第22話セツルメント
根岸隆の人生において、妻となる松井重子との出会いは、単なる偶然ではなかった。それは、二人が共通の理念を追求する中で必然的に結ばれた、運命的な出会いだった。
二人が出会ったのは、大学時代に行われていた貧民救済活動、通称「セツルメント」を通してだった。隆は、一歳年上の東京大学法学部生として、重子は日本女子大学文学部生として、互いに異なる道を歩みながらも、弱者救済という共通の志を抱いていた。
セツルメントは、もともと19世紀後半のイギリスで始まった学生運動で、都市部の貧しい地域に居住し、社会奉仕活動を行うというものだった。1960年代の日本でも、この運動は広がりを見せ、多くの学生が、無償のボランティアとして弱者救済に奔走した。
当時、保育士を志していた重子は、セツルメントの活動で、貧しい家庭の子供たちの面倒を見ていた。彼女の温かい眼差しと、子供たちに寄り添う優しい心は、隆の目に深く留まった。一方、隆は、法学部生としての知識を活かし、困窮した人々のための無料法律相談に応じていた。彼の、金銭を求めず、ただひたすらに困った人々を助けようとする姿は、重子の心を惹きつけた。
セツルメントは、多くの学生が理想を燃やし、社会を変えようと試みた、1960年代の学生運動の一環でもあった。この時代は、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの実存主義哲学、特に「アンガージュマン(社会参加)」の思想が世界的に大きな影響を与えていた。日本の学生たちもまた、現実社会の矛盾に目を向け、行動を起こすことの重要性を感じ取っていた。セツルメントは、その思想を実践に移すための、具体的な場所だったのだ。
隆と重子の二人は、セツルメントを通して、お互いの内面にある優しさと正義感を確認し合った。彼らは、言葉を交わす以上に、共に働くことで、互いの価値観を深く理解し、尊敬し合った。
そして、このセツルメントで、隆はもう一人、生涯の友を得ることになる。二歳年下の東大法学部の後輩、山本隆夫弁護士もまた、同じ志を持ってこの活動に参加していた。隆、重子、そして山本、この三人の絆は、セツルメントという場所で、弱者救済という共通の使命を追求する中で、強固に築き上げられた。
このセツルメントでの経験は、隆のその後の人生に、決定的な影響を与えた。彼は、法律というものが、単なる条文や理屈の集合体ではなく、困窮した人々の生活を支え、彼らの権利を守るための、生きた道具であることを学んだ。彼の「仕事の八割は手弁当で、赤字のボランティア」という信念は、このセツルメントでの経験が原点となっている。
隆と重子の結婚は、単なる恋愛の成就ではなかった。それは、同じ夢を追う二人の人間が、共に人生を歩むことを決意した、同志の契りだった。彼らは、生涯にわたって、社会の片隅で苦しむ人々に寄り添い、彼らのために尽くし続けた。セツルメントは、彼らの愛と、その後の偉大なる弁護士人生の、揺るぎない礎となったのである。




