。


 それだけ、とアオイは言った。ただそれだけのことだ、という言い方で。しかしユウには、それだけが全部だと分かった。アオイがゴーストダイバーであることの理由が、その「それだけ」の中に全部あった。


 ユウは何も言えなかった。言えないまま、コクピットを出た。


 その夜、眠れなかった。


 アオイの幼少期の九日間を想像しようとした。六歳の子どもが、壊れた計器の前で手計算をしている。死にゆく家族がいる。誰も来ない。宇宙は広く、そして静かで、六歳の子どもが計算を続けても、誰も来ない。


 絶望。

 圧倒的な絶望。


 ユウは目を開いたまま天井を見た。



 翌朝、信号が来た。


 辺境惑星「エデン4」。恒星崩壊プロセスの開始。大型輸送船の到達は間に合わない。入植者約五万人。


 AI判定が表示された。


「成功率0.03パーセント。大規模救助の実行は不可能。諦めることを推奨します」


 アオイは表示を見た。


 何も言わなかった。


 いつもの「高いじゃん」が来なかった。


 ユウはアオイを見た。アオイは窓の外を見ていた。何かを見ているのではなく、どこかを見ていた。遠い場所。あるいは遠い時間。


 長い沈黙があった。


「……成功率は0.03パーセントです」


 ユウが言った。


 さらに間があった。


「ですが」


 アオイがユウを向いた。


()()()()()()()()()()()()()


 アオイが笑った。


「知ってる」


「じゃあ行きましょう」


 出発前に、アオイが一人でコクピットにいた。ユウは通路からドアの隙間を覗いた。


 写真の壁の前に座っていた。千枚以上の写真が壁一面にある。助かった人々の顔。子ども、老人、一人の男、泣いている女、笑っている男。宇宙各地の、名前も知らない人々。


 空白がある。いくつか。貼れなかった写真。写真のない空白。老夫婦の場所は今もそのままだ。


 アオイがその空白を見ていた。


 ユウが声をかけようとした。アオイが先に言った。


「……()()()()()


「え?」


「毎回怖いよ。当たり前だろ」


「じゃあなぜ行くんですか」


「だってさ、行かなかったほうがもっと怖いじゃん」


 ユウは通路で立っていた。その言葉を、今日は前とは違う意味で受け取った。


 行かなかったほうがもっと怖い。


 それは「行くことが好きだから」ではない。「行かないことに耐えられないから」でもない。行かなかった場合の怖さが、行く怖さを超えている。それだけのことだ。


 九日間、誰も来なかった宇宙にいた六歳の子どもは、来ない人間の怖さを体に覚えた。


 だから飛ぶ。


 ヴォルコフからの妨害は来なかった。


 部下が連絡を入れた記録が後に残っていた。


「局長代理、エデン4について——」


「私は今日、体調が悪い。私には何も聞こえない、何も見えていない」


「しかし局長代理」


「くどい」


 ユウはエデン4の地図と銀河のネットワーク地図を並べた。


「廃棄軌道ステーションが三つ使えます。エデン4の周回軌道上に配置して、脱出ポッドを宇宙空間に連鎖で弾き飛ばすシステムが作れます。私がネットワークをハッキングして制御する。あなたが回収ルートを飛ぶ」


「何回往復できる?」


「速度次第で最大二十七回。五万人を二十七回で割ると……一回あたり千八百五十二人。脱出ポッドの積載限界ギリギリです」


「間に合うか?」


「恒星崩壊まで十九時間。全回収完了の理論値は十八時間四十三分です」


「十七分の余裕」


「十七分は余裕ではありません」


「十分」


 ユウは返事をしなかった。


「計算していいですか」


「して」


「……十分ではありませんが、可能性があります。()()()()()


 アオイは出発前に一本だけ缶ビールを開けた。コップに半分注いで飲んだ。残りはそのまま台所に置いた。出発前の儀式みたいなものだと、ユウは思っていた。きっちり飲み切らないのも、儀式の一部だ。


「呑むのは帰ってから、ですよ」


 ユウが言った。


 アオイが止まった。振り向いた。ユウを見た。ユウはアオイを見た。眼鏡の奥の目で、真剣に、真っ直ぐに見た。


 アオイが黙って頷いた。


 ハウンドドッグ号が飛び出した。


 十九時間は、ユウにとって生涯で一番長い時間だった。


 ネットワークのハッキングは三十七分かかった。廃棄ステーションの制御を掌握して、エデン4の周回軌道上に配置する。ポッドの射出角度を計算して、回収ルートを設計して、アオイに送り続ける。


 アオイは飛び続けた。


 一回目の回収。二回目。五回目。アオイの飛び方が変わっていく。疲れが来ている。それでも速度は落ちない。むしろ、ある時点から速くなった。


「速度が上がっています」


「慣れた」


「人間は慣れるんですか、こういう状況に」


「慣れないけど、馴染む」


 ユウにはその違いが分からなかった。でも分からないまま信じることができた。


 十五回目の回収が終わったとき、ユウの計算が狂った。


 エデン4の恒星が予定より早く不安定化した。崩壊プロセスが加速している。残り時間が十七分縮まった。


「計算が変わりました。残り四回分の時間が——」


「何分ある?」


「三回分です」


「四回行く」


「時間がありません」


「三回と四回の差は何分?」


「七分です」


「七分縮める」


「そんなばかなこと——」


「縮める方法を計算して」


 ユウは計算した。


 途中、指が震えた。タブレットに誤入力をした。消した。やり直した。


「……一回あたりの回収時間を二分十八秒削減できれば四回目が可能です。ただし安全マージンがゼロになります」


「やる」


「安全マージンがゼロというのは——」


「やる」


 十六回目。十七回目。十八回目。


 エデン4の上空で恒星の光が変わった。通常の恒星光ではない、不安定な光。崩壊が始まっている。


「十九回目、最後です。残り時間三分四十秒」


「間に合うだろ?」


「……()()()()()()()()()()()()()


