第20話弁護士の山本隆夫先生
根岸隆の生涯を語る上で、決して欠かすことのできない人物がいる。弁護士の山本隆夫先生だ。隆より2歳年下で、同じ東京大学法学部の後輩にあたる。二人の出会いは大学時代に遡り、隆が82歳でその生涯を閉じるまで、実に60年以上にわたり、共に仕事をし、人生を歩んできた。隆が最も信頼し、心を開いた人物の一人である。
山本先生は、隆の息子である豪志にとって、第二の父親のような存在だった。ある時、山本先生は豪志に、自身の若かりし頃の夢を語って聞かせた。
「俺は実は東大の野球部にいたんだ。1週間くらいで辞めたけどな」
そう言って、彼は照れくさそうに笑った。
「東大野球部に入って六大学野球に出るのが夢だったんだよ」
その言葉の裏には、学問の道を選んだものの、一度は野球選手としての夢を追った、山本先生の意外な一面が垣間見えた。
山本隆夫先生は、香川県高松高校の出身である。彼の家系は、幕末の蘭学者高野長英の直孫にあたり、その血筋は運動神経にも恵まれていた。東大法学部では、100番くらいの成績で、司法試験合格は24歳の時だった。隆のような天才的な才能ではなかったかもしれないが、彼の真摯な努力と、人並み外れた誠実さが、彼を一流の弁護士へと導いた。
山本先生と隆は、性格も経歴も異なっていたが、互いを深く尊敬し合っていた。隆の天才的なひらめきや大胆な発想に対し、山本先生は緻密な調査と堅実な論理でそれを支えた。二人は、まるで車の両輪のように、互いの弱点を補い合い、数々の難事件を解決に導いてきた。特に、法廷での戦いに臨む際、隆は山本先生と徹底的に想定問答を繰り返していた。隆の鋭い質問に対し、山本先生は冷静かつ客観的な視点から反論し、隆の論理をさらに強固なものにしていった。この厳しい訓練が、隆の法廷での圧倒的な強さの源泉となっていたのだ。
山本先生は、隆の人間性を最も深く理解していた人物である。隆が世間から「奇人変人」と評されても、彼は隆の根底にある弱者への深い愛情と、真実を追求する揺るぎない信念を誰よりも知っていた。そして、隆が抱える心の闇や孤独を、言葉にはせずとも、常にそばで支え続けていた。
隆の葬儀で、山本先生は誰よりも深い悲しみを胸に、静かに佇んでいた。彼の存在なくして、隆の偉業の多くは成し遂げられなかっただろう。山本先生は、表舞台に立つことは少なかったが、隆という巨木を支え続けた、偉大なる根のような存在だった。
二人の友情は、単なる仕事上のパートナーシップを超えた、生涯にわたる深い絆だった。それは、法曹界の歴史に刻まれた、二人の男の物語であり、互いを深く信頼し、尊敬し合った、かけがえのない友情の証なのである。