 アオイが笑う気配がした。声では言わないが、ユウには分かった。


 最後のポッドを回収した瞬間、エデン4の上空で恒星が吠えた。


 衝撃波が来た。


 ハウンドドッグ号が吹き飛ばされた。


 ユウの視界が白くなった。シートベルトが食い込む。何かが棚から落ちる音。床の金属が歪む音。


 静寂。


 ドッグのアナウンスが流れた。


「全システム、生存しています。損傷は軽微です。乗員の安全を確認してください」


「ユウ!」


「……生きてますよ」


「怪我は」


「肩に衝撃が来ましたが、問題ありません。あなたは?」


 アオイは答えなかった。


「アオイさん」


「……右腕が少し利かない。()()()()()


「そういうことは早く言ってください!」


「帰ってから言おうと思ってたんだよ」


「怪我は帰ってからでは遅いです!」


「……ごめん」


 ユウは処置キットを持ってコクピットに行った。アオイは操縦席に座ったまま、良い方の左腕だけで操縦桿を握って、帰路を飛んでいた。


 処置をしながら、ユウは確認した。


「五万三千二百四十一名、全員脱出確認しました」


 アオイは何も言わなかった。


「全員です」


 まだ何も言わなかった。


 ユウは処置を続けた。アオイの右腕は確かに骨にひびが入っていた。添え木をして固定する。その間アオイは痛みの気配を少しも見せなかった。それが余計に怖かった。


 宇宙港に帰還したとき、夜明けになっていた。


 第七区画の蛍光灯がまだ点滅していた。


 ドックに停泊して、二人はしばらく動かなかった。


 ユウが先に言った。


「写真の壁、見に行きますか」


 アオイが立ち上がった。


 通路を歩いて、壁の前に立った。二人並んで。千枚以上の写真が、光の中にある。


 空白もある。老夫婦の場所はまだそのままだ。


 アオイが空白を見た。今日は見た。


 長い間、見た。


()()()()()()


 小声で言った。写真に向けて言ったのか、空白に向けて言ったのか、ユウには分からなかった。両方かもしれなかった。


 ユウはアオイの横に立っていた。何も言わなかった。


 写真の壁の空白は、今日も埋まらなかった。今日埋まったものもある。両方がある。いつもそうだ。



 ヴォルコフはその日、オフィスにいた。


 報告書を閉じた。窓の外に宇宙港が見える。ハウンドドッグ号が動き出したのが遠目に見えた。


 部下が入ってきた。


「局長代理、またやつらが出動しました」


「そう」


「妨害しますか」


「私は今日、忙しい」


 部下が出ていった。


 ヴォルコフは窓の外を見た。ハウンドドッグ号の姿が宇宙港の光の中に溶けていく。見えなくなった。


 引き出しを開けた。胃薬のシートを一つ取り出した。手の中で転がした。


 二十年前、同じ胃薬を誰かからもらったことがある。古いゴーストダイバーの先輩から。無茶ばかりするお前に、と言って渡してきた。ヴォルコフは笑って受け取った。あのころはまだ笑えた。


 引き出しに戻した。


 もう飛ばない。でも見捨てない。そう決めた日から二十年。決めたことは守れた。守ることと諦めることは違う。それだけは守り続けた。


 宇宙港の灯りが窓の外で輝いている。


 あの船が帰ってくるだろう。また何かを抱えて帰ってくるだろう。そうやって何度も帰ってきた。


 ヴォルコフは報告書を開いた。


 仕事を続けた。


 台所から缶ビールを持ってきたアオイが、初めてユウに差し出した。


「飲む?」


「……私はまだ十四歳です」


「そうだっけ? じゃあ水持ってくる」


「結構です。それより、隣に座っていいですか」


「どうぞ」


 二人でコクピットに行って、シートに並んで座った。窓の外に星が流れている。宇宙港の灯りと、遠い星の光が混ざっている。


「あなたは最初から0パーセントだとは思っていなかったんですね」


「うん。誰かが諦めないなら、0パーセントじゃないから」


「……それは論理的じゃありません」


「そうだね」


「ですが、正しいと思います」


 アオイは缶ビールを一口飲んだ。ユウは窓の外を見た。


 受信器が鳴った。


 アオイが立ち上がった。


 ユウは胃薬のシートを出した。一錠飲んだ。立ち上がった。


「成功率は何パーセントですか」


「……4パーセントです」


「高いじゃん」


()()()()()()()


 ハウンドドッグ号が動き出した。


 第七区画の蛍光灯が点滅している。


 宇宙はとても広く、人間はとても脆く、それでも誰かが飛ぶ。


 今日も、誰かの3パーセントを目指して。


(了)



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